パルデンの会

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中国でも反原発の住民デモ、連雲港市で数万人 江蘇省の北東部、東シナ海に直面する貿易港



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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成28年(2016)8月11日(木曜日)
         通算第4988号
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 中国でも反原発の住民デモ、連雲港市で数万
   江蘇省の北東部、東シナ海に直面する貿易港
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 江蘇省連雲港市で三日間連日、住民のデモが続いた。
プラカードは「原発建設反対」である。
 「まだ建設予定地も決まらないのに、なぜ?」
と市当局者は首を傾げた。
 連雲港市は江蘇省の北東部、すぐ北が山東省であり、
東シナ海に直面する豊かな貿易港として有名でコンテナヤード多数を誇る。

 住民等は口々に「大気汚染」「放射能の被害拡大の恐れ」「
建設に関しての情報開示にまったく透明性がない」などとして、8月7日から三日間、抗議デモ、集会を繰り返し、市内の交通は麻痺状態に陥った。
 4日目に、市当局の説明で、一時的に活動は中断したが、
ひきつづき予断を許さない情勢という。

 連雲港市郊外に建設予定の原子炉は中国国家能電公司が請け負い、
2020年に着工、2030年に稼働としているが、実際には予定地が未決定。
 デモ隊の周囲は警官隊が取り囲み、
市庁舎などに投石した市民十数名を逮捕拘束したと地元のメディアが写真入りで報じた。

 中国は現在32基の原子炉を稼働させており、
くわえて22基を建設中だ。
江蘇省連雲港市の原発は、
これらのプロジェクトには参入されない新しく計画中のもので、住民等は福島、チェルノブイリ事故に関して情報を知っており、土地を売却しようとする市当局への抜きがたい不信、安全性の問題が深いことを認識している。
潜在的恐怖心から自然発生的に行動にでたわけだが、8月9日、
市当局は候補地も決まっていないと実情を説明し、デモ隊を解散させた。
      □△◇み□△◇や□△◇ざ□△□き◎○◎

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成28年(2016) 8月12日(金曜日)
         通算第4989号   <前日発行>

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 気がつけば、タジキスタンは「シナ化」していた
   工業も、農地も、水源地もいつしか中国の手にわたっていた
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 忘れられた中央アジアの小さな山岳国家。
 (タジキスタンって、何処でしたっけ?)
 1979年12月25日、
クリスマス休暇を愉しんでいたアルノー・ド・ボルシェブレーブ(当時、ニューズウィーク編集長)は緊急の電話でたたき起こされた。「ソ連アフガニスタン侵略」という衝撃のニュースだった。彼にはソ連との諜報戦をスリリングに書いた『スパイク』(邦訳は早川書房、絶版)という小説もある。

 ソ連はこのタジキスタンから戦車隊を投入し、武装ヘリを飛ばし、
以後泥沼のアフガニスタン侵略戦争が続いた。
モスクワでは母親達が「子供を戦場に送らないで」
とデモを行った。

ソ連衰退の引き金ともなったアフガニスタン侵攻だったが、米国、
英国の戦争の遣り方と同じく、白人は温存し、黒人兵を前線に送り込む。負けたら白人はさっさと降伏する。ロシア人は優遇され、少数民族の兵士が最前線で戦った。

この戦争で最前線に送られたのはタジク人、そしてウズベク
カザフ、キルギスなど中央アジアならびにウクライナベラルーシの人々だった。とくにベラルーシの兵士はアフガニスタン戦争で一万五千人が犠牲となった。

 荒廃したアフガニスタンソ連が逃げ去り、
タリバンの狂信的政権が出現し、その国土を利用して軍事基地化したアルカィーダはタンザニアとケニアの米国大使館を襲撃し、数百の血の犠牲がでた。結局、ソ連は解体し分裂し、ロシアは再生に忙しく、アフガニスタンがどうなろうとクレムリンの関心事ではなかった。

 米国大使館へのテロは、米国を怒らせるのに十分だった。
だから反ソ連のムジャヒデンを支援しだが、戦後生まれたのは反米のアルカィーダだった。
最大の敵だったソ連が消えたと思いきや、新しい敵はテロリズム
それも神出鬼没だ。

ただちに報復にでたクリントンアフガニスタンのアルカィーダの
秘密基地にトマホーク・ミサイルを50発お見舞いした。アフガニスタン政府は、そのトマホーク・ミサイルの不発弾を中国に売った。
911テロのあと、
ブッシュ政権アフガニスタンに本格的な軍事介入をしたが、米軍主体の多国籍軍タリバン兵士にさんざん悩まされた。ドイツはこのとき、戦後初の海外派兵を展開した。
ところがドイツ兵にも四十数名の犠牲をだして、大問題となった。

この無法地帯のアフガニスタンに蛮勇を示して「
アフガンの工業化のため」と鉱山開発に真っ先に乗り込んだのが中国だった。
その中国の鉱山を守っている兵士、
警察官の給与の半分を日本が負担している。なんという矛盾した構造だろう。


 ▼キルギス暴動、ベトナムの反中暴動、そしてリビア

 中央アジアの美しい山国はキルギスである。
 数年前に南部のオシェで暴動が起きたとき、
中国は四機の特別機をオシェとビシュケクに飛ばして、在留中国人五百余名を引き上げた。
みごとな撤収作戦と言って良かった。

キルギスは牧畜、農業のほかに鉱山資源に恵まれているが、
まともな産業がなく、多くの若者はロシアへ出稼ぎに出ている。首都のビシュケクには日本食レストランもあるが、駐在日本人は五十名前後。経済援助は日本がトップクラスだが、存在はなきに等しい。
圧倒的な存在感があるのはロシアについで中国である。

東日本大震災で、福島原発に危機が迫るや、
在日中国人18万人がどっと日本から去った。逃げるのは一流である。
カダフィ大佐が殺害され、
トリポリベンガジが内乱状態となるや、百もの中国主導のプロジェクトを擲って、中国はフェリー、バス、飛行機を最大限動員し、リビアからは三万六千の中国人労働者を引き上げさせた。

ベトナムで反中暴動が起きたときは四名の中国人が殺害されたが、
直後、飛行機、艦船、フェリーを派遣し、8000人の中国人労働者、エンジニアを引き上げた。

 しかし、当時から筆者は疑問に思っていた。
 なぜ中国は山国のキルギスの、
そのまた深奥部のオシェに五百人もいたのか?
 当時、
米軍はアフガニスタン戦争の兵站基地としてキルギスのマナス空港を基地として借用していた。マナス空港には米海兵隊が2000名駐屯しており、筆者はわざわざ見に行った。

ビシュケク郊外のケント地区にはロシア軍の駐屯地があった。
米軍は撤退したが、ロシア軍はいまも、キルギスにいる。キルギス民主化されたとはいえ政情不安、民主選挙で初代大統領に選ばれたアカエフは、汚職事件に巻き込まれモスクワへ亡命した。

 しかし総括的に言えば、
中央アジアイスラム国家群はロシアの影響力が希釈化しており、言語も英語が一部に普及するようになり、キリル文字からアルファベットへの転換が顕著となった。
 米国の文化的・政治的影響力は強く、民主主義、
人権なども若い世代の間では真剣に討議されるようになった。

 カザフスタンキルギス
タジキスタンは中国と国境を接しており、また一番西側のトルクメニスタンは中国へ4000キロ以上のパイプラインを敷設して、ガスを輸出しており、経済的結び付きは中国がロシアを代替したといえる。


 ▼タジキスタンは中国の経済植民地と変わり果てていた

 タジキスタンの首都はドシャンベという。
 タジク語で「月曜日」という意味の首都は人口が67万人。
大都会とはいえ、ウランバートルのようで、これという商業施設も工業地帯も団地も、何もない。近代的な工場もない。ハイテク企業もない。摩天楼も殆ど建っていない。アフガニスタンの首都カブールの荒廃ぶりと同じだった。経済的離陸は困難であり、ロシアはとうに見放した。
 (ちみなにタジク語はペルシャ語に近い)。

 間隙を衝いて徐々に地下水が染みいるようにタジキスタンに這入り
込んできたのは、かの国である。
 2011年、タジキスタン政府は懸案だった領土係争で、
パミール高原の1000平方を中国に譲渡した。
ラフモン大統領独裁下での取引で金額は明らかにされていない。

 最初は札びらで相手の顔をひっぱたき、
つぎつぎと農地を49年契約で借り受け、こうした金融支配がスタートとなった。
ドシャンベ政権はロシアもインドも投資の胴元としては当てにはし
ておらず、また民族的宗教的紐帯があるはずのイランからの投資も限定的。日本企業など影も形もない。

 タジキスタンは水と鉱物資源に恵まれている。
筆者は二十年ほど前に、この国の北西部ペンケントという町へ行った。ウズベキスタンサマルカンドから車を飛ばして入国したのだが、当時の混乱で、国境は警備兵もいない。国境の看板だけあった。
いま、この国境は閉鎖されている。


 ▼いつもの間にか、
タジキスタン在住の中国人は15万人になっていた!

 2016年7月現在、タジキスタンにいる中国人は推定150、
000人(米ジェイムズタウン財団『ユーラシア・ディリー・モニター』、 8月2日)。

 かれらは農地、水源地を取得し、工場を建て、
そして中国から労働者、農民を招き入れた。気がつけば、タジキスタンは中国の「経済植民地」と化けていた。
 これを「SINIFICATION」(シナ化)という

 現地人を雇用しない、
水源地を確保されるとタジキスタンの安全保障はどうなるのか、住民の抗議行動がおきるや中国企業は多少のタジク人を雇用したが、奴隷のようにこき使ったため、またも反中暴動の一歩手前の状況となった。

 表だった派手な動きを見せない。
しかし中央アジアの嘗てのソ連に所属したイスラム国家ではカザフウズベキスタントルクメニスタンも、そしてキルギスタジキスタンも、SINFICATIONが静かに進行している。

 なぜ静かなのかと言えば嘗ての宗主国ロシアのご機嫌を損ねてはい
けないからである。
 中国は長期的戦略に立脚し、地政学にのっとって着々と、
陸のサラミ作戦を展開しているということである。

      □△◇み□△◇や□△◇ざ□△□き◎○◎
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