矛盾だらけの言動を繰り返す翁長知事
メディアで仕事をする友人たちと話すと、翁長雄志沖縄県知事を礼賛する声が目立つ。曰く、「翁長さんは立派だね。政府と果敢に闘って一歩も引かない」「劣化した日本の民主主義に活を入れられるのは翁長さんぐらいだ」……。 国が主導する普天間基地の辺野古移設を、「あらゆる手段を用いて阻止する」と決意表明して「国家権力」と日々闘う翁長知事の姿は、たしかに「カッコよく」見えるのかもしれない。
翁長知事本人の政治家としてのキャリアは順風満帆だ。一九八五年の那覇市議会議員当選を皮切りに市議二期、県議会議員二期、那覇市長三期(四期目途中で知事選に出馬して当選)を務め、県議時代には自民党沖縄県連幹事長としても活躍した。
那覇市長に初当選した二〇〇〇年には、自民党が三十二年ぶりに市政を奪還したと大きな話題になった。仲井眞弘多前知事の選対本部長の経験もあるほか、辺野古移設でも、かつては旗振り役を務めていた。その政治理念は「保守系右派」ともいえるもので、復帰後初めて市庁舎に日の丸を掲揚させ、「君が代」を斉唱させた市長として、一部から激しい批判を浴びたこともある(二〇〇一年五月二十日の市制八十周年記念式典)。
保守本流にいた翁長知事が「普天間基地の県外移設」を積極的に唱えるようになったのは、二〇一〇年頃からである。「ポスト仲井眞」を意識し、当初は選挙対策として「県外移設」を唱えているように見えたが、その後、仲井眞氏との間に確執が生じ、袂を分かつような形で二〇一四年の知事選に出馬。「辺野古移設反対」を掲げ、保守系有権者の支持だけでなく、辺野古移設に反対する共産党、社民党、沖縄社会大衆党(沖縄の地域政党)などの支援を受けて当選を果たしている。
以上のような経歴と経緯から、翁長知事の「辺野古反対」を訝る向きもあるが、「日米同盟賛成」といいながら辺野古に猛反対する姿勢を見て、「保守系の翁長さんまで反対する辺野古はやはり権力の横暴だ。政府は沖縄の民意を無視している」と知事を支持する県民や国民も多い。
が、翁長知事の「辺野古反対」に大義はあるのだろうか? 実は、本土ではほとんど報道されないが、翁長知事の政治姿勢は矛盾だらけなのである。
翁長知事は、沖縄の米軍基地面積が三百二十ヘクタール削減されることになる普天間基地の辺野古移設には反対している。ところが、基地面積がほとんど減らない那覇軍港(米陸軍が管理)の浦添移設では、なんと「推進」の立場に立っているのである。