パルデンの会

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中国、ソ連、は 共産主義のとんでもない国であった、しかし今も他国を侵略するとんでもない国、我々でさえ過去の彼らのやってきたことを消されてしまっている

与野党議員がなぜ 中国やロシアの肩を持つのか?経済的とは言うがその前に、共産主義社会主義に溺れていないのか???

 

いわれなき罪 樺太で逮捕、ソ連を転々 「置き去り」にされた民間人

毎日新聞 2022/5/28 15:15(最終更新 5/28 21:26) 有料記事 5153文字
 
共同墓地の阿彦哲郎さんのプレート=札幌市南区で2022年4月23日、青島顕撮影
共同墓地の阿彦哲郎さんのプレート=札幌市南区で2022年4月23日、青島顕撮影

 かつて南樺太と呼ばれた土地にゆかりのある人々の共同墓地が、広大な霊園の一角にある。札幌中心部から約15キロ離れた藤野聖山園。訪れたのは、冷たい雨が落ちる4月下旬の肌寒い日だった。墓参の季節にはまだ早く人影はなかった。

 共同墓地には、第二次大戦を境にソ連(現ロシア)に占領され、サハリンと名を変えた地に残った人たちと、そこからソ連本土に送られ、波乱の人生を送った人たちが眠る。軍人ら約60万人の「シベリア抑留」はよく知られているが、こうした集団での強制労働とは別に、民間人が個別に「置き去り」にされたというのが実態だ。

 霊園の入り口近くに、日本とサハリンに見立てた高さ約2メートルの2本の墓石が建立され、大地を行き来するカモメがデザインされている。支援者たちが「魂の集まる場所に」と募金し、2016年に建てた。

 墓誌には54人の名が刻まれている。その一つに「阿彦(あひこ)哲郎 1930年11月15日―2020年6月17日」と表記してある。

いわれなき罪で逮捕、ソ連を転々

 樺太南部・本斗(現ネベリスク)に生まれ、満14歳で終戦を迎えた。地元の造船所に勤めたが、48年夏、ソ連に突然逮捕された。自由剥奪10年の判決を受け、船で大陸に送られた。北海道庁の記録には「軍人関係として連行された」とあるが、14歳という年齢を考えると正規の軍人、もしくは軍関係者であるのは不自然ではないか。本人は周囲に「いわれがない。誰かに密告されたのか」と訴えていたという。

 ソ連各地をたった一人で転々とした。「永住帰国申立書」などによると、ロシア極東のウラジオストクハバロフスク地方の炭鉱で働かされた後、日本から西に5000キロ以上離れたカザフ共和国(現カザフスタン)へと移動させられた。行き着いた先はジェスカズガン。荒涼とした平原で、過酷な銅鉱石の採掘に当たらされた。約3年で「骨と皮ばかり」の体になり、同じカザフのスパスク収容所に移される。そこは、戦争で手足を失った人や重病人ら「死を待つ人たち」が収容されていた。阿彦さんは洗濯係をしながら、埋葬に備えて凍土を掘り起こす作業に駆り出されたこともあったという。

 転機は独裁者、スターリンの死。54年ごろ刑期を待たずに収容所を出されたが、帰国は許されなかった。

 それから40年もの歳月が流れた。ソ連から独立したカザフスタンには日本大使館が開設された。陸上自衛隊から出向して派遣された佐野伸寿さん(57)は94年、阿彦さんと面会し、一時帰国の願いをかなえた。

 「言葉の分からない世界にたった一人放り込まれ、どうやって生きて…

 

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