兵庫県知事選挙の真っ最中である。
なんで それに 民進党や ほかの野党がのっかっているのか?
自治省からきて 十数年 賞味期限が切れた OBも もうそろそろ引退したらどうだ。
この十数年 落ち目な 兵庫県の名前をけがしていることに 現職も気が付いていない。
どうせ 役人天下だと思っていたら大間違い、沖縄を見れば OBだと思ったら中味が 朝鮮人に置き換わっていた。
彼らは戦前日本名の名字に強制的に変えさせられたと怒るが、実態は 現在は本名を名乗らず『通名』を使い、国籍はと問われると 「在日」とこたえる。(ふざけるな) 日本で活躍したいなら本名を名乗るか、日本国籍をとれ。
社会党も そういう人々が野党として動いた「素晴らしい労働闘争歴史」を 汚してしまった、拉致さえも手伝った輩がいること自体恥!!!!!!。
それを 広く伝える 勝谷氏の存在は 知事だけではなく、自民党、公明党、民進党、共産党、社民党とて安閑としておられないだろう。 朝鮮総連や民団に 金や醜聞を握られた議員はいっぱいいる、マスコミもいっぱいいる、あの山口組でさえ、金を握られ朝鮮人を組長にするなど 山口組の名前を汚す現状。
日本国籍を持たないものが 山口を継ぐわけにいかないと誰も考えなかったのか??????
勝谷さんが 頑張って抵抗勢力となって孤軍奮闘。
しかし マスコミではなく ジイサンバアサンにまで ネットを通じて真実は伝わり始めているようである
勝谷まさひこさんガンバて下さい。
2017年6月25日 勝谷誠彦氏の有料ブログより転載
知事として支配下にある県警を使ってのイヤガラセは目に余るが、私が直接中央の誰にに報告しているかは、知っておけばいい。すべて記録は残っている。その他いろいろも、やって来ることがすべてチンピラのレベルなので、みんなで嘲して、私の書くもののネタをくれていたわけだ。だが、今回のこれだけは私もさすがにガマンできなかった。投票日前にひとつだけ集会を、生まれ育った尼崎でやる。
勝谷まさひこ大集会
日時/6月29日(木)19時から
場所/あましんアルカイックホール 大ホール
http://www.archaic.or.jp/center/arc/
地元である。尼崎市の前の市長は、ご存じの通り、その聡明さと美貌で全国の話題を席捲した白井文さんだ。
<客室乗務員、最年少市長、取締役/磨いたキャリア偶然の結果…岐路で「えいやぁ!」決めただけ>
http://www.sankei.com/west/news/130930/wst1309300079-n1.html
<42歳のとき、女性では全国最年少として兵庫県尼崎市長に就任し、2期8年つとめた白井文さん(53)。客室乗務員から人材コンサルタントを経て政治家に転身し、現在は企業で取締役を務める「華麗な経歴」を持つが、意外にもいずれも強く目指してきたわけではないという。「計画性がなくやってきた」と話す白井さんに、女性が社会で活躍するコツを聞いた。>
文ちゃんはね、本当の小学校の同級生なのだ。おわかりだと思うが、この時代の同級生というのは、もう男も女もなくて「そやな」の世界である。その彼女が、当時の仲間を集めてくれたことは、過去にも書いた。もちろん、明日のアルカイックホールでの集会には馳せ参じてくれる。何をおいても来てくれる。しかしその彼女から、私が知る限り泣き言などいわずに、こんなアホにずっとつきあってくれていた文ちゃんから言葉がきたのだ。「あちらからの恫喝がすごい」と。
ナメんなよ、と敢えて言っておく。選挙に通るかどうかはわからない。しかし、私は天下の私である。このささやかな文章と発信力だけで勝負している。選挙はそれは、時の運もあるが、ずっと私は私だ。私の愛するひとたちに対する、恫喝、脅迫その他は、許さない。地獄まで私がついていくと考えていて欲しい。こんなこと書くとマイナスなのだろうなあ。でも、こんな私のために戦っていてくれる人々のためにかく書き遺くのである。
いつものようにこつこつと神戸市内を中心にまわった。センター街も歩いた。自分がこんなことができるとは考えてみたこともなかった。笑顔を作れるのである。これ、心からなのだよ。ひとつにんげんとして脱皮したのかなと。だったらこれはこれで良かったのではないかとも考える。
読者の方々が現場に駆けつけてくれている。相手の陣営には想像を絶する光景であろう。義勇兵が来るのである。「申告」をすると受ける側もヴェテランなので、一瞬でわが陣営の力となる。あるひとが言っていた。「事務所に来るひとはいちおう身体検査せんと、あかんのですが、今回は読者だというだけで、そのまま入ってれられるのが凄い」と。そんなこと、あまり考えていないのだが。
いくつかの場所を回るというのは、なかなか勇気がいることである。告示前はもちろんひとはこない。でも予習をさせてもらった。だいたい、共産党の関係者と出会う。候補が演説をしている。以前に書いたが、ご挨拶に行く。私は共産党のひとたちが大好きだ。「論」はいくつもあって「論」で「世論」となる。別の考え方がなくては民主主義は進まない。共産党には、とても大切なことをやってもらっている。
この体験を今に重ねることを封印している。でも、ちょうど選挙戦もまんなかを過ぎたのでいいか。
きょう、初めて言った。ほとんどのひとには何の関係もないことだが、私が生き抜いてきたその感触を伝えたかったのだ。選挙の結果にかかわらず、私が私がやってきたことを覚えて欲しいと。
マイクを持って語りかけるとみんながドッとわいてくれる。これは過去の「革命」がおきたところてずっと体験してきたことだ。その「空気」が理解できるのは、日本国に何人もいない。それを言いたいのだがが、声高は嫌いだ。
いまの日本国で命を賭けるということがいかに難しいか、やできたひとがどうなのかと、聴きたかったのたが、まあ、私もたいしたことがない。ちょっと前はウクライナか。私も老いたなあ。でもアアルタイムでそれを識ってくれていたみなさんは貴重だ。
小林麻央さんは、乳がんを発病した当初の本心をブログにつづっている。「誰にも知らせず、心配をかけず、見つからず」できるなら、息をひそめて静かな闘病生活を送りたい。
その通りだと思う。知事としてどう言えるのなのだが、私はその地位にあれば、たかだかと言葉を掲げていたいのだ。まことに難しい。通じるものがある。
勝谷まさひこ大集会
日時/6月29日(木)19時から
場所/あましんアルカイックホール 大ホール
http://www.archaic.or.jp/center/arc/
地元である。尼崎市の前の市長は、ご存じの通り、その聡明さと美貌で全国の話題を席捲した白井文さんだ。
<客室乗務員、最年少市長、取締役/磨いたキャリア偶然の結果…岐路で「えいやぁ!」決めただけ>
http://www.sankei.com/west/news/130930/wst1309300079-n1.html
<42歳のとき、女性では全国最年少として兵庫県尼崎市長に就任し、2期8年つとめた白井文さん(53)。客室乗務員から人材コンサルタントを経て政治家に転身し、現在は企業で取締役を務める「華麗な経歴」を持つが、意外にもいずれも強く目指してきたわけではないという。「計画性がなくやってきた」と話す白井さんに、女性が社会で活躍するコツを聞いた。>
文ちゃんはね、本当の小学校の同級生なのだ。おわかりだと思うが、この時代の同級生というのは、もう男も女もなくて「そやな」の世界である。その彼女が、当時の仲間を集めてくれたことは、過去にも書いた。もちろん、明日のアルカイックホールでの集会には馳せ参じてくれる。何をおいても来てくれる。しかしその彼女から、私が知る限り泣き言などいわずに、こんなアホにずっとつきあってくれていた文ちゃんから言葉がきたのだ。「あちらからの恫喝がすごい」と。
ナメんなよ、と敢えて言っておく。選挙に通るかどうかはわからない。しかし、私は天下の私である。このささやかな文章と発信力だけで勝負している。選挙はそれは、時の運もあるが、ずっと私は私だ。私の愛するひとたちに対する、恫喝、脅迫その他は、許さない。地獄まで私がついていくと考えていて欲しい。こんなこと書くとマイナスなのだろうなあ。でも、こんな私のために戦っていてくれる人々のためにかく書き遺くのである。
いつものようにこつこつと神戸市内を中心にまわった。センター街も歩いた。自分がこんなことができるとは考えてみたこともなかった。笑顔を作れるのである。これ、心からなのだよ。ひとつにんげんとして脱皮したのかなと。だったらこれはこれで良かったのではないかとも考える。
読者の方々が現場に駆けつけてくれている。相手の陣営には想像を絶する光景であろう。義勇兵が来るのである。「申告」をすると受ける側もヴェテランなので、一瞬でわが陣営の力となる。あるひとが言っていた。「事務所に来るひとはいちおう身体検査せんと、あかんのですが、今回は読者だというだけで、そのまま入ってれられるのが凄い」と。そんなこと、あまり考えていないのだが。
いくつかの場所を回るというのは、なかなか勇気がいることである。告示前はもちろんひとはこない。でも予習をさせてもらった。だいたい、共産党の関係者と出会う。候補が演説をしている。以前に書いたが、ご挨拶に行く。私は共産党のひとたちが大好きだ。「論」はいくつもあって「論」で「世論」となる。別の考え方がなくては民主主義は進まない。共産党には、とても大切なことをやってもらっている。
この体験を今に重ねることを封印している。でも、ちょうど選挙戦もまんなかを過ぎたのでいいか。
きょう、初めて言った。ほとんどのひとには何の関係もないことだが、私が生き抜いてきたその感触を伝えたかったのだ。選挙の結果にかかわらず、私が私がやってきたことを覚えて欲しいと。
マイクを持って語りかけるとみんながドッとわいてくれる。これは過去の「革命」がおきたところてずっと体験してきたことだ。その「空気」が理解できるのは、日本国に何人もいない。それを言いたいのだがが、声高は嫌いだ。
いまの日本国で命を賭けるということがいかに難しいか、やできたひとがどうなのかと、聴きたかったのたが、まあ、私もたいしたことがない。ちょっと前はウクライナか。私も老いたなあ。でもアアルタイムでそれを識ってくれていたみなさんは貴重だ。
小林麻央さんは、乳がんを発病した当初の本心をブログにつづっている。「誰にも知らせず、心配をかけず、見つからず」できるなら、息をひそめて静かな闘病生活を送りたい。
その通りだと思う。知事としてどう言えるのなのだが、私はその地位にあれば、たかだかと言葉を掲げていたいのだ。まことに難しい。通じるものがある。
がんばれー