5月29日、チベット亡命政府元公安大臣、元議長、アラク・ジグメ・リンポチェがチベットの現状について、チベット自由人権日本100人委員会で語った。
中国は、「チベットを封建的政府、地主、僧侶から解放する」という大義名分で、中国が1949年頃から、チベットに侵攻した。
リンポチェは、「当初、期待を持ったチベット人もいたことも事実だが、実際、それはすぐに化けの皮が剥がれた」、と語る。
ダライ・ラマ14世に身の危険が迫り、心配する民衆の懇願の輪も大きくなり、1959年、インドにダライ・ラマは脱出した。
ネパールまでたどり着いた時、インドのネール首相から、「インド国民、政府は歓迎、支持する」という電報が入った」と氏は言う。
そして、インド政府が提供した、北インドのヒマチャルプラディーシュ州のダラムサラに亡命政府が樹立された。
「1957年~58年頃には、中国によるチベット人の虐殺はすさまじいものだった。大砲を撃ち殺戮した人々を土に埋め、その上を身内の人達に踏ませたようなこともある」と、氏は中国の裁量殺戮のむごい状況を語った。
そういった出来事から、人々の不満は蓄積していった。そして自発的に抵抗運動が始まり、さらにそれが1959年の一斉蜂起につながった。
アラク・ジグメ氏は、パンチェン・ラマ10世ともネパールで会談した経験を持つ。パンチェン・ラマ10世が、中国に提出した、7万語の意見書で、中国の過ちを指摘した。「その中にはその虐殺の詳細も綴っている」という。
そして「9年間獄中生活を過ごした。他のチベット人と同様拷問を受けた」ともいう。彼は1989年謎めいた不慮の死を遂げている。その4日前には中国を批判する声明を発表していた。
これまでに「150万人のチベット人が殺されたり被害にあった」と言う。
中国が行ってきたことは、「資源獲得のための生態系の破壊」もある。森林は大量に伐採され、亡命政府によると70%は消滅したという。それらは、お金に換金され、中国の懐に入った。
最近では、中国は「人為的に川の流れを変えようとしている」ともいう。
また「チベット人の生活は良くなったと言うが、建物の最終的な所有者は皆中国人である。チベット人は安い賃金で働かされている」とも語った。
さらに「中国はチベットは豊かになった、幸せになった、人権が認められていると言うが、であれば何故今でも、これだけチベット人は中国に対して、抵抗しているのか」と述べた。
「中国は問題となることは言わない」と氏は言う。実際、チベット全土に抵抗運動がある。最近では、小学生がデモを行い拘束されている。それほどに問題は深刻ということだ。
中国は、チベット人の宗教行為さえも禁止しているという。2008年のフリーアジアのインタビューに答えた、あるチベット人は、
「チベットには宗教の自由がない。法王の写真も飾れない。祭壇も置けない。五体投地も禁止されている」と証言したという。
これでは信仰の自由が奪われていることになる。
「ダライ・ラマ法王は、中国の憲法の範囲内の高度の自治を要求しているだけ。中国の行為は、まるで狂ったように、無慈悲である」
今ではチベット内のチベット人の役人さえも、抗議しているそうである。
「チベットはひとつであり、リーダーはダライ・ラマ法王である」、「チベットに中国はいらない」、と若い人たちは命がけであるそうだ。
氏はさらに語った。
「地球は一つの家族。世界中が平和になること。そのための努力を、世界の人々に願っている。アフリカ一つとってみても、そこには飢餓がある。慈悲の実践の場はいくらでもある」
青海省の大震災で玉樹地区の死者は2000人と、中国は発表している。しかし、最近行われた、法要に参列したチベット人が記帳した名前から、合計すると2万人もの人が死亡している計算になるという。
ダライ・ラマ14世により承認・認定されたパンチェン・ラマ11世のニマ少年は、幼少期に中国に拉致されている。生きていれば20歳になる。中国は後に拉致を認めている。しかしいまだ行方不明だ。史上最年少の政治犯となってしまった。
そして中国政府はノルブ少年を独自に11世として擁立した。しかし彼はダライラマに認定されているわけではない。
「中国政府は知名度を中国は高めようとしているが、ダライラマ・14世が認知していない、中国政府擁立のパンチェン・ラマ11世をチベット人は誰も信じていない」と氏は最後に語った。
ニュースチベット文化圏 2010年6月1日
日本のチベット抗議運動もいろんな枝葉がありその先で活動をしている。しかし その枝葉には純然たる商業活動、あるいは中国に利する活動もある。
中国は、「チベットを封建的政府、地主、僧侶から解放する」という大義名分で、中国が1949年頃から、チベットに侵攻した。
リンポチェは、「当初、期待を持ったチベット人もいたことも事実だが、実際、それはすぐに化けの皮が剥がれた」、と語る。
ダライ・ラマ14世に身の危険が迫り、心配する民衆の懇願の輪も大きくなり、1959年、インドにダライ・ラマは脱出した。
ネパールまでたどり着いた時、インドのネール首相から、「インド国民、政府は歓迎、支持する」という電報が入った」と氏は言う。
そして、インド政府が提供した、北インドのヒマチャルプラディーシュ州のダラムサラに亡命政府が樹立された。
「1957年~58年頃には、中国によるチベット人の虐殺はすさまじいものだった。大砲を撃ち殺戮した人々を土に埋め、その上を身内の人達に踏ませたようなこともある」と、氏は中国の裁量殺戮のむごい状況を語った。
そういった出来事から、人々の不満は蓄積していった。そして自発的に抵抗運動が始まり、さらにそれが1959年の一斉蜂起につながった。
アラク・ジグメ氏は、パンチェン・ラマ10世ともネパールで会談した経験を持つ。パンチェン・ラマ10世が、中国に提出した、7万語の意見書で、中国の過ちを指摘した。「その中にはその虐殺の詳細も綴っている」という。
そして「9年間獄中生活を過ごした。他のチベット人と同様拷問を受けた」ともいう。彼は1989年謎めいた不慮の死を遂げている。その4日前には中国を批判する声明を発表していた。
これまでに「150万人のチベット人が殺されたり被害にあった」と言う。
中国が行ってきたことは、「資源獲得のための生態系の破壊」もある。森林は大量に伐採され、亡命政府によると70%は消滅したという。それらは、お金に換金され、中国の懐に入った。
最近では、中国は「人為的に川の流れを変えようとしている」ともいう。
また「チベット人の生活は良くなったと言うが、建物の最終的な所有者は皆中国人である。チベット人は安い賃金で働かされている」とも語った。
さらに「中国はチベットは豊かになった、幸せになった、人権が認められていると言うが、であれば何故今でも、これだけチベット人は中国に対して、抵抗しているのか」と述べた。
「中国は問題となることは言わない」と氏は言う。実際、チベット全土に抵抗運動がある。最近では、小学生がデモを行い拘束されている。それほどに問題は深刻ということだ。
中国は、チベット人の宗教行為さえも禁止しているという。2008年のフリーアジアのインタビューに答えた、あるチベット人は、
「チベットには宗教の自由がない。法王の写真も飾れない。祭壇も置けない。五体投地も禁止されている」と証言したという。
これでは信仰の自由が奪われていることになる。
「ダライ・ラマ法王は、中国の憲法の範囲内の高度の自治を要求しているだけ。中国の行為は、まるで狂ったように、無慈悲である」
今ではチベット内のチベット人の役人さえも、抗議しているそうである。
「チベットはひとつであり、リーダーはダライ・ラマ法王である」、「チベットに中国はいらない」、と若い人たちは命がけであるそうだ。
氏はさらに語った。
「地球は一つの家族。世界中が平和になること。そのための努力を、世界の人々に願っている。アフリカ一つとってみても、そこには飢餓がある。慈悲の実践の場はいくらでもある」
青海省の大震災で玉樹地区の死者は2000人と、中国は発表している。しかし、最近行われた、法要に参列したチベット人が記帳した名前から、合計すると2万人もの人が死亡している計算になるという。
ダライ・ラマ14世により承認・認定されたパンチェン・ラマ11世のニマ少年は、幼少期に中国に拉致されている。生きていれば20歳になる。中国は後に拉致を認めている。しかしいまだ行方不明だ。史上最年少の政治犯となってしまった。
そして中国政府はノルブ少年を独自に11世として擁立した。しかし彼はダライラマに認定されているわけではない。
「中国政府は知名度を中国は高めようとしているが、ダライラマ・14世が認知していない、中国政府擁立のパンチェン・ラマ11世をチベット人は誰も信じていない」と氏は最後に語った。
ニュースチベット文化圏 2010年6月1日