パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

「ロシア衰退は幻想で西洋が崩壊に向かっている」

「ロシア衰退は幻想で西洋が崩壊に向かっている」 ソ連崩壊を予見した歴史学者が警告

配信

クーリエ・ジャポン

フランスで新著『西洋の敗北』(未邦訳)が刊行された歴史家・人類学者のエマニュエル・トッドに仏紙「フィガロ」がインタビューした。トッドは1976年の著書『最後の転落』でソ連崩壊を的確に予見したことで知られる。新著でトッドは「西洋の敗北」を予言し、その証明となる3つの要因を提示する──。 【画像】エマニュエル・トッドが指摘する日本とロシアの「共通項」

西洋の凋落を証明する「3つの要因」

──2023年に弊紙から受けたインタビュー「第三次世界大戦はもう始まっている」が、今回の新著を書くきっかけになったと伺っています。すでに西洋は敗北を喫したとのことですが、まだ戦争は終わっていませんよね。 戦争は終わっていません。ただ、ウクライナの勝利もありえるといった類の幻想を抱く西側諸国はなくなりました。この本の執筆中は、それがまだそこまではっきり認識されていなかったのです。 昨年の夏の反転攻勢が失敗に終わり、米国をはじめとしたNATO諸国がウクライナに充分な量の兵器を供給できていなかった事態が露呈しました。いまでは米国防総省の見方も、私の見方と同じはずです。 西洋の敗北という現実に私の目が開かれたのは、次の三つの要因によるものでした。 第一の要因は、米国の産業力が劣弱だということです。米国のGDPにはでっちあげの部分があることが露わになりました。私は今回の本で、膨らまされた米国のGDPを本来のサイズに戻し、米国の産業力の衰退の真因を示しました。1965年以降の米国ではエンジニアの数を充分に育成できていないのです。さらに言うと、米国では全般的に教育水準の低下が起きています。 西洋を没落させた第二の要因として、米国でのプロテスタント文化の消失が挙げられます。今回の本は、言ってみれば、ドイツの社会学マックス・ヴェーバーが著した『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の続編です。 ヴェーバーは、1914年の第一次世界大戦勃発の前夜、西洋勃興の中核は、プロテスタント世界の発展だと的確に見抜きました。プロテスタント世界とは、この場合、英国、米国、プロイセンによって統一されたドイツ、北欧諸国を指します。 フランスがラッキーだったのは、これらの先頭集団を走る国々に地理的に近かったから、くっ付いていけたところです。 プロテスタントの国々では、教育水準が人類史上類例のないほど高くなり、識字率もきわめて高くなりましたが、それは全信徒が聖書を一人で読めなければならないとされたからでした。 また、地獄落ちの不安があるゆえに、自分は神に選ばれているのだと実感したくなり、それが勤勉に労働する意欲につながり、個人も集団も強い道徳規範を持つようになりました。 もちろんプロテスタント文化には負の側面もあります。米国の黒人差別やドイツのユダヤ人差別など、最悪の人種差別はプロテスタント文化に端を発しています。プロテスタントの思想には、人を地獄落ちの者と神に選ばれた者に分けるところがあり、そのせいでカトリック式の人類みな平等の考え方が放棄されたのです。 いずれにせよ、教育水準の向上と勤勉な労働意欲は、プロテスタントの国々の経済と産業力を大きく発展させました。いまはその正反対です。 近時はプロテスタント文化が崩れ、それによって知的水準が下がり、勤勉な労働意欲が消え、大衆が欲深さを露わにしています(この事象の正式名称はネオリベラリズムと言います)。その結果、西洋は発展せずに、没落に向かっているのです。 もっとも私は過ぎ去った時代を懐かしみ、いまの社会が道徳的観点から嘆かわしいというお説教がしたくて、この種の宗教的要素の分析をしているのではありません。私は歴史の事実を指摘しているだけです。 それにプロテスタント文化が消えたので、それにつきものだった人種差別も消えたわけです。米国にオバマという初の黒人大統領が選出されたのも、そういった背景があります。その点においては、プロテスタント文化の消失は、このうえなく喜ばしいものなのです。 ──第三の要因は何ですか。 西洋が敗北することになった第三の要因は、非西洋世界が西洋よりもロシアを好むようになったことです。ロシアの周りには、あまり目立たないように行動している経済的同盟国が数多く出てきています。 ロシアが西側の経済制裁の衝撃を持ちこたえると、ロシアが持つ保守的なソフトパワー(反LGBT)が力を発揮しはじめ、エンジン全開になっているのです。 非西洋世界から見たとき、私たち西洋諸国の新しい文化は、とても正気には思えないのです。これも私は人類学者として事実を指摘しているだけです。昔のほうがよかったとお説教をしたくて言っているのではありません。 そもそも私たち西洋の生活は、低賃金で旧第三世界の男性や女性や子供を働かせて成り立っているわけですから、西洋の道徳規範に説得力はありません。 私たちの周囲には、何事も感情的に受け止めて、四六時中、道徳の観点から他人を非難しようとする空気があります。今回の本では、そういったところから離れて、地政学の情勢を冷徹に分析して、その結果を示そうとしました。 ここからは私の知的カミングアウトの始まりです。私が関心を寄せているのは、ウクライナでの戦争の根底にある原因、言いかえるなら長期持続に着目したときに見えてくる戦争の原因です。 私にとってエマニュエル・ル・ロワ・ラデュリは、史家として精神的父親でした。私はそんな彼の昨年の死が悲しくてたまらず、ここですべてを洗いざらい打ち明けます。私はロシア政府の工作員ではありません。私はフランスの歴史学の一派であるアナール学派に連なる最後の者として語っているのです。

西洋メディアは事実を報じていない

──これは本当に世界大戦なのでしょうか。また、その世界大戦の勝者がロシアだったと本当に言えるのでしょうか。むしろ現状が維持されているように見えます。 たしかに米国は現状維持を模索しています。それができれば米国の敗北を隠せますからね。しかし、ロシアはそれをさせないはずです。ロシアは産業力や軍事力で当面、自国のほうが優勢だとはわかっています。 ただ、近いうちに自分たちの側に人口面での弱さが出てくることもわかっています。だからプーチンは兵員をできるだけ減らさずに、戦争の目標を達成しようとしており、それで時間がかかっているわけです。 せっかくロシア社会を安定化させられたのだから、その成果を維持したのです。プーチンは再軍事化の道を避け、経済発展の道を進み続けようとしています。 ただ、ロシアには、これから人口が少ない世代が出てくるので、数年後(3、4年後、あるいは5年後)には軍隊の新兵募集で苦労することもプーチンは承知しています。つまり、ロシアとしては、いまウクライナNATOに対して一気に畳み掛けなければならないのです。 勘違いしてはいけません。ロシアの軍事行動はこれから激しくなります。西側諸国は、相手の論理や理屈、強みや弱みをふまえながら考えることを放棄していて、全般的に何も見えていません。そのせいで発する言葉も、もやもやのなかを漂うだけです。 軍事に関していえば、ウクライナと西側諸国が最悪な事態に見舞われるのはこれからです。ロシアがおそらく狙っているのは、ウクライナの領土の4割とウクライナの中立化です。 プーチンは、オデーサをロシアの都市だと述べたのですよ。それなのに私たちが見る西側のテレビでは、前線が安定化していると報じている有様です。(続く) 続編では西側諸国の弱体を示す数値として「乳児死亡率」を挙げる。「ロシアの経済停滞は幻想だ」と語るトッドに、記者は「ロシアにへつらっているのでは?」と切り込むが……。

 

ロシア社会は「停滞してなどいない」


──西洋が衰退している指標の一つとして乳児死亡率を挙げています。この指標は何を示すものなのですか。

私は1970年から1974年にかけてロシアの乳児死亡率が上昇しているのを見つけ、その後、ソ連が乳児死亡率の統計を公表しなくなったので、1976年に出した自著『最後の転落』で、ソ連にもはや未来はないという判断を下しました。

ですから、この乳児死亡率という指標は、それなりの価値があることは実証済みです。いまこの乳児死亡率を見ると、米国は西側諸国のすべてに遅れをとっています。最も先進的なのは北欧諸国と日本ですが、ロシアも進んでいます。
フランスはロシアよりも前にいますが、乳児死亡率が再上昇しかねない動揺のようなものが見受けられます。いずれにせよフランスはベラルーシに遅れをとっているのです。

これが意味するのは、要するに、ロシアについて語られている事柄がしばしば間違っていることです。

ロシアは、その権威主義の側面が強調され、衰退の一途を辿る国のように言われています。そのせいでロシアが急速に建て直されてきたことが目に入っていません。たしかにロシアの凋落は著しいものでしたが、ロシアはそこから驚異的な立ち直りを見せているのです。

そういった数字を解説することもできますが、まずは西側のメディアが喧伝している話とは異なる現実があるのだということを受け入れる必要があります。ロシアが権威主義的な民主主義国家であることはたしかです。マイノリティを守っていませんし、ロシアのイデオロギーは保守的です。

しかし、ロシア社会は停滞していません。テクノロジーもかなり発展してきており、うまく回っている要素がどんどん増えています。
 
この現実を言うのは、私が実直な歴史家だからです。私がプーチン好きだからではありません。