2016-08-23 安倍マリオ。日本国の余裕 フリー ジャパン #神奈川県 有料ブログ 勝谷誠彦の××な日々。より転載 2016年8月23日号。 <安倍マリオ。日本国の余裕>。 3時起床。 台風とともに、オリンピックが去った。日本国には地獄のような蒸し暑さが残っていて、映像から伝わって来る地球の反対側のリオがややうらやましい。もっとも昼間は30度になることもあったらしいが。 ブラジルという国は幾度が触れているように、もともと大好きで何度か行っている。コパカバーナの海岸線などが俯瞰で映し出されると今からすぐにでも生きたくなる。飯はうまいし、ねーちゃんは綺麗だ、とサンバにのせて歌いたい。だから毎日のように画面ごしとはいえブラジルの空気を感じているのは楽しかった。五輪そのものもだが、なるほどこの夏はそれが快感だったのかと、終わってみてわかる。行きたいなあ。ただし、えらく遠い。選手や役員の方々もたいへんだったろう。私が通っていたころはきっちりと24時間はかかった。確かロス経由だったか。 五輪でブラジルがますます好きになった。よくやってのけたじゃないですか。この国のイジワルな大マスコミは「治安が悪い」とか「モノゴトがスケジュール通りに行かない」などとさんざん事前に書いた。私はブラジルがいかにちゃんとした大国かを知っているので、そんなわけねえじゃんとわかっていた。昔、内緒だが(いや一部では書かれているが・笑)核武装までやろうとした国である。極東の小国よりもはるかに底力はある。「一億総中流」と違って、エリートと下層階級の差が大きい。エリートにまかせておけばまず間違いないが、今回は庶民の方々もホスピタリティをよく発信してくれたと感心した。 現地に行ったある記者もメールで驚愕していた。プレスセンターなどでの対応がきちんとしているというのである。「おまえ、どんだけ偏見を持って行ったんだ」と叱ったが、当たり前でしょう。そしてそれらの多くを移住した日系人が下支えしていることは知っておくべきだ。ブラジルの知性である。そうしたことを発掘した報道がなかったのは私は不満だった。どうも日本人はラテン系に対する偏見がある。私はもともとフィリピンから始まっているので、それがない。むしろアングロサクソンを冷たいと思い、人種差別も感じるのだが、最近になって尼崎で育って東京に出てきた時と似ているなと。 閉会式も見事であった。今回は特別な意味を持っている。たいまつは東京へと受け継がれるのだから。多くの日本人が移住し、かの国のかなりの部分を支えてきたそこから、バトンを受け継ぐことには感慨があった。私のウェットな感情だけだろうか。そうではなく、互いの国が「好き」であるという気持ちが閉会式からは伝わってきたのである。そこで安倍晋三首相がやらかしてくれた。個人的に交流がある人間はそうはいないと思うので、これはこの日記を読んで下さっているあなたや、あなただけの特権。彼は「やらかす」ひとなのである(笑)。 <「安倍マリオ」に海外も沸き立つ!> http://www.cinematoday.jp/page/N0085483 <現地時間21日、リオデジャネイロオリンピックの閉会式にて、安倍晋三首相が日本を代表する人気ゲームのキャラクター・マリオにふんして登場し、日本国内で大きな話題となっているが、海外でも熱視線を集めている。大手海外メディアの The New York Times やTelegraphが安倍首相のマリオ姿を報じているほか、SNS上でも喜びに沸き立つ声が目立っている。> 「やらかす」と言っては失礼かな。「面白がる」ひとだ。そもそも最初に明らかな劣勢と言われて時に自民党の総裁選に出たことがそうだった。これが日本国の「ソフトパワー」である。軽々と首相がこんなことをしてしまうのが国柄である。支那の極悪パンダや朝鮮の独裁者どもに対してなら側近が提案しただけで処刑されるであろう。 <安倍首相のマリオ姿のみならず、「これは伝説的」「オーマイグッドネス! 東京オリンピックのセレモニーは絶対にすごいことになるわね。疑う余地もないわ」「よくやった、日本! 彼らのパフォーマンスは、2020年のオリンピックをとっても待ち遠しいものに感じさせたわ。4年後に東京で? 誰か誰か?」「とても賢くって、楽しかったわ、東京!」とパフォーマンス全体にも好評が続いた。> 今回での評価だけではなく「トウキョウにつなげるパフォーマンス」として最高だったと思う。いただいたメールの中には「日本国の首相として軽すぎるのではないか」という批判も多かった。そういう見方はもちろんあっていいだろう。しかし私たちは尊い上御一人を戴いている。その「重さ」があるからこそ、首相なんてこんなもんでいいのである。褒めているのよ。実は大日本帝国のころの首相もこうであった。軽躁といっていいヒトの方が楽しくて、時代もうまくいった。首相が「偉く」なったのは自由民主党が独裁政権を続けていたころの弊害だ。 首相としては国連総会で演説するよりも何百倍も各国に対する広報効果があったと私は考える。編集者、広告屋をやってきたものとしての直感だが。振付役は、私の察するところいつものように世耕弘成経済産業大臣兼内閣府特命担当大臣かな。こういうバカバカしい突き抜けた発想は彼らしい。ともかく、エンディングとしては完璧だったし、東京に繋げるところもきちんとおさえていた。妙な「日本的演出」がなくてホッとした。サンバに対抗して阿波踊りでも出てくればどうしようかと畏怖していた。 冗談ではなく、少し前だったら電通博報堂がそういう売り込みをしたのである。阿波踊りはもちろん素敵ですよ。だが海外の方々の理解にはワンクッションおかなくてはいけない。日本人はかなり田舎者だったのだなと、今になって思う。今回のスマートな演出はやっと国際社会で大人になったのかなと。同じ阿波踊りなら日本が誇るあちらの泡踊りを…すみませんすみません。朝から。昔の『11PM』をを観ていたおっさんならわかるでしょうが、フツーの読者には余計な知識でした。でも、検索してみるとひとつ覚えるよ。 「国威発揚」なんて今のメディアにはまったく出ない。この五輪は日本国の「国威発揚」だと私は終えて、思っている。事前の期待はそんなになかった。なぜか。考えているうちにひとつの記事を見つけた。 <表彰式で君が代を歌う金メダリスト、4年前から激増/男子体操団体は大声で熱唱、バドミントン「タカマツ」はそろって目に涙を溜め/あの大物の発言で物議> http://www.sankei.com/rio2016/news/160822/rio1608220050-n1.html <21日(日本時間22日)に閉会したリオデジャネイロ五輪で、日本は12個の金メダルを獲得し、各競技の表彰式で君が代が12回流れた。前回(2012年)のロンドン五輪の表彰式では君が代を実際に声に出して歌う選手は少なかったが、今大会は大半の選手が熱唱し、その姿がより一層の感動を呼んだ。> いい記事だ。さすが産経新聞。今までがおかしかったのである。選手たちは左巻き日教組の洗脳教育を受けてきた世代だった。やっと真っ当になりつつある。些少というより詐称と言っていいが、私がずっと続けてきた言説、そしてそれを応援して近くに伝えて下さった皆さんの努力が、こうした形で実現しつつあるのだと信じる。君が代を歌う子たちが増えて、さきほど触れたように、日本チームは強くなったではないか。朝日新聞はいやがってこのことに触れないが、帝国陸海軍が強かったのは君が代をみなが歌ったからである。弾を使わない戦争が今では五輪だ。そこで日本人がなぜこれほど復活してきたのかと、君が代を切り離そうとする勢力を、軽蔑せよ。 朝日新聞はどう反論するのであろうか。常に時代の顔色を観ていた商売紙だと私は20代から書いてきたが、ここにいたってはもう感動する。朝日新聞万歳。戦前にずっと「一億火の球だ」とおっしゃっていた雰囲気に戻りつつある。いっそ、私に書かせませんか(笑)。朝日が商売紙だということは、もうご存じだからいちいちは引かない。ちょっと前まで都立高校で君が代を歌うことを批判してきた朝日は、日本中がリオで流れる君が代に涙するこの状況をどう説明するのか。などと考えていると、今朝の朝日に実に珍妙な記事が出た。 <耕論/スポーツと国歌 宮本恒靖さん、江本孟紀さん、志田陽子さん> http://digital.asahi.com/articles/DA3S12523854.html それぞれの論はまあ、いいや。こういうメンバーしか集められないほど朝日の取材力と人脈も落ちたなとは思うが。面白いのはリードの部分である。 <「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」。選手団壮行会で、来賓からこんな発言も飛び出したリオ五輪が閉幕した。スポーツと国家、個人のかかわりを、改めて考えたい。> それぞれが、いろいろ考えておられるのだが、引くほどではない。国歌は国語と同じで、歌えて当たり前。愛国のために言うのではない。本人の名誉のためだ。恥ずかしくないのか。ときどき、識字率が低そうな気の毒な土人国歌で「口パク」をやっている選手がいる。まもなくそこではクーデターが起きて、独裁者が倒されるのだろうなあと、かわいそうになるのである。国家の基本は教育であって、その中には「君が代」というきわめて難しい国歌を理解することも含まれる。 それが最優先であって、そこから国語と歴史をはじめていけばよろしい。発言したのは森喜朗さんだ。いろいろと難儀な方だが、こういう時はどっしりと言葉に重みがある。その通りだ。国によっては国歌を歌えないと国籍を認めないところも昔はあった。私は敢えて言うが<「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」>はぬるい。<「国歌を歌えないような>ひとは「日本国民ではない」のである。これが世界の国民国家の常識だと知っていて欲しい。そうでないと、国家という難しいものを維持していくのは難儀なのだ。こんなひどい国でなんとかやっていけるのは、上御一人がおられるからだ。 小さなニュースではあるが。最近、私が感じていたことに通じるので。あと、滅多にないことだが人生の中でこういうことに出会った時に、気をつけて下さい。弁護士の知り合いなんてまずいないものね。 <弁護士着服被害に見舞金/後見不正相次ぎ/日弁連方針> http://digital.asahi.com/articles/DA3S12523914.html <成年後見人として預かった高齢者の財産を着服するなど、弁護士の不正が相次いでいることを受けて、日本弁護士連合会が被害者に見舞金を支払う制度を創設する。経営に苦しむ弁護士の増加が背景にあるとみており、「市民の信頼低下を防ぐことが急務」との考えだ。早ければ来年4月にも導入する。> 昔は「ニセ弁護士」という詐欺師がいてこういう犯罪を犯したが、今ではホンモノがやっている。弁護士の数が多すぎるのだ。これは医者でも同じで、医者は詐欺はしないだろうけれども、相手の技量を見極める時代になっている。消費者の知恵がここでも求められているということだ。 個人的なことからアドバイスするならば、もし弁護士が必要になったならば、まずはどんなつてでもいいから個人的なそれを頼って頼むことである。あとは弁護士会のような公的なものに仲介を頼むと、そこはあとあと逃げられないのでまずくはない。医師以上に、弁護士というのは人生でなかなかに触れるものではない。だから難しい。広告で飛びこまないことだ。どうしても困ったなら迂闊屋あてに相談していただければ、いくらかは応じれる、かも知れない。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ (c)2016 勝谷誠彦、katsuyamasahiko.jp All Rights Reserved. 問合せ(メールの未着など):info@katsuyamasahiko.jp 情報提供・感想:stealth@katsuyamasahiko.jp 発行:株式会社 世論社 314