名護の現状は 大阪から移住してきた 得体のしれない人々が 山々の間に住み着いて
わけのわからない生活をしていると噂する。
そう 彼らは 辺野古の問題を嗅ぎ付けて集まってきた人々である。
彼らの狙いは 単に反日。 名護では日本の体制に反することを支援する人々が
全国から集まる。
そう 辺野古反対を言う 地元の人間はいない。
辺野古=キャンプシュワブは 50年以上続く 地元が誘致した 海兵隊基地だからである。
沖縄では 昔ヘルメットをかぶり、今もこぶしを上げる人々が 時あらば火炎瓶を投げる
状況である。 そういう闘争は 彼らしか理解できず、だれもついてこない、しかし
その特異性を持って 辺野古反対派には大いなる 行動派を自認している。
名護市会議にはそういう過激な考えを持った人間が存在し、毎日の辺野古反対闘争に
参加しているのだ。
「火炎瓶男」川野純治氏は 天皇陛下が皇太子時代の昭和50年7月に沖縄県をご訪問された際に 糸満市内で、ご夫妻の車列に、空き瓶やスパナ、鉄パイプの切れ端のような物を投げつけて “襲撃”した人物。 こういう人間を自分たちの代表にするような 名護市に未来はない(ただし川野に票を入れたのは名護市民ではなく 反対派が名護に入れた幽霊住民と 大阪からの放浪住民たちだとも言われている)
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「火炎瓶男」川野純治氏を名護市会議員にしたら名護市民の恥、いや、沖縄の恥である。
天皇陛下に火炎ビンを投げたテロリスト・川野純治氏を名護市議の座から引き釣り下ろそう!
■4・29「昭和の日」反対!
大阪集会が開催される
四月二十九日、エル大阪において、「天皇即位二十年祝賀」反対!大阪行動の主催で、4・29「昭和の日」反対!大阪集会が開催された。集会には七十名近い労働者学生が参加した。この集会は、「天皇即位二十年祝賀」国家式典反対・臨時休日化法案阻止!薩摩の琉球侵略四百年・琉球処分百三十年・沖縄再併合三十七年弾劾!を掲げ、沖縄から沖縄・一坪反戦地主会北部ブロックの川野純治さんを招いて開催された。
最初に共同代表の黒田伊彦さんが、集会趣旨を提起し、「昭和の日」の経緯と天皇の戦争責任を批判した。また、講師の川野さんが、一九七五年の皇太子沖縄訪問に対し、ひめゆり白銀闘争を敢行した当事者であることを紹介し、こうしたたたかいをも振り返りながら沖縄と天皇制の問題をともに考えていこうという提起がなされた。
続いて、川野さんからの講演を受けた。川野さんは、沖縄青年と「本土」の青年がともに、天皇制に対する実力闘争に立ち上がったことを、いきいきと報告した。同時に、それ以降の沖縄における反天皇制闘争、とくに、八七年の知花昌一さん「日の丸」焼却決起へと続くたたかいが、日本帝国主義による沖縄民衆への徹底した「日の丸・君が代」強制、天皇制攻撃とのたたかいとしてあったことを報告した。さらに、辺野古などの新基地建設とのたたかいとともに、教科書検定問題を、沖縄戦・天皇制の問題として踏み込んで取り組んでいくことが必要であることなどを提起した。
また、いわゆる「革新勢力」の人物に叙勲を与えることで沖縄のたたかいを懐柔しようとする策動などへの批判にも言及し、「復帰」三十七年を迎える現在、ヤマト化の波が確実に沖縄社会経済全般に及んでいるなかで、沖縄の階級関係をふまえた沖縄解放闘争の再構築が必要であることを提起した。
川野さんの講演を受けて、質疑では、「日の丸・君が代」闘争の今後の方向性など、さまざまな意見が述べられた。
その後、参加団体からの発言がなされた。アジア共同行動(大阪)からは、フィリピンKMUよびかけのISA(国際連帯集会)に参加するために訪比したメンバーが入国拒否にあって、現在たたかっているとの緊急報告がなされ、集会参加者全体でフィリピン入管(政府)による不当な入国拒否に対する抗議の意志が表明された。
自立労連の仲間からは、中部工場閉鎖・解雇攻撃とのたたかいへの支援が呼びかけられた。
集会後、デモ行進に移り、街頭で天皇制に反対する声をあげて、この日のたたかいを終了した。
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4年前の名護市長選直後の産経新聞。
皇太子ご夫妻“襲撃”元活動家が名護市市議に当選 辺野古に反米・反日グループ集結? 2010.10.9 産経新聞
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、辺野古およびその周辺が、県外から集結する反米・反日活動グループの拠点になり、「闘争」がこれまで以上に過激になるのではという危機感が地元で広がっている。9月の名護市議選で、飛行場の受け入れ反対派が圧勝したことなどが理由だ。(宮本雅史)
選挙は定数27人に対し、受け入れに反対する稲嶺進市長派が16人を占めた。
名護市内の飲食店経営者は「反対を前面に打ち出した4、5人の候補者が労働組合などの支援で当選したため、反対活動が活発化するのは避けられない。特に川野純治さん(55)が当選したことが大きい。彼はPTAの活動を通して地元との関係を強くしていたが、経歴や現在の活動内容が不安材料だ」と話す。
公安関係者によると川野氏は、天皇陛下が皇太子時代の昭和50年7月に沖縄県をご訪問された際に糸満市内で、ご夫妻の車列に、空き瓶やスパナ、鉄パイプの切れ端のような物を投げつけて“襲撃”した人物。公務執行妨害容疑で逮捕、懲役1年6月の実刑判決が確定した。
当時の報道や関係者の証言によれば、川野氏は当時、「流血も辞さない戦いで皇太子上陸を阻止する」と宣言していた沖縄解放同盟準備会(沖解同)の活動家。事件について川野氏は平成9年6月、新聞社のインタビューで「天皇と沖縄戦の問題を考え、ふと現代に目を移すと、同一線上に巨大な米軍基地がありました」と振り返っていた。
活動家グループの機関紙やホームページなどをみると、川野氏は事件後も米軍基地反対運動を積極的に展開。9月の名護市議選では「移設反対を徹底する」と訴えていた。
活動家グループの機関紙やホームページなどをみると、川野氏は事件後も米軍基地反対運動を積極的に展開。9月の名護市議選では「移設反対を徹底する」と訴えていた。
ある市議は「事件のことは投票日直前に一部市民の間で流れたが、ほとんどの市民は知らなかった」と指摘する。
公安関係者は「市議という公の立場にあることで、川野氏の発言力も増す。全国から同志が集まり、反対運動が激化する可能性も高い」と警鐘を鳴らす。
すでに辺野古では、反対運動に変化が出始めているという。ある自営業者(61)は「最近、県外から活動家らしい人物が集結しているようだ。反対運動を展開していた地元のオジーやオバーも反対運動から排除されつつあるという話を聞いた。県外から反対活動家が集まり、辺野古が反対運動の拠点になるのではないかと不安だ」と語る。
ある地元民は「全国から退職教職員が夫婦で名護に来て選挙活動を展開していた」と、名護が活動家の拠点になる可能性を危惧(きぐ)している。
【追記】⇒【動画】38 - ひめゆりの塔事件 - 1975
折角だからこの記事を少し振り返ってみる。