パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

北朝鮮の「人権侵害」というよりも「虐殺」と言っていい恐るべき実態


勝谷誠彦の××な日々。 

8:14 (5 時間前)



 2015年12月6日号。<松井秀喜さんの背番号の年齢を、支那人跳梁でここしかとれなかった京都の安宿で迎えた朝なりき>
 3時起床。京都市
 ここのところ誕生日をたいがい地方で迎えているような気がする。
もはや記憶が曖昧なのだが、去年は岩国のホテルだった気が。安倍晋三首相などの選挙の応援のためだ。岩国ではもういちど確か12月6日にいた。去年は立派なホテルをとっていただいたが、その前は駅前のビジネスホテルだった。55歳。この歳になるともう過去は茫々としはじめてきてどうでもよくなって来る。今回も昭和もかなり古くに建てられた安いホテルでの誕生日である。これから『カツヤマサヒコSHOW』の年末恒例、花房観音さんとの「エロツアー」なので前泊していて、かつ早起きなのだが、支那人であふれ返っていてホテルがとれなかったのだ。
 四捨五入すると、とうとう還暦だ。
前回の誕生日は意気揚々だった。ボクシングに邁進し、肉体には圧倒的な自信があった。まさか54歳の1年間でここまで衰退するとは。それも心身の「心」の方からとは、背後から襲われたような気分である。鬱病になり、そのために練習ができなくなり、マシになったので再開してすぐに左足を壊し、今に至るまで動けない。その副作用はあらゆるところに及び、全身がガタガタになっている。父も「シュレパパ」になっちゃったしなあ。
 とはいえ、10年間精進した練習もひとりよがりで、
身体にダメージを与えていたこともわかってよかった。ここはひとつ立ち止まっていろいろと見直せということだったのかも知れない。何でも楽観的に考える私。これまで危ない場所で死ななかったことの方が奇跡なので、何があってもどうってことはないのである。55歳はもっとアグレッシヴに生きてやろうと思っている。とりあえず、井上公造さん情報ではまた独身に戻られるという、米倉涼子さまを…はいはい、元気ですね。

 そう、元気なのである。今も。昨日は家で勤勉に働いたあと、
14時から後楽園は文京シビックセンターでの北朝鮮の人権侵害に関するイベントにインタビュアーとして参加した。共催のひとつの『北朝鮮難民救援基金の理事長をつとめる加藤博師匠の依頼である。しかしその師匠ご本人は、自転車にぶつけられて大腿骨を骨折してまだ入院中。昨日はおいでになれなかった。脱北者から明かされた北朝鮮の「人権侵害」というよりも「虐殺」と言っていい恐るべき実態はこのあとで触れる。誕生日の日記にあまり書きたくなかったのだけれども、イベントは今日は大阪でもあるのだ。これを読んでひとりでもそこに行っていただければと思って。
 http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/topics151117.pdf
 天気のいい土曜日の午後だというのに、
熱心な聴衆がつめかけてくれた。私が「プレスの方は手を挙げて」と言うと、2、3人が。しかし大マスコミはおいでにならないようで、あれだけ人権人権と、いつも明らかな犯罪者の肩を持つくせに、国連も認める世界最悪の人権侵害には興味がおありではないらしい。そのことを指摘すると聴衆から拍手をいただいた。さきほどのリンク先にある「懲罰房の体感」は私もやってみた。
 https://ja-jp.facebook.com/katsuyamasahiko
 まだマネジャーのT-
1君は起きていないと思うのでアップは少しあとになるかも知れません。繰り返すが、人権侵害とかそういうレベルではない。緩慢なる殺人である。緩慢というのは、字義通りの「緩い」ではない。より残酷な、ということだ。
 16時半ごろに出番を終え東京駅へ。17時の「のぞみ」に乗る。
飛行機と違って食事が出ないので弁当は自前。自分とT-1君の分を買うと結構な出費である。まあ、酒も含めてだが。しかも、まずい。売店でいちばん高い弁当だったのにな。JR系列が独占的に販売しているものが、競争がないのでまずいのはわかっているのだが、大丸の地下などに行くひまはなかったので、仕方がない。まだANAのマンネリ弁当の方がマシだな。
 ホテルは京都駅近く。
今朝のこの早起きを考えると四条や烏丸に出る元気はない。駅近くは呑み屋不毛の地だと思っていたが、歩くとけっこうあるではないか。多くは東京と同じチェーン店とはいえ、間にぽつりぽつりとシブそうなところがある。私の嗅覚がかぎあてたのは立ち呑み屋であった。まずいとはいえ弁当をもう食っているので(私は半分残したが)それで充分だ。「ひょうたん」。
 http://r.gnavi.co.jp/jdgr6jr80000/
 本当にそっけない「正しい立ち呑み屋」。しかし、
日本酒の揃えがなかなか。ここで言うなかなかは「凄いものが揃っている」のではない。「手に入りやすいものの中からの選択が目利きを感じさせる」ということであって、立ち呑み屋にふさわしい。こういう店にありがちな投げやり感がまったくないのだ。それは肴にも言えて、タラコをたいたものには昆布がきっちりときいている、とか。昼の2時からやっている。イケナイ場所を駅近くに見つけてしまった。北朝鮮の懲罰房に入り、立ち呑みでシメる誕生日のイブ(笑)。

 せっかくの休日にこういう陰惨な話はどうかと思うが、
今日の大阪でのイベントに行っていただくきっかけにもなるかも知れないので触れておこう。私がインタビューをした相手は脱北者の鄭光日(チョン・グァンイル)さんだ。私より3つ年下。人民軍を経て貿易会社に勤めるが、おそらくは密告で99年にスパイ容疑で逮捕。韓国人と接触したからだというが、貿易をしているのだから当り前で、要するに何でもいいのである。国家保衛部の拘留所で歯をすべてなくすような拷問を受けて「自白」を余儀なくされる。北朝鮮での罪状は裁判ではなくこうした拷問によって作られるのだ。罪状の書類は日付のことろが空白になっている。拷問で「吐いた」日をあとから記入するのだという。
 もっとも厳しい拷問は「鳩」というものらしい。後ろ手に縛り、
立つこともしゃがむこともできない高さに吊るす。そのまま何日も放置する。「鳩」というのは次第に鬱血してきて胸が膨らむからだという。朝から申し訳ないが、もちろん大小便は垂れ流しである。これは看守が手を下さない「楽な」拷問なので好んで使われたとのこと。会場で懲罰房を使って志願者を手錠で吊るしてみた。青年であったが、すぐにその辛さがわかったようで、主催者が冗談で「講演が終わるまでやってみますか」というと「カンベンして下さい」。それを何日もされるのである。
 「自白」させられた鄭さんは政治犯収容所に送られた。
過酷な労働に対して、ろくに食事も与えられずに、収容者は次々に死んでいく。しかし零下20度にもなる冬は墓穴も掘れないので遺体は丸太のように屋外に積まれる。暖かくなるとネズミなどがそれを齧り、目も当てられぬ惨状になるという。トウモロコシを栽培するが、その「種」を収容者は空腹のあまり食べようとする。それができないように「種」には糞便がまぶされ、でも食べた収容者はことごとく腸チフスで死んだ。何度も謝りますが、平和な国の休日の、おそらく朝食の前にすみませんね。しかし、今この瞬間にも、あの狂った国ではこういうことが行われているので許して下さい。
 トウモロコシでなくとも「盗み食い」
などが見つかると入れられるのが、私が模型に入ってみた懲罰房だ。やってみてわかったが、立つことも座ることもできない。「鳩」と同じで、人間はこういう姿勢がもっとも辛いのだろう。だいたい一ヶ月ほど入れられるらしいが、これも「生きて出たひとはいない」のだと鄭さんは報告した。それにしても、こういうことを思いつく頭というのはどういう構造をしているのだろう。洋の東西を問わずに中世あたりではかなり残酷な拷問や処刑をしていた。朝鮮半島では中世のまま時が止まっているのだろうか。おっと、その北の大陸もまあ似たようなもののようだが。
 このあたりまでは鄭さんのひとり語りであった。
彼が偉いと思ったのは、多くの告発者と違って、顔を出していることである。勇気がある。言葉は朝鮮語で、まことに練達の通訳が司会を兼ねて入っている。朝鮮語に頷く聴衆が多いのは、そちらの人々なのだろう。ちょっと私も「靖国テロ」についての発言は気をつけようと思った(苦笑)。思いつつ、鄭さんへのインタビューとなる。
 体験についてはもう充分に語ってもらったので、根本的な「哲学」
について聞くことにした。おそらく、これまでのこうした機会にも触れられていないことに踏み込む。ある種の「タブー」にかかわるからだ。私はたずねた。「何のために膨大な人民をそうした立場において労働をさせるのですか。食糧不足というなら、持ち場で働かせて農産物を作ればいいのでは」。鄭さんの答えは耳を疑うものであった。「北朝鮮の人民は働かないのです。口をあけて食べ物が降って来るのを待っているだけ。ところが収容所では強制的に労働させるから結果が出る。トウモロコシで言えば、収量が13倍にもなるのです」。
 驚いた。そうした収穫はことごとく核心層に行き、
贅沢な生活を保証するのだという。これはひとごとではないと思った。つまり、いくら経済制裁をしても「奴隷制を駆使して食糧などを確保している金王朝の中核は痛くもかゆくもないのだ。
 もうひとつ「タブー」を聞いた。「そういう考え方が蔓延し、
一方では独裁者への信仰に染まった人々がいるのでは、南北統一なんて無理ではないですか?」。鄭さんはいともあっさりと「無理でしょうね」と。韓国で脱北者を支援している彼だが「実ははじめて明かすことですが」という。会場に緊張が走る。「生活のためには働かなくてはいけないという韓国の資本主義社会が理解できなくて、北へ戻った脱北者が300人はいます」。戻れば死刑かもしれない。しかし、それでも怠惰な暮らしが懐かしいのか。かくも深き北朝鮮の闇はいつか晴れるのか。いや、その「本家」である支那も闇だらけだが。世界は難儀なものを抱えてしまっている。

 ノーベル賞の授賞式へ向けて梶田隆章さん、
大村智さんがストックホルムに入った。梶田さんは飄々とした受け答えが素敵で、大村さんはなんともダンディだ。帽子がこんなに知的に似合うひとはなかなかいない。麻生太郎さんがかぶるとマフィアになるもんね(笑)。毎日新聞が書く、その大村さんと亡き奥様との秘話は、今の日本の医療のある側面を活写している。
 <ノーベル賞週間/大村智さん亡き妻の写真胸に授賞式へ>
 http://mainichi.jp/select/news/20151206k0000m040063000c.html
 <ノーベル医学生理学賞を受賞する大村智・北里大特別栄誉教授(
80)が5日午前(日本時間5日午後)、授賞式が開かれるストックホルムに到着した。10日の授賞式に、大村さんは2000年に亡くなった妻文子(ふみこ)さんの写真を胸のポケットに入れて出席する。研究に没頭する大村さんを支え続けた文子さんに「感謝の気持ちを伝えたい」との思いからだ。>
 <大村さんは82年ごろ、自身の開発で得た特許料を使って「
病院過疎地」とも呼ばれた埼玉県の北本市に病院を建設しようと考えた。しかし、地元医師会は「患者が奪われる」と猛反対。話し合いもできず、暗礁に乗り上げかけた。
 そのとき、文子さんが病院建設を訴える住民の署名活動を始めた。
北本市の周辺市も含め、集まった署名は2万5000人以上。ついに地元医師会も折れ、病院建設を認めた。北里大メディカルセンターは89年3月に開院、現在は病床数372床、30科の診療科がある地域の中核病院だ。
 利権しか眼中になかった医師会も今ではこういう「役割分担」
に目覚めている。大村夫妻には先見の明があったのだ。デキるひとはやはり何でもデキると言うほかはない。

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勝谷誠彦氏の有料ブログより転載