先月来、世界中のチベット・サポーターの気を揉ませているニュースがある。日本の一部メディアでも報じられたが、12年前チベットからインドへ亡命した若き転生ラマ(活仏)、カルマパ17世に「スパイ疑惑」が浮上、インド当局が捜査に乗り出したのだ。
 少し前になるが、筆者は2009年11月、インドでカルマパ17世に単独インタビューを許されていた。そのときの模様を交え、今回のニュースを読み解いてみることとしたい。

カルマパ17世っていったい誰?

ダライ・ラマ14世法王」といえば、昨今は日本の巷でも多くの方がご存知だ。「では、パンチェン・ラマをご存知?」と聞くと正答者は急減する。
 とはいえ、2008年春のラサでのデモ弾圧後の集中豪雨的なチベット報道を通して「少しは知っている」という人も増えた。パンチェン・ラマが、ダライ・ラマに次ぐ高僧であること、あるいは、チベット側が認めたパンチェン・ラマ11世が幼児期に中国当局によって拉致され今日まで行方不明だということ、これに対抗して、中国共産党が独自のパンチェン・ラマ11世を選び出していることなどを知る人もいる。
 ところが、こういう方に、「では、カルマパ17世をご存知?」と聞くと、いわゆる「チベット好き」という人を除けば大半の日本人が知らない。
 それほど、カルマパという名はこれまで日本の報道には乗らなかった。
 御年25歳。亡命チベット社会の次代のホープとも目される、若きカリスマ・ラマ。カルマパ17世は今や、ダライ・ラマ14世法王に次いで、世界のチベット・サポーターの注目を一身に集める存在である。
 と同時に、あの中国共産党政府が「最も怖れる存在」の一人だともいわれてきた。
 2009年秋、筆者は、そんなカリスマへの単独での謁見、インタビューの機会を得た。その内容や様子を書く前に、カルマパ17世について、もう少し説明しておきたい。
 「カルマパ」とは、チベット仏教四大宗派の一つ、カギュ(黒帽)派の最高位の僧である。ちなみに、ダライ・ラマパンチェン・ラマは別の宗派である、ゲルク(黄帽)派の最高位の僧で、チベットでは伝統的にこのゲルク派の二人の僧が聖俗両方の最高指導者となってきた。
 カルマパ17世は、別の宗派の17代目の転生者である。
 17世は1985年6月、チベット・カムの遊牧民を両親に生まれ、92年、7歳のときに、米国で亡くなった先代の“生まれ変わり”として見いだされた。
 チベットには「転生ラマ」は少なくないが、カルマパ17世はとにかく特別な存在だ。
 なぜなら、彼は、チベットが中国の侵略・支配を受けてのち初めて現れた、宗派最高位の転生者であった。しかも、チベットの四人の高僧による選定を、インドに亡命中のダライ・ラマ法王が承認し、さらにその決定をあの中国政府も受け入れ、追認したという存在だったからである。
 つまり、チベット・中国双方が認めた唯一の転生ラマであったのだ。そのためか、このカルマパ少年を、無神論者の中国共産党政府は、異様なまでに厚遇していた。
 カルマパ少年と両親には“中国周遊の旅”がプレゼントされ、上海では、「おもちゃ買い放題」のオプションまで付けられた。その後は、江沢民国家主席が直々に面会。主席は、
 「一生懸命勉強して、“チベットのために”役立つ人物になってほしい」
 と、のたまわったと伝えられた。
 ところが、14歳に成長したカルマパ17世は、突如チベット本土を脱出しインドへ亡命したのである。折しも、世界が新ミレニアム到来に沸いていた、1999年12月末から新年に代わるタイミングであった。
 このカルマパ亡命は、日本ではほとんど騒がれなかったが、欧米メディアは相当エキサイトしてこれを伝え、世界のチベット・サポーターを感動の渦に巻き込んだ。

中国がカルマパを厚遇するのはなぜ?

 中国政府の狙いは明々白々だった。転生ラマを中国共産党の代弁者に育て上げ、頑固に抵抗を続けるチベット人懐柔の道具に使おうと考えていたのだ。
 中国当局は、よもや、“厚遇”しているカルマパ17世が、命懸けでチベットを出奔するなどとは想像していなかったはずである。
 世界のメディアが「カルマパ17世インドへ亡命か?」と騒ぎ出すと中国政府は亡命説を否定。「17世は旅に出ている。儀式に必要な道具を買うためインドへ出かけた」とオトボケ返答をし、同時に、当然のごとく、厳しい捜査を開始、僧侶を大勢逮捕した。
 当時の首相、朱鎔基は次のようにコメントしている。
 「党の宗教政策を貫徹し、社会と政治の安定維持に努めなければならない」
 中国共産党の論理でチベット仏教を支配・管理していくと断言したのである。
 余談だが、朱は、日本の政財界に多くの「朋友」をもち、日本人から多くを学んだと公言していた人だ。その日本人のなかに、朱の宗教への無理解を諫めた人が皆無だったことは甚だ残念である。
 その後、カルマパ17世は、チベット亡命政府の本拠地でダライ・ラマ14世法王が住む、ダラム・サラで、高僧、老僧らの薫陶を一身に受け、25歳(当時)の青年ラマに成長した。ただし、この間、一貫して彼は、インド政府の厳重な身辺警護下にあった。
 近年の「カルマパ人気」は何しろスゴイ。
 ダラム・サラを訪れると、「カルマパの熱心な『追っかけ』の欧米女性が大勢来ている」とか、台湾マダムが大挙してカルマパ詣でをし、若きイケメン・ラマのご尊顔を拝して涙した等々。「カルマパ神話」は山ほど聞こえてきた。
 近年、欧米各国でのチベット仏教寺院新築プロジェクトで目立って多いのが、カギュ派の寺院だとか。つまり、建造費を出そうという大口寄進者が多いことを意味するが、これもひとえに、カルマパ17世への期待の表われだという。
 この話を聞くと、逃がした大魚を悔しがる、北京方面の顔が目に浮かぶ。

カルマパ17世に謁見 彼は日本好きだった

 カルマパ17世への謁見は突然許された。
 限られたインタビュー時間。無駄なく聞くために用意していた質問のリストを手に、僧院に着くと、ひじょうに厳重な荷物チェックとボディチェックを受け謁見の間に進んだ。
 「あなたは最後です。ほかの方が終わるまでお待ちください」
 といわれ、待つこととなった。やがて30分が過ぎ、私の順番がきた。
 部屋へ入ると、タンカ(仏画)の前に若い大柄な僧が立っていた。カルマパ17世の周りには数人の年かさの僧と、年配の俗服の男性が「脇を固める」という風情で控えていた。
 張り詰めた空気を感じたが、まずは謁見が叶ったことの御礼を申し述べ、そのまま質問に入った。
 「日本に興味をおもちだと伺いましたが、本当でしょうか?」
 こう聞くと、17世は心の底からの笑みと思える表情を浮かべた。
 「えぇ、本当ですよ。今、日本語を勉強しています。いつか、必ず日本へ行ってみたいと思っています」
 6カ国語を学んでいるカルマパ17世が、日本語をとくに意欲的に勉強しているという話は聞いていた。そして彼が、日本という国について、さまざまなことを知りたがっているとも聞いた。「ニンテンドー」から、「広島・長崎」に至るまで、ご関心は実に多岐にわたるとも。
 しかし、実際に対面したカルマパ17世の印象を語ることは、ひじょうにむずかしい。
 彼は、一見すれば24歳(当時)の青年僧だが、話しているうちに何やら、とても成熟した大人と話をしているような気がしてくる。
 難解な言葉を使うでもなく、老成したことをいうわけではなく、私の質問に真剣な表情で耳を傾け、側近に英語の語彙を確認しつつ、一語一語ていねいに答える。その姿自体はけっして老練の風情でなく、むしろ修行僧の謙虚さそのものだが、不思議に落ち着いた感じをこちらにもたらしてくれる。
 今、私が会話しているのは24歳の若き僧か、それとも老僧なのか。ふと、転生ラマとはこういう存在なのだろうか。そんなことが頭を駆け巡る。
 聞くべきか否か逡巡していたある質問を、思い切ってぶつけてみた。
 「政治的な質問を差し上げるのは失礼かと思いますが……」と切り出すと、カルマパ17世は微笑んでいった。
 「少しなら構いませんよ。どうぞ、おっしゃってみてください」。 しかし、側近は私にきつい視線を向けた。

中国との関係はどうなっているのか?

 昨今、世界のチベット・サポーターの間には、ある噂がある。
 亡命の身ですでに70代となったダライ・ラマ14世法王が、チベットの伝統を破り、自身で後継指名をするのではないか。その最有力候補はカルマパ17世ではないか、という噂である。もちろんダライ・ラマ14世は、「私はまだまだ元気だから、後継者の話をするなど時期尚早」と、この噂を一蹴している。
 しかし、噂は中国政府の耳にも当然届いていて、中国はこれを非常に気にかけ、そうなることを嫌がっているとも伝えられている。
 あえて、後継者云々とはいわず、「あなたが、チベットの指導者として影響力をもつことを中国政府が気にかけているようですが……」と尋ねた。カルマパ17世の答えはこうだ。
 「チベットの歴史上、カルマパという存在が政治的な権力を握ったことはありません。しかも、私はまだまだ修行の身。そんなことを考えてもいませんよ」
 少し間があって、答えは続いた。
 「中国政府が気にすることは何もないはずですよ。私は、中国の言葉を話せますし、中国についてよく知ってもいます。そのことは、チベットと中国双方にとってよいことだと思いますが」
 仰せのとおりである。ただし、それは先方が同じ次元でものを考える相手であれば、の話だ。側近の視線はますますきつかったが、もう一歩踏み込んだ。
 「あなたが中国のことをよくご存知だからこそ、彼らはあなたを怖れているのではないでしょうか?」
 カルマパ17世は笑った。「そんなことはないでしょう。中国のほうも私をよく知っていますから。私は、ただの僧侶ですし」
 とくにこの瞬間、私は本当に、24歳の若者と会話しているのか? と思わされた。謁見の終わりに、カルマパ17世は突然、日本語でこういった。
 「よくおいでくださいました。ありがとうございます」
 小さな声で、少し照れながら。その様子は先ほどと打って変わって、24歳の控えめでシャイな青年僧そのものだった。
 2008年、カルマパ17世は、インドへ亡命後初の外国訪問として米国を訪れ、熱狂的な歓迎を受けた。今後、若きカリスマが活動の舞台を広げ、国際的な人気をさらに高め、それにつれ、中国政府の「懸念」が強まるであろう。このときはそう思っていた。

カルマパは本当にスパイなのか?

 あのカルマパ17世にスパイ疑惑。個人的には信じたくない話だが、捜査はまだ継続中で、最終的な結論が出るのはもう少し先である。
 身辺から人民元を含む多額の外貨が見つかったことは、カルマパ側の説明のとおり、「お布施」だとも考えられる。しかし、側近がダラム・サラ周辺、数百カ所の土地を他人名義で購入していたことや、カルマパ17世自身が、09年、香港で中国当局関係者と接触したという情報を聞くと、懸念が頭をもたげる。
 チベット亡命政府はこの疑惑を否定し、ダラム・サラのチベット人ら数千人は、カルマパ17世の潔白を信じることのアピールをすべく、寺院まで行進した。
 今回の件では、インドメディアは、やや先走った感のある情報と、カルマパ17世側に厳しい「当局者のコメント」等が紹介された記事が目立った。一方、欧米メディアは、カルマパ17世が面会したジャーナリストに、「自分は外の世界をまったく知らない」と、不満ともとれるコメントをしたことなどを紹介し、ややカルマパ寄りの報道をしている。
 インド政府関係者はいう。
 「現代っ子のカルマパ17世が、ヒップホップやアニメ、ビデオゲーム好きだという噂も聞こえて来ていた。他愛ないこととも思えるが、われわれには、一日も早く、あの偉大なダライ・ラマのような指導者に育ってほしいとの思いがあり、少し気がかりではある」
 異教徒がほとんどのインドにあっても、ダライ・ラマ14世の人気は絶大だ。
 法王の訪れるところ必ず黒山の人だかりができる。これは、長年、法王と亡命チベット人を支えてきたインド社会が、法王に対し揺るぎない信頼を寄せている証でもある。当然だが、カルマパ17世に対しては、同じ盤石の信頼が築かれているとはいえない。
 一方、2年ほど前から、ダライ・ラマ14世法王とチベット亡命政府は、「一般の中国人との交流促進」を世界中で進めてきた。日本でも、在日チベット人と在日中国人との交流会が催され、法王来日の折には、中国人識者や学生とのセッションの場も設けられた。
 この頃から、ダラム・サラへの中国人訪問者も増え、それに伴う、中国側のスパイ流入を、インド当局がことさら強く警戒していたという事情もある。さらに近年、中国が、インド国内の共産主義勢力を通じ、ダラム・サラ周辺のインド人社会への工作を強めているのではないかとの情報も飛び交っていた。
 昨今、ともに世界への影響力を増しているインドと中国。半世紀前の国境紛争後、4000キロもの国境線は表向き休戦状態だ。両国間の貿易や旅行者の行き来は飛躍的に伸びているが、その一方、インド国内には、「数年後、中国との戦争が不可避か」との声もある。
 以前このコラムで書いた「真珠の首飾り」のように、中国の、あからさまな「インド包囲網」へのインド側の警戒感は相当に強い。
 今回の事件には、そうした印中両国の空気が影響しているとも考えられる。とにかく、さらなる事実の究明が待たれる。