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翁長雄志沖縄県知事は、「被害者面」をした「加害者」


翁長雄志沖縄県知事は、「被害者面」をした「加害者」

WiLL 12月8日(火)15時36分配信(有料記事)

矛盾だらけの言動を繰り返す翁長知事
 メディアで仕事をする友人たちと話すと、翁長雄志沖縄県知事を礼賛する声が目立つ。曰く、「翁長さんは立派だね。政府と果敢に闘って一歩も引かない」「劣化した日本の民主主義に活を入れられるのは翁長さんぐらいだ」……。  
 国が主導する普天間基地辺野古移設を、「あらゆる手段を用いて阻止する」と決意表明して「国家権力」と日々闘う翁長知事の姿は、たしかに「カッコよく」見えるのかもしれない。  
 翁長知事本人の政治家としてのキャリアは順風満帆だ。一九八五年の那覇市議会議員当選を皮切りに市議二期、県議会議員二期、那覇市長三期(四期目途中で知事選に出馬して当選)を務め、県議時代には自民党沖縄県連幹事長としても活躍した。  
 那覇市長に初当選した二〇〇〇年には、自民党が三十二年ぶりに市政を奪還したと大きな話題になった。仲井眞弘多前知事の選対本部長の経験もあるほか、辺野古移設でも、かつては旗振り役を務めていた。その政治理念は「保守系右派」ともいえるもので、復帰後初めて市庁舎に日の丸を掲揚させ、「君が代」を斉唱させた市長として、一部から激しい批判を浴びたこともある(二〇〇一年五月二十日の市制八十周年記念式典)。  
 保守本流にいた翁長知事が「普天間基地の県外移設」を積極的に唱えるようになったのは、二〇一〇年頃からである。「ポスト仲井眞」を意識し、当初は選挙対策として「県外移設」を唱えているように見えたが、その後、仲井眞氏との間に確執が生じ、袂を分かつような形で二〇一四年の知事選に出馬。「辺野古移設反対」を掲げ、保守系有権者の支持だけでなく、辺野古移設に反対する共産党社民党沖縄社会大衆党(沖縄の地域政党)などの支援を受けて当選を果たしている。  
 以上のような経歴と経緯から、翁長知事の「辺野古反対」を訝る向きもあるが、「日米同盟賛成」といいながら辺野古に猛反対する姿勢を見て、「保守系の翁長さんまで反対する辺野古はやはり権力の横暴だ。政府は沖縄の民意を無視している」と知事を支持する県民や国民も多い。  
 が、翁長知事の「辺野古反対」に大義はあるのだろうか? 実は、本土ではほとんど報道されないが、翁長知事の政治姿勢は矛盾だらけなのである。
 翁長知事は、沖縄の米軍基地面積が三百二十ヘクタール削減されることになる普天間基地辺野古移設には反対している。ところが、基地面積がほとんど減らない那覇軍港(米陸軍が管理)の浦添移設では、なんと「推進」の立場に立っているのである。