パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

沖縄から動く 日本国民としての 日本人のやること

沖縄の本当の声が だんだん日本全土に伝わり始めました。
かっての 左翼思想家や ノーベル文学賞受賞者を使って、戦後行われてきた
捏造の 沖縄の近代史の詐話もどんどん明らかにされています。
左翼に 嘘という媒体で 社会から抹殺され、いわゆる左翼が言う 差別と村八分をされてきた 普通の沖縄人がどんどん生き返っています。
本土から 嘘や「まやかし」で送り込まれる リベラルを標榜する人々が振り返るべき 時が来ているのだ、

琉球新報沖縄タイムスを糺す県民・国民の会

____________________リベラルを標榜する_________

「メルマガ第137号」11月13日

沖縄タイムス琉球新報が、常軌を逸する捏造新聞であることは、最近では全国的によく知られた事実です。

沖タイの阿部岳記者が捏造記事を書くための「取材現場」を映像で全国民の目に晒してくれた効果は抜群でした。

百聞は一見にしかずといわれます。

おかげで読者は、改めて沖縄タイムスの捏造体質を確認し、阿部記者の執拗な捏造取材に驚きを隠せなかったでしょう。

阿部記者は、百田尚樹氏への「取材現場」をネット中継で生放映されため、翌日の紙面では「差別発言」「ヘイトスピーチ」と決めつけることに失敗しました。

阿部記者の「大活躍」のせいで、沖縄タイムスも従来のように臆面もなく捏造記事を書くことには躊躇する傾向が見えてきました。

これまで「あらゆる手段で辺野古阻止」と叫んできたを翁長知事ですが、知事を支援してきた山城博治被告や「市民ら」が翁長知事を非難する報道が、見え始めたのです。

沖縄タイムスのこの報道。

▼▼ 引用 ▼▼▼

山城博治氏、翁長知事の意向を確認へ「覚悟決める」 2017年11月13日 06:00
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/169342

沖縄平和運動センターの山城博治議長は10日、名護市辺野古の新基地建設で、県と本部町が護岸建設用石材の海上運搬を請け負った業者に奥港(国頭村)と本部港の使用を許可したことについて「これまで翁長雄志知事を正面から批判したことはないが、覚悟を決めて翁長県政と向き合う必要が出てくる」と話し、近日中に県庁に出向いて県側の意向を確認する方針を示した。

▲▲ 引用ここまで ▲▲▲


琉球新報の記事

▽▽ 引用 ▽▽▽

 山城議長、知事を批判 新基地資材海運認可で
琉球新報 11/11(土) 5:00|Yahoo!ニュース

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171111-00000003-ryu-oki

沖縄平和運動センターの山城博治議長は10日、県が辺野古新基地の護岸工事で奥港(国頭村)からの石材運搬を認めたことに対し「これまで知事を正面から批判したことはないが、今回の件を受け、覚悟を決めて翁長県政と向き合う必要が出てくる」と翁長雄志知事の姿勢に疑問を呈した。那覇市の八汐荘で開かれた第25回定期総会のあいさつで述べた。
 法律に基づき審査した結果、不許可にできる理由が見つからないと県側が答えたことについて「あらゆる手法で建設を阻止すると知事はこれまで主張してきた。それは一体何だったのか。これでは工事を止めることはできない」と語気を強めた。

△△ 引用ここまで △△△

これまで「正す会」の沖縄2紙に対する「啓蒙活動」が「ボディブローのように効いてきた」と再三述べてきましたが、上記のような沖縄2紙の変化やFMラジオ「沖縄防衛情報局」に対する沖縄2紙の言論圧力も、沖縄2紙が「正す会」の活動をこれ以上見過ごすことができなくなった焦りの表れと考えます。

極め付けが、沖タイ阿部記者の「俺が差別と感じたら差別だ」といった傲慢な取材手法の暴露です。

一方、八重山日報がいち早く沖縄2紙が支配する沖縄の言論空間の歪みを正すべく、4月から「本島版」の発刊に踏み切ったことはご承知のとおりです。

さらに、沖縄の言論は大きな変革を示し始めています。

沖縄の宮古市に本拠を置く、宮古毎日新聞が次のような記事を掲載したのです。

これは、「沖縄の民意は沖縄2紙が作る」と豪語して、捏造報道を続ける沖縄2紙への強烈な批判を意味します。
沖縄の言論空間に地殻変動が起きた表れです。


宮古毎日新聞

▼▼ 引用 ▼▼▼

【行雲流水】(言論の自由は誰のものか)http://www.miyakomainichi.com/2017/11/103576/

社会が複雑化する中では事件も多様化する。テレビや新聞が報道しない事があったとしても不思議ではない。しかし、報道機関が見落したり、故意に無視した出来事の中には情報の受け手にとって状況を判断するうえで重要なヒントとなる事案もあるはずだ

▼インターネットは既存メディアが報道しない出来事を容易に手にすることができる媒体である。フェイスブックツイッターといったソーシャルメディアが情報源としてクローズアップされつつある

▼音声と映像によって情報を提供するテレビ、写真と文字を主体とする新聞・雑誌にたいしてソーシャルメディアは映像・文字といったテレビと新聞・雑誌を一つにした形で情報を提供するだけでなく、いわゆる解説者やコメンテーターといったそれこそ余計と思われる人たちを介することなくダイレクトに社会の出来事を知ることができる

▼先の国政選挙でテレビや新聞が報道しなかった「偏向報道は犯罪だ」とのプラカードをかかげてのテレビ局に対する大衆の批判は新鮮な驚きであった。これまでジャーナリストや特定の人々の特権であるかのように思われていた言論・表現の自由はすべての人々の権利であることを思い起こさせる出来事であった

▼報道の良し悪しは報道する側・ジャーナリズムが判断することではないと一般の人々が主張しだしたといえるだろう。ダメなものはダメだと視聴者や読者が声を上げるようになったことを、既存メディアは法律論は別にして真摯(しんし)に受け止めるべきではないのか

▼テレビや新聞が社会をリードするといった概念はソーシャルメディアの普及によって変わりつつあると思える。

▲▲ 引用ここまで ▲▲▲


沖タイの阿部記者にもぜひ読んで欲しいコラムであり、阿部記者に新聞記者魂の一欠けらでも残っていたら、特に次の部分は胸に手を当てて考えていただきたいものです。

≪▼報道の良し悪しは報道する側・ジャーナリズムが判断することではないと一般の人々が主張しだしたといえるだろう。ダメなものはダメだと視聴者や読者が声を上げるようになったことを、既存メディアは法律論は別にして真摯(しんし)に受け止めるべきではないのか

▼テレビや新聞が社会をリードするといった概念はソーシャルメディアの普及によって変わりつつあると思える。 ≫

もっとも「悪魔に魂を売った」と自認する阿部記者にとっては馬の耳に念仏でしょうが・・・・。



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 最後まで読んで頂きありがとうございます!
 See you next week!
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