パルデンの会

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トルコが、あの「エルトールル号」を再現し、日本へ友好の航海を決定   125年前の悲劇と救出の美談で日本との友情が築かれた



ウイグル人は自分たちの事を 東トルキスタン人(東方のトルコ人
と呼ぶ、 中国から逃れてトルコにたどり着き トルコのパスポートを
もらい、家族を呼び寄せる人々が 東南アジアに 数千人から数万人
の規模で さ迷っています。 日本とトルコの関係から これを支援
できないのでしょうか???

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成27年(2015)1月6日(火曜日)
通巻第4432号 <前日発行>
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 トルコが、あの「エルトールル号」を再現し、日本へ友好の航海を決定  125年前の悲劇と救出の美談で日本との友情が築かれた


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2015年1月3日、トルコと日本との合弁・
鉄鋼工場がトルコ国内にオープンした。
そのテープカットに臨んだアフメト・ダウトォール首相は「
すでにトルコ軍統幕議長のネスト・オザル将軍との合意に基づき、エルトールル号を再現し、日本へ昔のインド洋ルートを冒険航海し、友好親善の両国関係を深めたい」と記者会見した。

エルトールル号の悲劇といえば、
トルコの小学校教科書にも載っている。
オスマン・トルコ皇帝の命令により、
明治維新後まもない日本に派遣された三本のマストからなる帆船のフリゲート艦で、エルトールル号は皇帝の名前に由来する。
乗員ら使節団は明治天皇にも拝謁し、各地で歓迎された。

その帰路、和歌山県串本沖で遭難し、
乗組員580名が遭難したが、串本の漁民等の必死の救助活動によって69名が助け出された。
日本は生存者を軍艦二隻に分乗し、トルコへ送り届けた。
その送迎使節団には若き日の秋山真之も加わっていた。

被災から二年後に巨額の義援金をあつめて旧沼田藩家老の末裔だっ
山田寅次郎がトルコを訪問した。

皇帝と拝謁したおり、
トルコに残って教育をして欲しいと懇請され、武士道精神などを教えている。その教え子のひとりがケマル・アタチュルク(近代トルコ建国の父)だったことはあまりにも有名だろう。

そして125年を閲した。

帆船を再現し、同じルートを航海させて日本へやってくるのは、
あたかも中国が「鄭和艦隊」を再現し、アジアからアフリカ諸国に友好航海にでたように、トルコの国威発揚でもあり、とりわけ目的地を日本としたところに歴史的意義がある。

実際の航海がいつになるかは未定だが、
日本への航海が成功すれば、マスコミも感動をこめて報道し、日本人のトルコ贔屓にも貢献するだろう。