天安門から30年、さらに悪化した中国の人権侵害
一党独裁体制は今もそのまま
2019.6.4(火) 筆坂 秀世
中国・北京の天安門広場
(筆坂 秀世:元参議院議員、政治評論家)
1989年6月3日深夜から4日未明にかけて、民主化を求めて北京の天安門前広場に集まった10万人とも言われる学生、市民に対して、中国共産党が軍隊を出動させて無差別に発砲するという暴虐行為を行なった。いわゆる天安門事件である。今年はそれから30年となる節目の年である。
日本ではこの事件の1カ月後の1989年7月に参院選挙が行われることが決まっており、日本共産党も火の粉を払うために必死だったことをよく覚えている。日本共産党は、その日のうちに中央委員会声明を発表し、(1)人民を守るべき社会主義国の軍隊が人民大衆に銃口を向けるなど、黙過できない暴挙である。(2)学生・市民の運動は非暴力の形態をとり、「動乱」などではない。(3)中国の党・政府の指導部が社会主義的民主主義を踏みにじったものである、という批判を行った。
この事件のきっかけとなったのは、同年4月に胡耀邦前総書記が死去したことであった。当時、胡耀邦は民主化を進める代表人物と見なされていたが、鄧小平の不興を買い失脚させられていた。学生らは、胡耀邦の公正な評価、指導者の資産公開、報道の自由と検閲の中止、デモ禁止条例の廃止などを求めて、座り込みを開始したことが始まりであった。
独裁政権は必ず崩壊する
ではその中国は、現在どうなっているのか。
5月29日付産経新聞に、当時、学生のリーダーの1人として民主化運動を主導し、現在は米国に亡命している王丹氏のインタビューが掲載されている。王氏は、「中国の人権状況は、天安門事件前よりはるかに悪化している。当時、私たちはある程度の言論の自由があったが、今は完全な監視社会になった」と厳しく批判している。
さらに、「独裁政権を維持するのに高いコストがかかる。だからいつか必ず崩壊する。私は・・・さまざまな帝国の崩壊過程を研究した。国内の不満を外に向けさせるために対外膨張し、それが財政破綻を引き起こして崩壊のきっかけになることが多い。・・・一帯一路という巨大プロジェクトはまさに対外拡張で中国崩壊の兆しといってもいい」と語り、現在の習近平政権のやり方こそが、独裁政権の崩壊を呼び込むものとなっていると断言している。
この指摘は、我々の目からすれば、特段、驚くような指摘ではないのかもしれない。一党独裁体制がいつまでも続くような国のあり方は、どう考えても不健全そのものだからだ。
天安門事件が起こった際、日本共産党は声明で「社会主義国の軍隊が人民大衆に銃口を向ける暴挙」と批判したが、別に社会主義国以外の軍隊でも許されることではない。また、「社会主義的民主主義を踏みにじった」という批判の「社会主義的民主主義」とは、一体どういうものなのか。そもそも中国共産党の一党独裁体制のもとで、どんな民主主義や政治的自由があるというのだろうか。そんなものはあり得ない。
今日の日本共産党の路線を確立した1961年の党綱領では、中国共産党の一党独裁体制を作り上げた中国革命を「偉大な勝利」と持ち上げ、「ソ連を先頭とする社会主義陣営・・・が人類進歩のためにおこなっている闘争をあくまでも支持する」などとしていた。
だがソ連での過酷な強制労働や農業集団化などのさまざまな問題が明らかになると、1977年の第14回党大会では、ソ連や東欧の社会主義国は、世界史的に見ればまだ生成期にあるという独自の議論を展開した。この議論というのは、“いろいろと問題はあるが、これから良くなっていく。いまは良くなっていくための過度期なのだ”ということを含意したものだった。
ところが1991年にソ連が崩壊すると、またまた社会主義国への評価を変更した。94年の第20回党大会で綱領の一部改正を行ったのだが、この報告で不破委員長(当時)は、「(生成期論の)当時はまだ、旧ソ連社会にたいする私たちの認識は、多くの逸脱と否定的現象をともないつつも大局的にはなお歴史的な過渡期に属するという見方の上にたったもので、今日から見れば明確さを欠いていた」と述べ、次のように綱領を改正したと言うのだ。
「これまで『社会主義国』とよんできた諸国を『社会主義をめざす国ぐに』『社会主義をめざす道にふみだした国ぐに』と表現し、旧体制が解体したソ連・東欧について、『社会の実態として、社会主義社会には到達しえないまま、その解体を迎えた』」と規定しました。
要するに、分析などという代物ではなく、社会主義国の否定的な面が露わになる度に、慌ててもっともらしく評価を変えてきただけのことなのだ。
では現在の綱領ではどうなっているのか。
2004年第24回大会で改正された現綱領には、「重要なことは、資本主義から離脱したいくつかの国ぐにで、政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも、『市場経済を通じて社会主義へ』という取り組みなど、社会主義をめざす新しい探究が開始され、人口が13億を超える大きな地域での発展として、21世紀の世界史の重要な流れの一つとなろうとしていることである」とある。
綱領改定報告を行った不破議長(当時)は、「この判断は、方向性についての認識・判断であって、その国で起こっているすべてを肯定するということでは、もちろんありません。改定案自身が、これらの国ぐにの現状について『政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも』と明記している通りであります」「他国の問題を考える場合、日本共産党は、社会の変革過程についての審判者でもないし、ましてや他国のことに何でも口を出す干渉主義者でもない」と言うのだ。
これはもういざというときの逃げ口上と言うしかあるまい。これでどうして「世界史の重要な流れ」などと言えるのか。無責任の極みである。
不破氏はソ連崩壊後の94年、綱領の一部改正を行った際の報告で、「社会主義とは人間の解放を最大の理念とし、人民が主人公となる社会をめざす事業」であると述べ、強制労働、囚人労働など大量弾圧を行ってきたソ連は、社会主義国どころか、その「過度期」でもなかったと述べ、党員の拍手喝采を浴びている。
そして一番重要な指摘がなされていない。それは一党独裁こそがソ連の暴虐政治の最大要因だったということだ。天安門事件がなぜ起こったのか。なぜ社会主義を標榜する国は、言論の自由、政治的自由がなく、民主主義がないのか。これらのことは、中国、ベトナム、キューバのいずれの国にも共通している。ソ連や東欧諸国と何も変わりはないのだ。
「政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも」などという中途半端言い方で済まされることではない。憲法に共産党を指導政党として役割が明記され、マルクス・レーニン主義や毛沢東主義が明記されている国に、自由も民主主義もないことは、誰にでも分かることだ。日本共産党がこの政治体制への批判ができないようでは、やはり“同じ穴の狢(むじな)”と見られても仕方なかろう。天安門事件から30年、改めてこのことを指摘しておく。
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