パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

天皇皇后両陛下がフィリピンに行って下さる。


勝谷誠彦氏の有料ブログより転載

2016年1月26日号。<天皇皇后両陛下がフィリピンに行って下さる。今日からはそのことをたくさん書く。私情である。ごめんね>。


 3時起床。尼崎の家。
 帝都の中心にあるかしこきあたりでは、至尊も、
もうお目覚めなのかも知れない。天皇皇后両陛下におかれては、今日からフィリピンをご訪問になられる。かの国を「第二の祖国」と思っている私としては、もうそのことだけで涙が出る思いだ。お目覚めなのかも、と不敬にも書いたのは、日本を離れられる時にさまざまな宮中の祀りごとをどうされているのかなといつも感じていたからである。あるいは、なさるべきことをなさってから国を離れられるのかという、勝手な想像である。フィリピンに、行って下さるか。約52万人の将兵がかの地では戦死した。フィリピン人の死者はそれよりも多かったとも言われる。大東亜戦争の最大にして最悪の激戦地であった。なぜか。「敗けいくさ」だったからだ。南洋諸島ではじまった「玉砕」という考え方がそのまま持ち込まれて、部隊は全滅せざるをえなかった。美談にするのもいいだろう。しかし戦略としては愚かだったと私は思う。
 

<両陛下、26日からフィリピンご訪問/戦没者をご追悼>

 http://www.sankei.com/life/news/160125/lif1601250002-n1.html
 <天皇、皇后両陛下は26日から5日間の日程で、
フィリピンを公式訪問される。首都マニラに滞在し、先の大戦で命を落とした日比両国の戦没者を慰霊するとともに、マラカニアン宮殿(大統領府)で催される晩餐会で天皇陛下がお言葉を述べるなど、両国の友好親善に努められる。歴代天皇として初めての同国訪問で、両陛下にとっては、皇太子夫妻時代の昭和37年11月以来、54年ぶり2回目のご訪問となる。>
 本当はマニラの沿道で日の丸をふってお出迎えしたかったのである
。しかし、明日、こちらで講演がひとつある。あらゆる便を考えたのだが昨日の『ザ・ボイス』とこの講演を入れると行くことが出来ない。悔しくて仕方がなかった。いま引いたのは産経新聞だが、さすがに、皇室に敬語を使わないどこぞの朝日新聞とは違って、知識や教養の量が半端ではない。以下『産経抄だが同じ看板コラムでも天声人語とは大違いである。ちなみに今朝の天声人語は「大雪だったねえ」という愚にもつかないシロモノであった。

 <殿下の妻です/1月26日>


 http://www.sankei.com/column/news/160126/clm1601260003-n1.html
 <昭和37年11月、当時の皇太子ご夫妻は、
フィリピンのマニラ国際空港に到着された。大統領官邸のマラカニアン宮殿までのパレードには、2、3メートルおきに完全武装兵が立つ、厳重な警戒態勢が敷かれた。
 先の大戦で、アジア最大の激戦地となったマニラでは、
訪問反対のデモを計画する動きがあったからだ。しかし、お二人の人気は予想以上に高かった。沿道を埋め尽くした人波からは、「マブハイ」(万歳)の声が上がるばかりだった。>
 昨日の『ザ・ボイス』
で若干まちがったことを私は話してしまった。「当時は反日感情が強くて」と言ったのだ。私がフィリピンで聞いていたことは実際に、そうだった。けれどもそれは歴史認識にありがちな「イメージ」であって、実際はこのようにお二人は、まさにそのお人柄で歓迎されたんですね。ただし、言い訳ではないが「微妙」であり「勇気ある」ご訪問であったことは間違いない。お二人のお人柄そのものが、フィリピンの対日感情を変えたと言える。
 <町のあちこちで、それまでタブーだった日の丸が翻っていた。
54年前のご訪問は、フィリピンが親日国となる、きっかけの一つになった。>
 <皇太子さまは、フィリピン人戦没者が眠る「無名戦士の墓」
に花を手向(たむ)けられた。ただ、現地の日本人戦没者のご慰霊は実現しなかった。慰霊碑がまだできていなかったこともあるが、対日感情への配慮もあった。>
 このことを両陛下はずっとお心にとどめておられていたのではない
かと拝察する。あるいは気にかかっておられたのではないか。実に54年。それだけの歳月を経て、今回はようやくかの地に散った大日本帝国将兵に対して慰霊をされるのである。これが泣けなくてどうするか、と私は勝手に思う。いささか、個人的にフィリピンを識るものとして、ご訪問の間は気がついたことをここで書いて行こうと思う。失礼ながら、2年や3年の赴任で特派員をしておられる大マスコミの記者とは違うつもりだ。お楽しみに。

 今週は尼崎市の家にずっといる。
ホテル生活でなくていいなあと思うのはこういう時だ。もっとも、家は自分で借りているわけだし、メンテナンスもホテルの従業員がやってくれるわけではない。それぞれ、人にお願いしている。テレビから冷蔵庫からグラスまですべてフツーの生活ができるものを揃えている。品質で言うと、いちばん最後に借りたこの家がもっともいい。日本企業の製品の進化を感じるのである(笑)。軽井沢の家なんて、まあ買い換えたけれども最初はテレビはブラウン管で、ビデオデッキは8ミリビデオだったもんなあ。仕事場は別にして(それでも冷蔵庫などはあって生活感に満ちているが)軽井沢、二番町、尼崎と3つの家を全部回していくのはなかなか大変だ。
 なんてことを、私はわりと正直なので言ってしまうのである。
ここで書いているのは、あなたや、あなたが、長く私とつながっていて信用できるからであって、ウェブなどに垂れ流すことはない。この「人間関係の距離」が私は楽しくて仕方がない。芸能人のように「私、それはいいです」的な拒絶も「こんなことしているのよ」も大嫌いなのだ。昨夜、面白いことがあった。『ザ・ボイス』を終えていつものように19時便に乗って尼崎に帰ってくる。最近見つけたちょっといい居酒屋がすぐ近くにあるので、晩飯を食いに出る。ANAの飯はとうとうほとんど手をつけなくなった。どんどん不味くなるのだもの。企業の劣化というものはこんなとこに出るのだと私は知っている。安全面で手を抜かないでね。
 居酒屋で周囲に背中を向けてカウンターでひとりで呑むのが私の流
儀なのだが「アマ」ではそれでも「あっ、かっちゃんや」となる。老父が長く商売をさせていただいている場所なので「はいはい」と私も挨拶をして、昨夜の場合は奥様たち3人の集団の席に呼ばれた。楽しい。「どんな生活してるん?」と聞かれたので「3つの家を転々として」というと騒ぎだした。「どんな女がおるん?」「それぞれ女がキープしとんのやろ」。とほほ、だ。あ~、世の中は私をこう見ているのかな、と少し思った。部屋の掃除どころか一緒に呑むひともいないので、こうやっておばちゃん、失礼、奥様たちの前でひとりカウンターにおるんやろが、と言いたかったが黙っていた。なるほど、テレビなどに出ているヒトに対する幻想とはそういうものなのか。わかっていたつもりだが、生まれ育った地で言われると「そうかなあ」だ。

 幻想と言えばこれもそうなのである。
そして幻想を抱くもっとも大きな原因ではないかと思っている。アタマの悪い(ほとんどの局の私の好きな担当者はゴメンね)連中が作ったメディアでさきほど私が巻き込まれたような妄想ができる。いや、妄想じゃないのかね。タレントさんたちの会話を聞いていると本当にそれはあるのかも知れないと思うが。吉本のイベントの楽屋の会話なんて合コンだけで…つるかめつるかめ。あの元気さは何なのかなあ。若いということなのか。「にいさん、今度行きましょうよ」と彼らは必ず言うが、いちども誘われたことはない。ちなみに私は年寄りなので吉本でのトシでは「にいさん」なのである。悪くはない。何を言いたいか。かかるメディアが跋扈するのはそれは商売だからいいでしょう。しかしその対価として教養ある人たちがこうした場を奪われるのは困るのだ。テレビやウェブばかり見られても、この数字では困る。

 <紙の出版物、15年の販売額5.3%減/減少率は過去最大>


 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ25II6_V20C16A1TI1000/
 <出版業界の調査・研究を手がける出版科学研究所(東京・新宿)
は25日、2015年の紙の出版物の推定販売額を発表した。14年比5.3%減の1兆5220億円と、減少率は1950年に調査を始めてから過去最大となった。特に稼ぎ頭の雑誌の落ち込みが深刻で、出版市場は底入れの兆しが見えていない。>
 これは出版業界だけではなく、
メディア全体の問題だと私は考える。いくつか本を紹介するいい番組があったり、ウェブではなかなかそうしたことが盛んなことも私は把握している。しかし「紙の本を読む愉しさ」はもっと、内容ではなく行為として言われていいのではないか。昨日の『ザ・ボイス』ではそれを強調した。あの番組の読者はまことに意識が高くて、紙の本との親和性があるので少しは効果があったかな。今日現在、私はカバンに5冊の本を入れている。ただし、ほとんどが文庫本や新書だ。肩掛けカバンだけなのでそれしか入らない。しかし、重い。この重さは知識の重さである。時にどうしても読みたいハードカバーがあると、これはこのカバンだと入れても2冊だな。しかし、持つ。ニュージーランドへは大きなカバンだったので(しかし私はトランクは使わない)ハードカバーを10冊ほど持っていった。
 よく「子どもに本を読ませる運動」などかあるが私は「ケッ」
と思っている。本は強制して読むことができるものではない。これは今日のキーワードだと思うのだが「飢餓感」だ。他に何もなくて本だけがあるとヒトは読むのである。私はこの「飢餓感」に悩まされているからいつも大量の本を持っている。切れてしまうと空港で、ほら、よくあるでしょう「なんとなく売店で売られている文庫本」を買ってしまう。読むとあとあと体調が悪い。悪いものを食ったときの感覚だ。いえ、私とてたいした書き手ではないのですがね。
 原点に戻る。「紙の本をもっと読んでもらうこと」
の戦略は簡単だ。大人に対しては出来ないだろうけれども、子どものネット接続を親がちゃんと規制するのである。私はテレビを観させてもらえなかった。全くということではなくNHKの『新日本紀行』などは「親と一緒に」観た。その光景そのものがいい記憶になっている。本?それも禁じられた。「本なんか読むな」と。だから私は夜中に親の本棚にそっと侵入して三島由紀夫を抜き出してフトンの中で読んでいたのである。
 あと何年かあとの世界の「教養」を支える人々は「
紙の本を読んできた」方々だと思う。私が紙の本が好きだということではない。電磁的なデータを読むことと紙のそれとは明らかに違うと思うからだ。もちろんウェブでの天才というのはどんどん出てきて大金持ちになるでしょう。しかし紙の天才はまったく質が違う。おそらく歴史に名前を残すのはこちらではないかと私は思っているギリシアやローマの歴史を読んでいると、不思議なものでそれを感じるのだ。
 最後にリアルな話も書かなくてはいけない。「紙」
はもう破産状態ですね。私は雑誌の連載がほとんどなくなったが、言い訳ではなく(苦笑)「評判が悪い」とか「へたくそである」ではない。ギャラが払えないのだ。そして私は、原稿料の減額にはモノ書きの矜持として絶対に応じない。だったらやめるしかない。どの雑誌がそうとは言わない。しかしなんとなくそういう噂が伝わっているようだ。困ったものである。
 本を買いましょう。ときどき私は「
いつもは何をしているのですか」と聞かれる。この日記をお読みのみなさんはわかるように「本を読んでいる」のである。死ぬことには「ケッ」と思っているが、ここまで読んだ本をクロスオーバーさせた脳が焼かれてしまうのは「ちょっと惜しい」とは考える。やはり変態ですかね。

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