[東京 20日] - 中国人民元への通貨アタックの様相が強まっている。中国当局が通貨防衛に成功する可能性がないわけではないが、目先、小康を得ても、米中経済ファンダメンタルズの違いを考慮すると、将来も大幅切り下げ、あるいはフロート制への移行に伴う大幅減価の可能性は排除できないだろう。中国景気が足踏みを続ける限り、懸念は常にくすぶる。
むろん、通貨アタックには自己実現的予想の側面も強いから、どのような帰結になるかは一概には言えない。1992―93年の欧州通貨危機の際に、英ポンドは通貨防衛に失敗した。一方、仏フランについては、通貨アタックは収束したが、当時、変動レンジを大幅に拡大しており、通貨防衛に成功したとは言い難い。
一時的に通貨防衛に成功し小康を得たように見えても、米国景気が比較的堅調で連邦準備理事会(FRB)が利上げを続ける一方、中国景気が低迷を続け金融緩和を継続せざるを得ない状況が続くならば最終的に通貨防衛は上手く行かなくなる可能性が高い。
つまり、今後、米国経済が想定よりも悪くなりFRBが利上げを中断するか、あるいは中国経済が想定よりも強くなり金融緩和が不要になるといった事態にならなければ、通貨アタックが再燃する可能性を拭い去ることはできないのだ。
では、仮に人民元が大幅切り下げを余儀なくされる場合、日本経済への影響はどうなるか。以下、頭の体操として、昨夏の水準から累計で3割の人民元切り下げが生じる場合を検討する。
本来、国内均衡の達成を考えれば、20―30%程度の人民元の対ドルでの切り下げが中国には必要となる(すでに7%程度低下しているため、追加的には15―25%程度の切下げが必要となる)。過去3年間で人民元の実質実効レートは3割上昇しているため、仮に累計で3割切り下げれば、マーケットはそれで十分と考えるだろう。
人民元の30%切り下げは、日本の貿易に占める中国の割合が20%程度(2014年で輸出は18.3%、輸入22.3%)であることを勘案すると、物価が直ちに変化しない場合、6%の実質実効円レートの上昇をもたらす。6%程度の円高にとどまるのならば、実質実効円レートが歴史的な安値水準にあることに変わりはない。
ただ、人民元の大幅切り下げは、多くの新興国にデフレショックをもたらすため、それらの国の通貨も連れ安で大幅減価する可能性が高い。その結果、円やユーロ、ドルなど先進国通貨は新興国通貨に対しても切り上がる。さらに、新興国・資源国への悪影響を懸念して国際金融市場が動揺、リスクオフの動きが広がり、円は対ドルなどでも上昇する可能性がある。この場合、円の実質実効レートは10―15%程度上昇する可能性がある。
実質実効円レートが10%上昇する場合、人民元以外の通貨に対しても、円が平均で5%程度上昇することを意味する。同レートが15%上昇する場合は、人民元以外の通貨に対し、円が10%程度上昇することを意味する。いずれも歴史的な円安の領域にはあるが、前者は実質実効円レートが13年11月の水準へ、後者は13年3月の水準へ舞い戻ることになる。後者の場合は、アベノミクスによる円安進展がかなり修正される。
まず、好調なインバウンド(訪日外国人客)消費については、無視できない影響が及ぶだろう。中国からの訪日客が相当に増えていた理由は、ビザ取得が容易になったことや円レートが相当に割安になったことなどもあるが、人民元が相当に割高になっていることもある。
それゆえ、本来なら、中国で生産された財・サービスに向かうべき中国人の所得が日本で支出されていた。人民元の割高さが解消されるなら、日本への支出の漏出も抑えられ、中国人の日本での「爆買い」も収束するだろう。
<輸出と設備投資に広がる負の影響>
インバウンド消費だけでなく、中国で稼いでいる製造業、非製造業の業績にも悪影響が及ぶ。例えば大手自動車メーカーは経常利益の1―3割程度を中国で稼ぎ出しているが、人民元が累計で3割も切り下げられると、円換算した利益水準の3―9%が一気に失われる。致命的とは言えないが、無視できる水準でもない。
さらに世界経済の回復ペースが減速する中で、ドル円レート自体もすでに1年前に比べてやや円高水準で推移している。前述したように、人民元以外の通貨に対しても円が5―10%上昇し、実質実効円レートが13年11月(10%上昇)、あるいは13年3月(15%上昇)の水準まで舞い戻るとすれば、16年度の大幅減益要因となる。円安による業績改善を背景とした株高というアベノミクスの最大の成果がかなり失われることになりかねない。
近年、中国での人件費の高騰によって、生産性の違いまで考慮すると、日中間での採算が逆転するという指摘をよく耳にするが、人民元が3割も切り下げられると、中国生産の採算性はかなり改善する。ただ、中国生産の採算悪化が問題視された際も、日本国内に生産拠点が回帰したわけではなかった。中国の人件費高騰による競争力低下に対応し、当時、日本企業が行ったのは、中国からベトナムなど他の新興国への生産拠点のシフトだった。このため、再びベトナムなどから中国に生産拠点を戻す企業が現れる可能性がある。
また、日本全体で見た場合、超円安の進展によって、14年半ばから製造業の生産拠点の海外シフトが一巡、国内生産能力は下げ止まっていた。人民元の切り下げに伴い他通貨の減価なども生じ、実質実効円レートが10―15%上昇、つまり13年3月から11月の水準に戻るとすれば、緩やかながらも生産拠点の海外シフトが再開する可能性がある。
過去3年間で、実質実効円レートは30%近く低下したが、その間、輸出数量の拡大には全くつながらなかった。しかし、少子高齢化による労働力減少の長期的トレンドが続いていることに加え、14年の年初以降、日本経済が完全雇用の領域に入ったこと、11年3月の東日本大震災の際にサプライチェーン寸断に直面した企業が、生産拠点の国際分散を進めたことなどが、円安による輸出数量の増加効果を相殺していたのであり、実質実効為替レートと輸出数量の間の関係が全くなくなったわけではない。
実質実効円レートが30%低下しても、輸出数量が全く増えなかったのだから、実質実効円レートが10―15%上昇しても輸出数量は抑制されないということにはならないだろう。さらに、人民元の大幅切り下げがもたらす新興国などへのショックで世界経済の回復ペースも一層鈍化すると見られ、そのことも日本の輸出数量を抑える要因となる。
設備投資への影響については、どうか。人民元が大幅に切り下げられる場合でも、あるいは中国が割高な人民元を甘受する場合でも、同じだと思われるが、確実に言えることは、世界経済のけん引役として皆が期待していた中国をはじめとする新興国は、もはや高い成長が望めないと多くの企業が認識するようになった点である。
つまり、中国をはじめとする新興国、あるいは世界経済に対する成長期待が大きく低下した。これは日本企業のみならず、各国のグローバル企業にも当てはまる問題だと思われる。内外での設備投資の拡大ペースは、成長期待の低下とともに、鈍化すると見られる。日本では15年度に大企業・製造業で高い伸びの設備投資が計画されたが、結局、下方修正せざるを得ないだろう。世界経済の先行きに不透明感が強まっていくことから、16年度は最悪の場合、更新投資さえままならない状況になるかもしれない。
物価への影響については、名目実効円レートが10%上昇すると、日本の消費者物価指数(CPI)はおおむね0.3ポイント押し下げられる関係がある。前述した通り、人民元の30%切り下げ自体は名目実効円レートを6%上昇させ、その場合、日本のCPIは0.2ポイント弱低下する。
ただ、他通貨に対しても円が平均で5―10%上昇する場合、名目実効円レートは10―15%程度上昇する。この結果、CPIは0.3―0.4ポイントの大幅低下となる。
さらに、外需低迷によって需給ギャップも悪化するため、CPIの押し下げ効果はさらに大きくなるリスクがある。新型コアインフレ(エネルギーを除くCPIコア)も1%を大きく割り込むことになるため、日銀も動かざるを得ないだろう。中国が大幅な人民元の切り下げに踏み切る場合、新型コアインフレが1%を大きく割り込むだけでなく、国際金融市場が大きく動揺し、実体面でも日本経済に悪影響が及ぶため、日銀は追加緩和に踏み切る可能性が高い。現状より円安に誘導する意図はないものの、大幅な円高を回避することについては政府からも強く支持されるだろう。
ただ、人民元が割高になったのは、FRBの利上げ継続観測でドル高が進んだことだけでなく、日銀や欧州中銀(ECB)がアグレッシブな金融緩和を続けたことも影響している。むろん、世界で2番目の大国である中国がドルにペッグしているというのが最大の問題だが、人民元問題にはアベノミクスによる円安政策も大きく関係している。それゆえ、人民元の大幅切り下げに対抗し、日銀が追加緩和を行うことは、必要な通貨調整を阻害することになり、通貨切り下げ競争の様相を再び強めることにもなりかねない。
将来的には、規模の大きくなった新興国は固定的な為替レート制を放棄し、一方で基軸通貨国や国際通貨を保有する準基軸通貨国は、他国に大きな影響をもたらすアグレッシブな金融緩和に対して自制的になるべきである。
2度目の消費増税についてはどうか。人民元の大幅切り下げでアベノミクスの最大の成果である円安と株高が大きく修正された場合、来年4月に予定されている8%から10%への消費増税は早々に先送りが決定されるだろう。人民元大幅切り下げの日本経済へのインパクトは大きく、多くの人がその変更に異議を唱えることもないと思われる。
現段階での試算では、人民元の30%切り下げが実施された場合、16年度の成長率は0.7―0.9ポイント押し下げられる。このうち0.3ポイントは、消費増税の先送りで駆け込み需要がなくなる影響であり、人民元の大幅切り下げがもたらす日本の成長率へのインパクトは0.4―0.6ポイントだ。新興国を中心に諸外国の成長率も低下するが、貿易乗数が働き、日本経済の落ち込みがより大きくなるリスクもある。
人民元の大幅切り下げの遠因の1つが、アベノミクスによる円安政策であるとするなら、人民元の大幅引き下げを理由に消費増税を再度先送りすることには、とても複雑な思いがしてならない。
また、円安や株高が大きく修正されることになると、近年の税収増も一気に失われることになり、昨年6月に策定された財政健全化プランは途端に瓦解する。潜在成長率が回復しているわけではなく、税収増は景気循環によるものであるため、それは必然である。次こそは、循環的な景気回復による税収増が永続しないことを前提に、財政健全化プランを策定すべきだ。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの
外国為替フォーラムに掲載されたものです。(
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