パルデンの会

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ラダックの秘境ザンスカール  辺境の街 レーでベーカリー兼カフェをにカフェを開業 「全てのことを諦めず、ゆっくりゆっくりと続けていく」

【アジアで会う】上甲紗智さん 旅行代理店運営

第465回 ラダック在住13年、ゆっくり歩む(インド)

じょうこう・さち 1981年12月18日大阪府生まれ、滋賀県育ち。大学卒業後に日本で秘境系の旅行代理店に就職。インド北部ラダックにツアー添乗員として渡航した際に出会った同地出身の男性と2009年に結婚し、翌年インドに移住。夫が立ち上げた旅行代理店を軌道に乗せ、今年カフェを開業。趣味はクラシックギター

民族衣装を着て第4男を抱き上げる上甲さん(本人提供)
民族衣装を着て第4男を抱き上げる上甲さん(本人提供)

チベット仏教徒が数多く暮らすインド北部のラダック。チベット僧が在籍するゴンパ(僧院)が点在し、山々が連なる大自然と相まって独特の魅力を生んでいる。

そんなラダックの中心都市レーに2010年3月に移住した。在住歴は13年に及ぶ。魅力は人や自然。電気や通信事情の悪い辺境の都市に住み続けられる秘訣(ひけつ)は、「自分の好きなようにやること。ラダック式に身を任せないで、あの人は何言っても聞かないと周りを諦めさせる」ことだと話す。

■意図せずチベット圏の専門に

大阪の都会で生まれるも、両親の自然好きから6歳の時に滋賀県の琵琶湖のほとりに引っ越した。幼少期から両親に連れられて自然が多い海外各国を訪れ、大学在学中はカナダに1年留学。卒業後は秘境を多く訪れる旅行会社に就職した。旅好きだったというよりは、習得した英語を生かしたいと考えたからだ。

志願したわけでもなく、旅行会社では次第にチベット圏への添乗を任されることが多くなった。「チベット圏の多くは標高が高く、体質的に合わない人もいる。(自分は)高度適応ができる体質だったため後半はチベット圏の専門みたいになっていた」。

中国・チベット自治区のラサ、ネパールのムスタンといった秘境を訪れるうち、ヒマラヤの大自然チベット文化そのものに惹かれていった。08年に初めてラダックの秘境ザンスカールを訪れた時、ガイドとして同行した同地出身のヤンペルさんと10年に結婚。いまでは四男の母となった。

「ラダックの人は、デリーとかラダック以外から来る人のことを『ギャガルパ(ラダック語でインド人の意)』と外国人みたいに呼ぶんです」――そのくらい文化的な違いが大きい。ラダックには優しい人が多く、日本人ほどきっちりしていないけど、インド人ほどルーズじゃない。その中間でちょうどいいという。

日本で出産した長男を除く男子3人をラダックで生んだ。三男は自宅出産だ。「ラダックでは自宅で出産する人は全くいない」ため、すっかり変わった人扱いだった。子育てでも「子どもの服はこう着せたほうがいい」などと村の人からアドバイスされることが多いが、あまり真に受けずに自分のやり方を貫いてきたことが、長年住み続けられる秘訣にもなっていると振り返る。

■辺境の街にカフェを開業

ラダック移住時、ほとんど客がなかった旅行代理店は、ブログを中心とした集客で軌道に乗った。客は99%が日本人。添乗員は夫のヤンペルさんが務めている。

ラダックでおすすめの場所は、ヤンペルさんの出身地でもあるザンスカール。標高3,500メートルのレーから、さらに車で10時間ほどの場所にある秘境だ。ザンスカールからすると「レーは大都会」と呼べるほどで、雄大な自然の中で昔ながらの暮らしを営む村々が点在する。

ラダックの秘境ザンスカールの風景(上甲さん提供)
ラダックの秘境ザンスカールの風景(上甲さん提供)

現在は客足が戻ってきているが、新型コロナウイルス禍には客がゼロになった。やむなく寄付を募ったり、支援を得たりして、「この旅行代理店はつぶせない。将来また何があっても食いっぱぐれないようにしなければ」と新規事業を模索。今年7月にレーでベーカリー兼カフェを開業した。

旅行代理店の事務所をカフェに改装した。代理店業務の傍ら、深夜に焼き上げる自家製のパンやお菓子が並ぶ。食材の品質にこだわり、パンやコーヒーは「ラダックではほかにないクオリティー」と自負する。

欧米の旅行者や地元の人の利用が多く、店の運営は順調。ほかにも、おととしには自家製ヨーグルトの販売を始めたりと、子育てをしながら日々忙しく働く。急成長は求めていない。それでも現在手がける「全てのことを諦めず、ゆっくりゆっくりと続けていく」決意だ。(インド版編集・榎田真奈)