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習近平氏の南シナ海危機演出と「陸軍たたき」



習近平氏の南シナ海危機演出と「陸軍たたき」  編集委員 中沢克二

2016/8/3 6:30
日本経済新聞 電子版

中沢克二(なかざわ・かつじ) 1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞

 「(中国国家主席の)習近平が進める人民解放軍の大改革は、一言で表現するなら『陸軍たたき』だ。それは南シナ海での強硬姿勢と密接な関係がある」。習近平による大胆な軍再編の中身が明らかになった頃、共産党の老幹部が口にした一言だ。今から振り返れば、卓見だった。
 「陸軍たたき」とは、陸軍が温存してきた既得権益の剥奪と、伝統的な「七大軍区」の独立王国化の阻止を意味していた。
■再編で陸軍の利権剥奪

 「党の指揮に従い、戦争に勝てる人民の軍隊に」。習が軍トップの中央軍事委員会主席に就いた後、真っ先に掲げたスローガンだ。これまでの軍は、党の指揮=文民である中央軍事委主席の命令に背く恐れさえあったという恐ろしい事実を示している。危うい軍の中核は、カネまみれの陸軍だった。

 トップに就いた習はいきなり自ら掲げたスローガン実行のため実力を行使した。2007~12年の5年間、習と同格の中央軍事委副主席だった2人の追い落としに動いたのだ。元制服組トップの徐才厚(故人)と郭伯雄である。陸軍出身2人の断罪は、陸軍が仕切る体制の全面否定という点で、破天荒だった。権力固めを急ぐ習は、陸軍を改革への抵抗勢力と見ていた。

 7月25日、軍事法院(裁判所)は、収賄罪に問われた郭伯雄無期懲役の判決を下した。14年には徐才厚汚職で起訴したが、裁判前にガンで死亡した。陸軍には、将官の階級ごとに莫大なカネを上納して地位を買う悪習がはびこっていた。頂点に位置する仕切り役が郭伯雄徐才厚だ。

 軍事法院の判決でも、郭伯雄は軍内の昇格人事で便宜を図るため「とりわけ大きな金額」の収賄に手を染めたと認定した。金額をはっきりさせなかったのは、軍内に動揺が走るほど巨額だったためだ。南シナ海で米国と対峙するなか、安給料で働く末端兵士の士気が下がるのだけは避けたかった。

 なぜ、悪習が許されてきたのか。それは長い歴史を持つ大軍区制に絡む。新中国建国の前、共産軍の八路軍などには陸軍しかなかった。建国後、陸軍中枢に総参謀部、総政治部など総部を設け、各地には軍区(大軍区と省軍区)を置く。その後、軍区の一部再編はあったが基本編成は変わっていない。

 各地に同じ軍組織を持つ大軍区を設けたのは毛沢東だ。当時は本気でソ連との核戦争に備えていたのだ。首都を防衛する北京の軍区、東北の軍区がソ連の核攻撃で壊滅しても、奥地にある成都の軍区は生き残れる。そこには小さいながら鉄鋼、核兵器の製造に関わる産業など全機能があり、反攻に転じるための拠点にできる。そう考えた。

摘発された後、死去した徐才厚・前中央軍事委員会副主席(左、12年9月、北京の人民大会堂で、右は賈慶林・前全国政協主席)
 この大軍区制が後に大問題を引き起こす。毛沢東の考えた戦略上も各軍区は独立色が強い。予算、人事面もである。外から口出ししにくいため各軍区は独立王国と化していった。中枢の4総部も似た状況だった。
薄熙来絡む「独立王国化」阻止

 総部と大軍区への権限集中の結果、腐敗がはびこり、歯止めをかける勢力もいない。中央軍事委主席だった江沢民胡錦濤も本気で介入する気などなかったし、実際、その力もなかった。郭伯雄は内陸部の蘭州軍区の出身で「北西のオオカミ」と呼ばれた実力者だった。徐才厚と共に江沢民に近かった。その庇護(ひご)もあり、軍内は徐才厚郭伯雄のやりたい放題だった。

 既に無期懲役となった元重慶市トップの薄熙来は、失脚が確実になった頃、軍の重鎮だった父、薄一波が基盤を築いた雲南省の部隊を使って抵抗しようとしたフシがある。薄熙来雲南省の中心地、昆明に入り、部隊を視察。それを地元紙に書かせた。雲南省を含む成都の大軍区が、薄熙来の手に落ちれば、内戦に陥りかねない危うさもあった。大軍区制の弊害はここでも明らかになっていた。

 習は、独立王国だった7大軍区を5つに再編し、人事も大幅に入れ替えた。その裏返しとして、権限上、日陰の存在だった海軍、空軍を持ち上げた。南シナ海東シナ海、太平洋……。中国が狙う海洋と、その空域で戦う近代戦の主役は、潜水艦部隊を含む海軍と空軍だ。大きな顔をしてきた陸軍ではない。

 「第2砲兵」と呼ばれた戦略ミサイル部隊も対米戦略上、極めて重要だ。習による軍再編の主眼は海軍と空軍の強化、ロケット軍の新設、そして統合指揮系統の確立にあった。
 14年夏、中国は南シナ海で強硬策に出た。大型の石油掘削施設を設置し、あえてベトナムを挑発したのだ。双方の船同士がぶつかり、一触即発の状態が続いた。南では岩礁の埋め立ても急ピッチで進めた。
 中国はなぜいきなり危うい挑発に動いたのか。それは当時、習が内部で軍の大再編の準備を進めていた経緯に関係する。利権を奪われる陸軍幹部らの抵抗は極めて強い。習にとってまさに胸突き八丁。突破するには危機の演出が効果的だった。

 敵は目の前におり、早急に戦える軍隊に再編しなければ中国の将来はない――。そんな内に向けた脅しでもあった。南シナ海危機は、習の主導でいち早く軍再編を進めるための格好の口実になった。抵抗勢力と見る陸軍をけん制するため、海軍と空軍には陸軍と同様の権限も与えた。ロケット軍、戦略支援部隊の独立も陸軍の権限縮小につながる。

 習は人事権もフルに使った。12年11月、軍トップに就いて以来、最高位の上将に引き上げた人数は23人に達した。過去に比べかなり速いペースだ。軍内でも習の側近集団は力をつけつつある。現在の中央軍事委副主席の一人、許其亮は空軍出身だ。習は慣例を破って空軍系統も重視し、陸軍ににらみを利かせる。

南シナ海での譲歩は「政治上の死」

 仲裁裁判所は先に南シナ海での中国の主権を認めない判決を下した。習が無視したのは、軍掌握上も当然だった。強引に軍再編を進めた経緯からも譲歩など絶対にできない。主権問題で弱みを見せれば軍内から反旗が翻りかねない。その気にさせた海軍、空軍はおろか、割を食った陸軍も黙っていない。それは習にとって事実上、「政治上の死」を意味する。

 習は昨秋の訪米時、米大統領オバマに埋め立てた岩礁に関して「軍事化はしない」と明言していた。これが方便だったことは、判決後の中国海軍司令官、呉勝利の発言からもわかる。「計画通り島と岩礁施設の建設をやり遂げる」。7月中旬から訪中した米海軍制服組トップのリチャードソンに向けた言葉だ。

習主席は海軍、空軍を強化している(15年9月、北京での軍事パレード)

 中国高官として初めて施設整備の続行を断言していた。重大な発言であり、習の了解なしにはあり得ない。米国がストップをかける暇もなく急ピッチで進んだ南シナ海の「島」の建設。多数の船舶と人員が必要な一大プロジェクトは、権限を与えられた海軍の主導であった事実も透ける。

 7月27日、習は大々的に陸軍幹部を招集した。前日、中央軍事委、党政治局メンバーらが皆、参加する集団学習会を開いたうえでの陸軍の大会合だった。8月1日の建軍記念日を前に陸軍だけ集めたのが目を引く。郭伯雄への無期懲役で陸軍が動揺するのを抑える儀式であるのは明らかだった。

 習はかなりの数の陸軍幹部と次々と握手した。穏やかな表情ながらも、言外に伝えたかったのは「抵抗するなよ」という一種の脅しだった。かつての親玉、徐才厚を捕まえて死に追いやったばかりか、かつて現場で戦闘部隊を指揮した本当の陸軍のボス、郭伯雄にも2日前に重罪を言い渡したのだから。

 8月には河北省の避暑地、北戴河に長老と現指導者が集まる。目的は来年の共産党大会での人事の下準備だ。軍を完全に掌握すれば人事でも優位に立てる。そのためにも南シナ海では突っ張るしかない。習にとって南シナ海問題は内政上の戦いの道具でもあった。(敬称略)