パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

漂流する墓> 寺や神社が消えることでの「物的崩壊」は既に進行中だが、同時に 「心の崩壊」へと広がっていく危険性もある。





イメージ 1
イメージ 2

福沢諭吉先生のミイラから死後を考える

漂流する墓(上)
2015年2月10日(火)  鵜飼 秀徳 イメージ 3
最初の福沢諭吉墓所にある常光寺の碑。諭吉の改葬について書かれている
 福沢諭吉先生がミイラになって現わる――。
 にわかに信じ難いこの話が取り沙汰されたのは、今から38年前だ。
 ミイラが発見された場所は東京都品川区上大崎の常光寺(浄土宗)である。諭吉の死から数えて76年後、なぜ、諭吉が掘り起こされたのか。
 これから紹介するエピソードは、考古学や解剖学などの分野の話ではない。今後、多くの団塊世代が抱えるであろう「お墓にまつわる悩ましい問題」を先取りした1つの事例として見ていきたい。

土葬された諭吉

 福沢諭吉は1901年(明治34年)2月3日に脳出血が原因で死去したと伝えられている。享年68歳だった。葬儀は、福沢家の菩提寺である麻布十番の善福寺(浄土真宗本願寺派)で執り行われた。
 通常、「葬儀」と「埋葬」が切り離されて、別々の寺で行われることはない。
 しかし、諭吉は生前、散歩の際、常光寺(※)周辺の眺望が良かったことから、「死んだらここに」と、常光寺の墓地を手に入れていた。常光寺は善福寺からは約2.5km離れている。
  最近では、寺檀関係が煩わしいと考える人は、「好きな場所」に「好きな埋葬法」を求めるケースが増えているが、地縁・血縁がしっかりと根付いていた明治期 に、気ままに墓を求めたのはかなり珍しいケースではなかっただろうか。往年の諭吉がなかなかの自由人であったことが読み取れる。
※ 本当は常光寺の隣にあった、無住の本願寺(浄土宗)の墓地に埋葬されたがその後、近辺の寺院再編によって墓地が常光寺に編入された

宗旨の異なる寺に埋葬

 ところが、自分の好きな場所に墓を求めたことが諭吉の死後、思いもよらない混乱を引き起こす。
 先に述べたように福沢家の宗旨は浄土真宗であった。ところが埋葬された寺は浄土宗だ。両宗は同じ浄土系とはいえ、経や教義、仏事の作法などが異なる。戒名の付け方も異なる。
 他宗の寺同士が仏事で連携し合うということも、よほどの例外を除いてはあり得ない。浄土真宗の僧侶が、浄土宗の寺の敷地で経を上げるという、ちぐはぐなことにもなりかねない。
 また、親族にとってみれば墓参りの場所が複数にまたがるという面倒が生じる。将来的には、諭吉の子供や孫たちの、埋葬場所はどうするか、など、ややこしい話が次から次へと出てくる可能性がある。
  その問題が噴出したのが、常光寺の本堂建設の局面だった。建設資金を集め、寺を維持管理していくための護持会が発足し、その会則に「常光寺に墓所を持つ檀 家は浄土宗信徒であること」「信徒でなければ改宗すること」「改宗できなければ、墓を移転すること」などが明記された。決断を迫られた諭吉の遺族は常光寺 からの撤退を決める。
 そうして本来の菩提寺である麻布十番の善福寺への「改葬」(墓の引っ越し)が実施されることになった。1977年5月のことだ。
イメージ 4
善福寺に改葬された現在の諭吉の墓

ついに“ミイラ”発見

 いよいよ諭吉の墓が掘り返されることになった。
 まず2mほど掘ったところで、「福沢諭吉先生永眠之地」との銘が刻まれた石が出てきた。さらに地下3mの地点で、錦(きん)夫人の遺骨が出てきた。
 そして、ついに地下4mの地点で諭吉の棺が見えた。棺を開け、関係者がのぞき込むと、中は冷たい伏流水で満たされ、着物を着た諭吉が「寝ていた」という。
  驚いたことに白骨化することなく、諭吉は蝋のような状態で“保存”されていた。当時を知る関係者によると、諭吉の遺体には大量の「お茶の葉」がまとわりつ いていたという。「ご遺体が抗菌作用のある茶の葉と、冷たい伏流水に浸かった状態だったため、奇跡的に生身のまま残ったようです」(関係者)。
 想定外の出来事に親族は対応について苦慮し、大学関係者とも話し合われたが、結局遺族の意向を尊重し、諭吉は荼毘に付され(火葬され)た。
 そして、予定通り、錦の遺骨や墓石とともに、善福寺に移された。
  想像の域を出ないが、諭吉の墓の改葬が38年前でなく、現在であれば、ひょっとしてすぐに火葬されなかったかもしれない。奇跡的な保存状態で見つかった諭 吉の遺体からは、DNAが採取できた可能性がある。慶応義塾大学医学部に遺体の一部でも保存することが真剣に検討されたかもしれない。
 だが、そうした“ミイラ”騒動など何事もなかったかのように、現在、諭吉は善福寺に静かに眠っている。
 こうした改葬が、「ここ2~3年で急に増えてきた」と語る寺院関係者は多い。
 そして福沢家の改葬を地でいく、現代のトラブル事例も現れてきている。
イメージ 5
地域の名士の土葬墓。ここまで大きな墓の改葬は大変だ(長崎県宇久島

骨なき「改葬」

 京都市のある古刹に、千葉市に住む初老の夫婦が訪れたのが5年ほど前のことだった。
  「私たちは京都が好きで毎年、訪れています。死んだら京都に埋まりたいと考え、思い切って訪ねた次第です。ご先祖様の墓地は東京にありますが、そこには長 男夫婦が入る。私は三男だから、入る墓がありません。それに首都圏の霊園は高いし、立地のいいところはなかなか空いていないのです。自分や妻が入るのは 10年後か20年後になるか分からないけれど、自分の墓は早めに買って、安心して余生を送りたい」
 福沢諭吉の墓地を巡る経緯と、何となく似ている。
 この寺は著名な観光寺院が立ち並ぶ立地で、隠れた桜の名所でもある。
 ところが住職は「一見さんはちょっとな……。京都にはもっと大きなお寺や、誰でも受け入れてくれるお寺があるさかい、そこに行かはったらええんちゃうかな」と京都人らしく、やんわり断った。それでも男性は「そこをなんとか」と言って、譲らない。
 結局、男性は大手企業の幹部を証明する名刺を差し出し、信用を得た上で、住職に檀家入りを認めさせてしまった。住職もそこまで言われて、檀家入りを拒否する理由はない。
 男性は意気揚々と120万円する墓地の仮契約を済ませ、早々に墓石も建ててしまった。その後、年1万2000円の墓地管理費は毎年きちんと振り込まれている。
 この男性の場合、「ご先祖様」はいないので、夫婦いずれかが死ぬまで、金銭のやり取りのみの寺檀関係となる。むろん、カネさえきちんと寺に支払えば、何の問題もない。
 ところが2014年春、この夫婦が久しぶりにやってきたかと思うと、住職の前で深々と頭を下げた。
 「息子が『そんな勝手なこと許さない』と言って、譲らないのです。『親父が死んだら、誰が京都の寺の面倒を見るんだ。京都にも寺にも興味がないオレが、毎年毎年何万円もするカネを、自分とは関係のない寺に支払うなんてバカげている』と」
 仕方なく夫婦は、建てたばかりの墓の「改葬」を申し出た。数十万円もした墓石は、結局、新たに都内に購入した霊園に移設するという。
 京都の寺の墓に骨は入っていないので、行政上の改葬手続きは不要だが、住職はカンカンだ。
 「親も親なら、子供も子供。企業のエリートか何か知らんけど、みんな個人主義で自分さえ良ければいいと考えている。これも核家族の弊害ですわ」
イメージ 6
いずれも改葬された墓地跡(長崎県宇久島で)

漂流する墓の時代

  「今、団塊世代が田舎に住む親を、都会に呼び寄せています。そして両親が死んだ段階で墓も自分たちの生活圏に移す。それは地方から都市だけでなく、都市か ら地方への移動も含め、墓が日本全国を大移動するという“墓の漂流“の時代が、この先20年くらいでやってくる可能性があります」
 こう語るのは日本宗教学会理事で、淑徳大学兼任講師の武田道生さんだ。
 先ほど安易に墓地を求めた結果、家族や親族トラブルに遭い、結果的に改葬せざるを得ないケースを挙げたが、こうした社会の構造変化に伴う改葬も実際には増えている。
 「墓が漂流する時代」はもう既に始まっていると言っていい。その典型例を紹介しよう。
 東京都足立区のある浄土宗寺院の元に2014年12月、群馬県内の寺の住職から1本の電話が掛かってきた。
 「うちの檀家さんが、そちらのお寺に墓を移したいと希望しております。受け入れていただけるでしょうか。先方は東京のマンションに住んでいて仏壇がないので、納骨するまでお寺さんに預かってほしいともおっしゃっています」――。
 改葬を希望してきたのは、都内に住む50代の女性だ。先日、夫が若くして亡くなった。夫婦とも生活の拠点は完全に東京だったため、群馬にある夫側の菩提寺と檀家関係を解消し、いつでも墓参りできる都内の寺と新たに檀家関係を結びたいと希望している。
 夫は一人っ子で両親は既に亡くなっていたため、親族トラブルには発展する可能性は低い。
 受け入れ先の住職は「いいですよ」と快諾した。
 後日、女性が寺に持ってきたのは、骨壺が5つ。夫と夫の両親、さらに祖父、祖母の骨だった。改葬の場合、「骨壺5つ」は決して多いほうではない。先祖代々の墓となると、骨の数はもっと増えてくる。
 ところが新たに買い求めた墓は、都会の霊園でよく見られる1平方メートル型の小さなサイズのもの。到底骨壺5つを納めるスペースはなく、骨壺から骨を出して納骨することになった。
 女性は骨壺から骨を出して納めることに若干、戸惑ったものの、最終的に「これで一安心です」と胸を撫で下ろした。
 ちなみに、骨壺の大きさは地域によって差がある。関東では火葬後、全ての骨を収骨するため一抱えもある大振りサイズ(7寸=約21cm)の骨壺が一般的だ。
  ところが、関西でよく使われる骨壺は、5寸(約15cm)。容量は、関東の骨壺の3分の1ほどだ。関西では火葬後は、主要部位の骨だけ(足、骨盤、背骨、 肋骨、腕、頭骨の一部と、のど仏)を骨壺に入れ、残りは火葬場の供養塔や、火葬場と提携している寺院の供養塔に埋葬されることが多い。
 また、納骨の方法も地域によって異なる。骨壺ごと墓に納骨するのは東京などで、完全に骨壺から出し、「土に還す」タイプは京都などで見られる。
 さらに都会や田舎では墓地の大きさも異なる。地域によっては土葬の墓もいまだに残っている。都内のある住職によれば、「土葬の墓を改葬する際、日本髪が残った頭骨がそのまま出てきて、ぎょっとすることもあります」とのこと。
 改葬が増えていけば、そうした埋葬文化の差から生じる諸問題が、あちこちで噴出してくる可能性はある。
  女性を受け入れた住職は言う。「地方から都会への改葬は、10年前はほとんど見られなかったですが、ここ3年ほどで急に増えてきました。うちでは大きなト ラブルはないですが、少なくとも現在の寺の住職と改葬希望者がもめているようなケースは、防衛策として、受け入れをお断りしています」。
イメージ 7
改葬中の墓(島根県内で)

住職が改葬を認めない

 改葬を巡る最も深刻なトラブルは寺と檀家との関係悪化である。
 例えば、現在の菩提寺の住職が改葬を認めないこと。改葬は寺にしてみれば、檀家1軒が減ることを意味するからだ。
 つまり墓地管理費や護持費などの固定収入や、葬儀や法事などの臨時収入が1軒分(年間数万~数十万円)消えてしまう。そうでなくとも、近年、地方都市の多くの寺院の経営状態が厳しい中、寺にとって離檀は死活問題なのである。
 改葬できるか否かの権限は、事実上、現在の住職が握っている。
 行政に提出する改葬申請書に、現住職の署名、捺印がなければ、公共の霊園だろうが寺だろうが改葬はできない。
  また強制ではないといえ、社会通念上、離檀の際には布施が必要となる。現在、改葬希望者のコア層は生活拠点が都会にあり、田舎の寺との接触を持ってこな かった50代~60代のビジネスパーソンだ。寺とのコミュニケーション不足が原因で、改葬を巡って住職と言い合いになるケースもよく聞く話である。
イメージ 8
放置された無縁墓(島根県内で)

ある日、墓が消えていた

 改葬が増えている背景には、寺と檀家との関係が希薄になっていることが挙げられる。例えば、久しく墓参りをせず、数年ぶりに田舎の寺を訪れた際、ウチの墓がきれいさっぱり消えているという悲劇も現実に起きている。
 基本的に寺の墓地は、分譲マンションのように「高い代金で購入したから、永久に我が家のもの。必要がなくなれば売り戻せばいい」という質のものではない。
 あくまでも檀家は、賃貸物件の家賃のように「使用権」を得ているに過ぎないからだ。
 「管理費」が定められている場合は、代金の支払いを一定期間怠れば、墓石が撤去される可能性がある。「永代供養」「永代使用」などの名目で購入した墓でも、年間の管理費が定められている場合は注意が必要だ。
 撤去される墓に埋葬されている遺骨は「無縁仏」の扱いとなり、境内の合祀墓に入れられてしまうこともある。
 そうした「お寺の常識」も、核家族の時代の到来によって、親から子への、「伝承」が難しくなっている。
 都会暮らしのビジネスパーソンが、親の死をきっかけに、初めて寺との付き合いが生じる。ビジネス界の常識は、田舎のしきたりの中では非常識になることもある。
 金銭や地方の風習に対する考え方の違いを巡って、菩提寺に見切りを付け、無宗教の霊園に改葬する人も出てきている。
 檀家と菩提寺の、言い換えれば「都市と地方」の、相容れない立場の隙間を埋めることはなかなか難しい。結果的に死者をないがしろにしてしまっているのは、哀しいことである。
(「漂流する墓・下」に続きます。掲載は、2月18日の予定です)


遺骨を「ゆうパック」で送る時代

漂流する墓 (下)
2015年2月18日(水)  鵜飼 秀徳 イメージ 9
ゆうパックで「遺骨」が送れる!?
 埼玉県熊谷市にある曹洞宗見性院には毎週のように「遺骨」が、宅配便で送られてくる。遺骨は、ペットの骨や化石などではない。れっきとした火葬後の人間の骨である。
 遺骨の配達は、大手宅配会社のほとんどは受け付けていないが、日本郵便ゆうパックならば「配送可能」というのだ。
  見性院の住職・橋本英樹さん(49)が、ゆうパックを使った「送骨サービス」を受け付け始めたのが2013年10月のこと。寺に届けられた遺骨は本堂で供 養した後、境内の永代供養塔に合同納骨という形で納められる。送骨による永代供養を希望する者は、見性院のホームページなどから申し込み、寺が用意してく れる専用の段ボール箱に骨壺を入れて送るだけだ。
 永代供養の基本料金は3万円(送料別)。月に遺骨3~5柱が見性院に届けられるという。
イメージ 10
届けられた遺骨を開封する橋本さん

「社会の負の部分」を背負って死んでいく人たち

 この送骨に異論を唱える人は多い。
 「遺骨をモノ扱いしてとんでもない」「破戒も甚だしい」――。
 「送骨」という一見、乱暴な名称だけを拾い上げれば、こうした怒りももっともに思える。
 だが、橋本さんが、糾弾覚悟でこのサービスを始めたのには、理由がある。
 橋本さんが住職に就任したのは7年前のこと。すると、納骨に関する複雑な相談が次々と持ち込まれてきたのだ。
 「親戚が亡くなったが、ほとんど絶縁状態で顔も見たくない存在だった。骨を触るのもイヤだ」
 「寝たきり状態で、妻の遺骨を寺に持っていくことができない」
 「おばあちゃんの内縁の夫が亡くなったが、身寄りがない。その人物は、親族にとっては赤の他人で、死後の面倒まで見る筋合いはない。カネは出したくないが、早く遺骨を処分したい」
 「5歳の時に生き別れた父親が死んで遺骨を引き取ったが、幼い自分を残して消えた父が今でも許せない。そんな父のために、高い交通費を払ってお寺に納骨しに行くのも、墓を買うのも腹立たしい」――。
 核家族化による親戚関係の希薄化、老老介護の末の伴侶の死、親族なき孤独死、内縁者の死後の扱い……。社会の「負の部分」を背負って死んでいく人は、死後もなお、その呪縛から解き放たれないという哀しい現実がある。
 こうした相談は、当初は見性院の近隣に住む檀家が多く、橋本さんは求めに応じて遺骨を引き取りに行っていた。しかし、橋本さんは「同様の問題は日本全国、きっとどこにでも存在しているのではないか」と考えた。だが、全国各地に赴いて遺骨を引き取ることは、到底不可能だ。
 「遺骨を巡って困っている親族や、死後も行き場のない故人のために、郵送という手段を使えば、供養して差し上げられる。私は悪く言われようとも、そうした方々を、僧侶として受け入れなければいけないと思い至ったのです」
 遺骨を宅配便で送るという手段さえ除けば、その後は一般的な永代供養と同じだ。

責任は託す者にある

 だが、それでもまだ、遺骨を宅配便で送ることに違和感を抱く人はいるかもしれない。
 誤解を恐れずに言えば、この問題は、熊本県の慈恵病院が取り組んでいる「こうのとりのゆりかご(通称・赤ちゃんポスト)」の議論に似ている気がする。
 親の事情によって育てられない赤ちゃんの命を救うために、匿名で病院が引き取る仕組みだが、「生まれた子供を親は責任もって育てなければならない責任と倫理の崩壊を招く」「育児放棄や捨て子を助長する」などの批判意見も根強い。
 しかし、不遇な環境の下に生まれてきた命は、「受け皿」があってこそ救われることもある。
  ゆりかご(赤ちゃんポスト)と墓場(送骨)の問題はむしろ、「そうせざるを得ない」状況を生み出す社会構造にこそある。もちろん、いかなる事情であろうと も「命」や「骨」を託す人たちの責任は重い。ひとつ言えることがあるとするならば、赤ちゃんや死者に罪はないということだ。
 橋本さんも、送骨供養を必要としない時代の到来を、強く望んでいる。
イメージ 11
送られてきた骨は、永代供養塔に納められる

「葬儀」を取り戻す

 寺は、現代社会を映し出す鏡だ。
 伝統的な宗教施設といえども、時代の流れには逆らえない。だが、大方の寺は伝統や慣習を変えられずにいる。住職自身が高齢化し、後継者もおらず、経済的、精神的にも疲弊した寺では、「時代に合わせて変化する」ことができず、衰退の一途をたどる場合がとても多い。
 だが、橋本さんは、社会の変化を「本来の宗教のあり方を取り戻す好機」と捉えている。送骨以外にも革新的な試みを次々と打ち出している。
 その1つが「葬儀を葬儀屋から取り戻す」ことだと話す。
  葬儀のスタイルが大きく変化し始めたのは、1990年代以降だといわれている。かつて葬儀をする場所といえば、自宅や寺が多かった。しかしバブル期以降、 全国的にセレモニーホール(斎場)が増え、近年は自宅葬や寺院葬がほとんど見られなくなった。現在、葬儀会場の大多数がホールである。
 そうなると葬儀の一切を葬祭業者が取り仕切り、僧侶は決められた時間に、決められた斎場で経を唱えればいいだけの存在になる。
  「いわば、僧侶は“おがみ屋”になっているんです。今や、寺が寺としての役目を果たせるのは法事だけになっている。葬儀場所の“ホール化”は、お坊さんの 存在が脅かされるだけでない。地縁の崩壊にもつながります。自宅や寺での葬儀には隣組の存在が必要でした。だから、地域から葬儀が失われるということは、 隣組の必要性も失われることを意味します。失われてしまった寺院葬を取り戻すことは、地域社会を守ることにもつながるのです」(橋本さん)
 だが、葬儀を寺が担うことはそう簡単ではない。葬儀のスタイルは近年、多様化している。葬祭業者並みに、遺族や故人の要望を満たせる葬儀を寺が取り仕切ることができるのだろうか。
 橋本さんは「葬儀を取り戻す」ためにおよそ10年をかけ、知識やノウハウを詰め込み、スタッフの体制を整えた。葬祭に関する展示会にもマメに参加し、専門誌や経営に関する専門書を読み込み、独学で「葬祭業」を学んでいった。
 見性院では現在、葬祭業者を入れた葬儀は行っていない。もちろんホールでやるか寺でやるかは、遺族の意志に委ねられるが、最近では橋本さんの考えに賛同する遺族は増え、全体の3分の2ほどが見性院の本堂で葬儀をするようになっている。

檀家制度を廃止

 葬儀を寺に取り戻す橋本さんの活動は、同時に「寺や宗教の本来のあり方」の模索へとつながっていく。
 寺が衰退している諸悪の根源は檀家制度――。橋本さんはそう信じて疑わない。
 江戸時代に幕府が定めた寺請制度によって、日本国民はもれなくどこかの寺の檀家になることを義務づけられた。布施が安定的に入るこの檀家制度の仕組みによって、寺院の経営は安定した。
 だが一方で、人々の信教の自由は奪われた。同時に檀家制度に寄りかかった「僧侶の堕落」が顕在化し、日本の仏教を地盤沈下させてもいる。
  橋本さんは2012年、檀家制度の廃止を決断する。この檀家制度廃止は、檀家は菩提寺に縛られることなく、自由に信仰を選び、行動できるべきだとの考えに 基づいている。見性院は同時に、檀家に義務づけていた墓地管理費や護持費も廃止。「檀家」の名称も「会員(会費無料)」に変更した。会員の宗教宗派、国籍 は問わない
 見性院にとっては、昔からの檀家からの収入が大きく減ることになる。しかし、広く門戸を開けば、新たに寺を頼ってくる人が増えてくる。
 旧檀家にしてみれば、墓地管理料や寄付などを要求されることがないので、寺に関わる金銭的な負担が減るメリットもある。
 旧檀家は熊谷市内在住者が多かったが、新制度を取り入れてから、会員が首都圏全域から集まるようになってきた。だが一方で、旧檀家の一部からの反発は根強く、今でも「前の檀家制度に戻してほしい」という声が上がっているのも事実だ。
  「近隣の同門寺院も私のスタンスに反感を抱き、私は村八分状態です。その一方で、私の考え方に賛同いただいて、寺の門を叩いて来られる方はとても多い。社 会の構造が変わってゆく中で、今の仏教界は一般社会とかけ離れすぎているがゆえに、人々から突き放されているのが現実だとすれば、お寺のほうからもっと社 会に近づいていかなければならない。私は強く信念をもって行動を起こしているのです」
葬式にかかった費用
イメージ 12
出所:鎌倉新書「いい葬儀第1回お葬式に関する全国調査」アンケート結果(2013年)
注:調査期間2013年11月11日~14日、全国の40歳以上の男女で直近2年半以内に葬儀の運営に関わった人、有効回答数1847件

死んだら火葬場に直行

 見性院の「送骨サービス」「檀家制度廃止」は、決して「極端」とは言えない時代を迎えている。寺や仏事に対する社会のニーズが、じわじわと変わってきているのだ。
 特に「葬儀の簡素化」の流れは止められそうにない。その顕著な例が、「直葬」というスタイルの葬儀だ。
 直葬という言葉は1995年頃、葬祭業界向け専門誌上で使われ始めたのが最初といわれる。この頃の直葬とは、病院や高齢者施設で亡くなった故人が、「自宅に帰る」ことなく、直接、セレモニーホールなどの葬儀会場に運ばれることを指したものだった。
 直葬の出現は、自宅で死を迎えることが極めて少なくなったことが背景にある。以下のグラフを見れば一目瞭然だ。1975年頃を境にして、病院で亡くなる人の割合が、自宅で亡くなる人の割合より多くなり、また近年では老人施設における「死」が伸びている。
死亡場所の推移
イメージ 13
出所:厚生労働省統計情報部「平成21年人口動態統計」より浄土宗総合研究所副所長・今岡達雄氏作成
  自宅で家族が亡くなった場合、どこかの寺の檀家であれば、菩提寺の住職に連絡を取って、枕経(まくらぎょう)(※)に来てもらうことが通例だ。この枕経の 場で、通夜、葬儀の段取りなどが住職主導で進められていく。そうした遺族とのやり取りの中から、住職は戒名に用いる文字のヒントを得ることもできた。

釜前読経を終え、「失礼します」

 さらに、ここ2~3年ほどで、直葬のスタイルが極端に変わってきた。
 遺族は病院や施設で遺体を引き取ると、すぐに葬儀社に引き渡し、納棺だけを済ませるとダイレクトに火葬場に送る。通夜や葬儀は実施しない。
 僧侶とは火葬場で待ち合わせる。霊柩車が火葬場に到着するや僧侶は炉の前で、10分ほどの短い経を読んで、「お別れ」が完了する。僧侶は、火葬自体には立ち会わない。読経が終われば「それでは失礼します」と言って足早に消えていく。これを俗に、「釜前読経」と呼ぶ。
 先述の橋本さんも、2011年以降、葬儀の規模が縮小してきていることを実感しているという。
 「うちの寺では参列者300人以上を大型葬、50人~200人規模を一般葬と、区別して呼んでいますが、大型葬と一般葬が減り、代わって、50人以下の家族葬や、10人以下の密葬、そして葬式をしない直葬が増加しています」(橋本さん)
  葬儀や仏事に関する情報サービス会社「鎌倉新書」が2014年11月に全国の葬儀社を対象に調査(有効回答数217件)したリポートによると、全葬儀に占 める直葬の割合は全国平均で16%。6件に1件が直葬を選んでいることになる。2012年調査の10.4%と比べて、わずか2年の間に5.6ポイントも上 昇している。関東圏はもっと直葬比率が高く、全体の22%にも及んでいる。
 喪家が直葬を選ぶ理由は、「経済的理由」が圧倒的に多いが、アベノミクスによる景気上昇局面にある今でも、「今後も増加する」といった葬儀社の意見が多数見られた。
 また、喪家が直葬を選ぶ理由として、「宗教儀礼に意味を感じていない」「送ることを重く感じていない」などの意見が聞かれた。
直葬の割合はまだ少ないが…
イメージ 15

出所:鎌倉新書 「いい葬儀/月刊仏事 第2回直葬に関する全国葬儀社アンケート調査」(2014年)
注1:葬儀形態の定義付けは、以下参照
社葬:会社が施主になった葬儀
一般葬:参列者31人以上(親族含む)
家族葬:参列者30人以下(親族含む)
一日葬:参列者の人数に関係なく、1日だけの葬儀
直葬:火葬のみの葬儀。炉前で読経した場合も含む
注2:調査期間2014年11月19日~2014年11月27日、任意で選んだ全国の葬儀社(冠婚葬祭互助会、JA、生協を含む)にFAX、メールにて調査票を配布。有効回答数217件
直葬の平均単価
イメージ 14

出所:鎌倉新書 「いい葬儀/月刊仏事 第1回直葬に関する全国葬儀社アンケート調査」(2012年)

直葬がトラブルにつながるケースも

 そうした直葬が、寺檀関係に大きな亀裂を生む場合もある。
 ある寺院の住職は、「亡くなった際には寺に知らせず、『先日、主人が亡くなりました。そろそろ49日なので、納骨をお願いします』といきなり連絡を入れてくることが増えてきた」と困惑する。
 電話を入れてくるのはまだマシなほう。いきなり、アポも入れず「今日、納骨してほしい」と骨壺を持参し、住職とトラブルになるケースもあるという。
 直葬自体を否定するものではない。しかし、「何か大切なもの」が壊れてきていると感じるのは気のせいか。
 「送骨」や「直葬」を求めるニーズが増えているのは確かだ。やむにやまれぬ事情や金銭的な理由、寺檀関係の煩わしさなどが、背景にあるのだろう。だが、生きている者が、死んだ者へ、敬意を払うことを忘れてはいけないと思う。
 「死」を遠ざけることは、同時に、自分の「生」を疎かにしていることにならないだろうか。


宗教崩壊

多くの寺や神社が存続の危機を迎えている。少子高齢化や地方の過疎化、後継者不足など、ありとあらゆる要因が大波となって宗教界に押し寄せている。 「このままでは10年後、日本の寺や神社が半減する」。危機感を抱いた一部の仏教教団は、対策に乗り出している。だが、抜本的な策は見えてこない。「宗教 崩壊」は一般庶民に何をもたらすのか。また、社会全体として、どんな影響が出るのだろう。寺や神社が消えることでの「物的崩壊」は既に進行中だが、同時に 「心の崩壊」へと広がっていく危険性もある。日経ビジネスオンラインでは、「宗教崩壊」の現場に足を踏み入れ、実態を調査。各宗教教団本部にも取材し、複 数回にわたってリポートする。いざという時に役立つ仏教知識、教養も得られるような構成にしてあるので、参考にして頂きたい。