パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

<都知事選に出ているみなさん。どれほど、もともと東京都のすみずみまで歩いていますか?>。





有料ブログ 勝谷誠彦の××な日々より転載

8:15 (2 時間前)



 

2016年7月15日号。<都知事選に出ているみなさん。どれほど、もともと東京都のすみずみまで歩いていますか?>。


 3時半起床。
 少し、起きるのが遅くなってきた。
起床時刻はだんだんとこれから、いつもの4時とかに戻って行くだろう。私の体内時計はなぜか太陽とリンクしているので、夏至も過ぎたことだし。むしろ冬至のころに「あっ」と起きると8時だった、とかが怖い。目覚ましを使わないほど、自分の体内時計を信用しているので。これがまた、よその国に行くとそこできちんとリセットされるのだ。電波時計みたい。ツアコンのように世界中を動き回っている人に言っても「そんなことはありえない」と驚かれる。私は理由を知っている。酒呑んで飛行機の中で「ひとり夜」にちゃんとなっているからである。
 天候が不穏である。
今日の東京も今にも降りそうなのだが降らない。なんというか、もし被害が出たなら申し訳ない表現なのだが「降るなら降れよ」と言いたくなる。あれはあれでひとつのカタルシスなのだ。もちろん8階に住んでいるからこんなことを書けるのであって、川に近い一軒家の方々などにとってはとんでもない発言だが。
 私は「天候を見る」ことにこの世代にしては敏感かも知れない。
中学、高校時代に石を拾うために山の中を歩いていたからだ。化石や鉱物は露頭にある。露頭は水が削ったところが多いのであって、どうしても沢を歩く。これは命懸けで15歳ほどの子どもがやってはいけないことなのだ頭でっかちだった私は親のカネにあかせてザイルなども装備してやらかしていた。カタチだけである。本当に鉄砲水が来たら死んでいただろう。
 それでも「地学部」なのだ。ここにはわが地質班のほかに天文班、
そして気象班がある。地学というのがいかに広範でいいかげんな学問なのかがわかる。班員がひとりもいなかった気象班を再興したのは私の弟であった。だから班が違うとはいえ、なんとなく知識はある。もちろんウェブなどない時代にテントをはっていた。そこで短波ラジオを聞くのだ。何も書き込まれていない日本列島の地図に、緯度経度から等圧線を書いていく。そこから明日の天候を予想した。
 子どものやる自己満足である。しかし私はそこで「気圧の雰囲気」
というものを知った。身体で気圧なんて感じることはないでしょう。アスリートや船乗りと話すと、これがあるのだ。あとはリューマチにかかっている人とか、身体のどこかに大きな怪我を負った人とか。何を言いたいか。今の都会人のひとたちはせっかく持っているその能力を捨てているのではないかと感じるからだ。天気予報を見て、どーでもいい3流のモデル崩れが「今日は傘を持って出て下さい」と言うのを信じてはいけない。自分の感覚で「降るのか降らないのか」を感じるのは面白い。
 ベランダではだめだ。地上と気圧が違うので。
新聞をとりに降りた時に、外に出て空を見上げて「感覚」を得てごらんなさい。それで外れてもなんだか笑いがこみあげて来る。ひとり天気予報である。こんなことを書いたのは、昨日の私が見事に外したからだ。ジムに練習に行こうと思った。全身が痛い。しかしここでやらなくては、と装備をすべて持って一階に降りた。外に出た瞬間「これは来るな」と直感した。雷鳴まで轟いている。さきほどのニュースでは関東地方では車が水没するほどの降雨の場所がある。シブい。実にシブい。こういうことを予見できるのは私ならではと、引き上げた。
 まったく降らなかったんですよ。とほほほ。難しいものだなあ。
いわゆるゲリラ豪雨について気象庁が予見できないというのもわかる。観天望気、として空を見て、私独自の気圧の感覚まで含めて、しかも実際に空は暗くて雷鳴はあり、それでも降らなかった。口惜しい。今日は気象庁は「雲の動き」というのを早朝から流してくれていて、それによると午後に向って大雨になる。さて、どうしたものか。やはりこういうカシコイ人たちを信じるのがいいのか。

 東京都知事選挙が告示された。
以前は住民票を千代田区に置いていたのでいささか責任はあったがずいぶん前から兵庫県民なので自分の人生とはあまりかかわりがない。それにしても。なぜこういう動物園のような顔ぶれになるのか。これは日本国の政治とは何かということを考える上でなかなか貴重なことではないかと思われる。だから他県民である私もだし、あなたや、あなたにもご意見をいただきたい。
 <政治とカネ・五輪、論戦/都知事選告示>
 http://www.yomiuri.co.jp/election/local/20160714-OYT1T50072.html
 <選挙戦は、民進、共産、社民、生活の野党4党の推薦を受けた、
ジャーナリストの鳥越俊太郎氏(76)、自民、公明、こころの3党の推薦を受けた元総務相増田寛也氏(64)、一部の自民党国会議員らが支援する元防衛相の小池百合子氏(63)らを中心に展開される見通し。投開票は31日に行われる。
 う~ん。突っ込みどころだらけなのだが、
まずみなさんで考えて欲しい。なんでこの3人なの。「有力候補」としてこの3人をとりあげる大マスコミもひどいと思うが。マック赤坂さんはなぜ報じられないのか(笑)。私、大好き。
 地方を歩いて、拙い話をさせてもらってきた。
そのあと地元の議員や行政の人々と話すのが大好きだ。それは今も続けている。地元の問題は、あくまでも地元の問題なのだ。それはなかなか根深かったりする。それでも彼らや彼女らたちがかかわって人生をかけているのは、ふるさとだからだ。郷土とはそういうものだと思うし、かかる思いがある人々こそが主導権をとるべきだと私は考える。さきほど書いた3人の「大物候補」の誰が「地霊としての東京都」あるいは「江戸」について語りましたか。どれほどの教養がおありですか。公開討論会があれば、私はぜひそのあたりをうかがいたい。なんで元岩手県知事がここに出て来るの。
 良くわからない。「偉くなりたい」のだろうか。「
有名になりたい」のだろうか。「何を自分がなしうるか」がもっとも大切な動機ではないか。もうすでに「偉い」のだから(笑)「何を還元できるか」ではないか。そういう根本的な哲学や倫理について大マスコミが聞かないのがおかしい。「なぜ出馬したのですか」のひとことで、本当に優秀な記者であれば追い詰めて行けるだろう。そういう記者がいないということである。全国の話題となる東京都知事選挙だからこそ、そこを突き詰めていただきたい。参議院比例区の人気投票とは違うのだ。
 地域の首長というものは、徹底的にその地を知って、
勉強していなくてはいけない。これは昔から欧州を歩いた時に、心から感じたことだ。だから地域の首長で尊敬はされていても国政は遠かったりする。それでいいのだと私は考える。この二つはまったく違うもので、だから「自治」なのである。橋下徹さんとその一派にもっとも私が違和感を感じるのはこの部分だろう。「おおさか維新の会」はさすがにこのネーミングに党内からも反発が出て変えるようだが
 <おおさか維新、党名変更/「日本維新の会」軸に>
 http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160712-OYT1T50115.html
 <おおさか維新の会は12日の常任役員会で、
党勢を全国で拡大することを目指し、党名を変更することを正式に決めた。
 新党名については「日本維新の会」を軸に調整が進む見通しだ。
党幹部が明らかにした。>
 最初がアホだったのである。
この名前で天下に打って出られると思っていたのかね。ハシモト病である。かんちがいだ。
 私の仕事ではない。
なんでこんなことにかかわってしまったのかと思うが、中央と地方の感覚のズレが極限まで来ている。これを修正しないと日本国の未来は辛い。安倍晋三首相が「地方創生」という言葉を打ち出したのはその危機感だったのだと思うが、具体的に官僚が行政化できていないし、地元ではもっと硬直している。
 だんだんと書くつもりだが、今の政治家も官僚も、
歴史の勉強をしなさすぎる。「地方硬直」の幕藩政治を壊した理由は何だったのか。そのあとの中央集権の功罪は何なのか。これらを根本から語れるようでなければ、政治家、官僚とは言えない。欧州ではそうした人々はみな、私とワインを傾けながら、堂々と受け答えをする。それが「教養」というものだ。教養と知識なきものは去れ。有権者のいまの基準であろう。

 なかなか難しいことになってきた。しかし昔からの皇室と「政権」
の関係を勉強してきた私としては「こうなるな」と思っていた通りである。「綸言汗の如し」。
 http://kotowaza-allguide.com/ri/ringenasenogotoshi.html
 <一度出た汗を再び体内に戻すことはできない意味から。「綸言」
とは、君主のことば、みことのりのこと。『漢書』に「号令は汗の如し。汗は出でて反らざる者なり(命令を出すことは汗を出すことと同じだ。汗は一度出たら戻すことができないように、一度出した命令は取り消せない)」とあるのに基づく。>
 天皇陛下のご譲位がどこから漏れたのかはわからない。これは、
明治維新などを学んでいる私としては「やったなあ」だった。「綸言汗の如し」であって、いちど漏らされたお言葉はだれもひっくり返せないのだ。歴史はそれに沿って動いていく。日本国というものの、おもしろい姿である。今後もそうなって行くのではないか。あわてるのは側近と役人と政治家だ。お言葉に沿って制度の方を、むしろ作らなくてはいけない。
 周囲はあたふたとしている。敢えて言うが日本国はやはり「
天皇陛下の国」なのである。そこで、ご自身の「ご退位」を口にされた陛下は戦後の日本のアメリカに与えられた民主主義を試しているようにも思われて、痛快でたまらない。朝日新聞あたりのフラフラした報道も面白い。このことについては、不勉強で書くことはいけない。いろいろと周囲から情報を集めているところである。

 まことに楽しい展開になってきた。
支那はこれまででもっとも大きな墓穴を掘ったのではないか。わが愛するフィリピン、よくやったよ。

 <南シナ海仲裁裁判/中国「判断は紙くず」>


 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160713/k10010594261000.html
 くだらないので引かない。「ことばが外交」である。
この支那人のスポークスマンは全世界の反感を買った。ましてや。
 

<中国、仲裁人に個別接触試みていた/裁定に悪影響?>

 http://www.sankei.com/world/news/160713/wor1607130068-n1.html
 <
南シナ海を巡る中国とフィリピンの仲裁手続きを進めていた仲裁裁判所所長に、中国側が個別接触を図ろうとしていたことが、13日までに分かった。裁判所はその後、この事実を暴露し、仲裁を巡る法廷外での活動を慎むよう戒めていた。裁判所からの公判参加要請には応じず仲裁人への圧力につながる行為を続けた中国側に、裁判所が悪い心証を抱き、かえって不利な裁定につながった可能性もある。>
 やってくれるなあ。「法治ではなく人治」
支那の面目躍如である。現場としては国内と同じように、当然として買収にかかったのであろう。フィリピンも買収の国だが(熟知・笑)そこにはあるルールがある。私はそれが好きで、ずっとつきあってきた。支那にはないのだ。だらしない。無節操。「これはダメだ」がわからない。国家としての低俗さを暴露したいいニュースである。

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