パルデンの会

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北朝鮮の日本社会においての総連支配が 拉致を見えなくした。


総連が拉致に加担したことはずいぶん前にわかっている。なのに 総連の首脳部は 堂々と運営を続け 工作を行っていたことが分かっている。
政府や議員に加担者や 情報通報者がいるのだ。


長男は人事…許議長一家、北模倣の総連「支配」

2015.3.29 産経新聞

 北朝鮮マツタケ不正輸入事件をめぐる捜査が、許宗萬議長一家の朝鮮総連「支配」を浮かび上がらせた。許議長は、表立たない役職のまま、長男に人事、次男には資金運用の実権を握らせていたとされる。世襲を続ける本国の合わせ鏡のような体制。許議長の自宅まで捜索が入った今回の捜査が一家の権勢を揺るがすことになるのか。

 ◆“誤算”の始まり
 昨年9月、8年ぶりの訪朝に当たり、許議長は組織員から盛大な見送りを受けた。その少し前、目立たないように出国した関係者の動向を公安当局が注視していた。議長の妻と長男(53)、次男だ。
 日朝関係者は「一家そろって金正恩第1書記に面会し忠誠を誓うのが目的だった」と説明する。だが、金第1書記は足の手術もあり、結局、面会できなかった。“誤算”はこのとき、始まったのかもしれない。

 それ以前にも次男は捜索された貿易会社役員の肩書で頻繁に日朝間を往来していた。「密使役」を担っていたとみられ、報告対象は、正恩政権で朝鮮総連を管轄する工作機関225局の康寛周(カン・グァンジュ)局長。だが、彼は一家の訪朝を見届けた直後に死亡する。一家は最大の後ろ盾を失った。

 ◆「自由に行き来」
 朝鮮総連関係者によると長男、次男ともに朝鮮大学校(東京)出身。長男は昭和60年ごろ、表向きはサッカー交流として1年間、北朝鮮に滞在し、組織教育をたたき込まれたとされる。
 平成24年に父が議長に就任した後は、中央本部組織局第2部副局長に就き、組織運営の“裏方”ながら、人事素案を作成するポジションを得たという。

 次男は傘下の青年組織のトップなどを務めたが、現在の役職は都内支部の副委員長にすぎない。公安関係者は「本国や海外を自由に行き来させるため、わざと本部の要職に就けなかったのだろう」とみる。代わりに日朝交易を担う企業運営を任され、正恩政権に上納する資金運用に携わっていたとみられている。

 長男は人事、次男はカネと、息子を車の両輪にした許一家「支配」体制を築いたことになる。父が描いた人事を長男がまとめ、「密使」として次男が本国の承認を得る-。組織の私物化に道を開くトライアングルが完成したかに見えた。
 ◆組織内でも不満
 「歴代議長が息子に権力を譲れなかったのを見てきたからだろう。目につきにくい形で息子たちに権力を与えた」と朝鮮総連関係者は言う。だが、満を持した訪朝でも「代を継いだ忠誠」に対する最高指導者の承認を得る機会を逸した。
 硬直化した幹部人事に対しては、組織内でも不満がくすぶっているという。
 中央本部競売問題は、購入企業との間接的な賃借契約で立ち退きを免れているものの、組織の「象徴」を失いかけた失策に、許体制は内部批判にもさらされた。その時期に自宅の捜索に直面した。
 金第1書記は側近らの権力の一極集中を防ぐため、人事の再編を繰り返しているといわれる。権勢を誇った叔父の張成沢チャン・ソンテク)氏の処刑まで断行した。
 日朝関係者は「今回の捜査の進展次第では、本国からも一家による組織運営が問題視され、何らかの責任を追及される事態も考えられる」と指摘している。