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朝日新聞記者 植村隆氏」何が問題か


 
 
 
アゴラ 言論プラットフォーム

2019年07月01日 06:00
田村 和広
6月26日東京地裁において、ある注目の裁判についての判決が下った。
植村隆氏が、名誉を毀損されたとして週刊文春西岡力氏(麗澤大学客員教授)を訴えていた訴訟案件である。植村隆氏と言えば、いわゆる「従軍」慰安婦報道で知られる元朝日新聞記者であり、現在では「週刊金曜日」の発行人という有名なジャーナリストである。

判決は植村氏敗訴に(画像は植村氏著書『真実』、週刊文春ツイッターより:編集部)
一方の文春はさておき西岡力氏と言えば、慰安婦の「強制連行」を否定し、数々の論戦を展開、今回と同趣旨の、高木健一弁護士との争いでは最高裁で勝訴した有力な論客の一人である。
東京地裁名誉毀損の認定はしたが損害賠償は認めず、植村氏の請求を棄却した。これはある程度予想された通りの結果のようだが、植村氏側は控訴するという。
なお、「従軍」慰安婦報道をめぐり、植村氏はジャーナリストの櫻井よしこ氏らを相手にした名誉毀損訴訟も起こしているが、そちらについては、2018年11月札幌地裁が植村氏の請求を棄却し、現在高裁で争っている。
3つの問題点
判決内容の妥当性や慰安婦報道に関する問題はここでは論じない。そうではなくて、言論人にもかかわらず裁判に訴えざるを得ないところまで追い込んだ社会的制裁に関連する問題を考えたい。筆者が感じる問題点は次の3点である。
問題1:新聞社の編集方針のもと記事を書いた記者個人に対し、批難に行きすぎはないか
問題2:ジャーナリストたるもの言論には言論で戦うべきではないか
問題3:言論人として、判決を誤謬で強弁するのは控えるべきではないか
批難と社会的制裁は過剰か
問題1:新聞社の編集方針のもと記事を書いた記者個人に対し、批難に行きすぎはないか。
植村氏側の訴えが事実ならば、行き過ぎである。
西岡氏は、1992年の「文藝春秋」で植村氏の記事を批判しはじめ、2012年以降も植村氏の記事を「捏造」などとする論考を書籍やウェブサイトで発表した。
週刊文春も2014年、植村氏について「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」などの見出しで朝日新聞退職後の就職先について報じている。
その結果、植村氏が雇用される予定だった大学には多数の抗議が届き、雇用予定の解消に応じざるを得なくなったという。また文春記事については、家族に対する脅迫なども起きたと植村氏側は主張した。
不幸な事態を招いた原因は朝日新聞にある
朝日新聞慰安婦問題について虚偽の報道を続け、長期間にわたって訂正もしなかった。その上、2014年の誤報謝罪後は、社の方針のもと記事を書いた記者が批難されても保護せず、記者に対する責任追及の社会的制裁も放置していた。真実に向き合う西岡力氏達が記事を捏造とする論考を発表したのも当然である。朝日新聞がこの状態を放置し続けた責任は大きいのではないか。
一方批難する側も、本来指摘の矛先を向けるべきは、新聞社としての編集責任者、「主筆」的責任者(今の朝日に存在するのか不明)そして経営責任者としての社長であって記者ではない。また、家族への脅迫も起きたとすれば、それは名誉毀損で訴えることではなく、警察に捜査を依頼すべき悪質な犯罪である。
ただし、「植村氏側の訴えが事実ならば」という前提条件が付く。一般論としては社会的地位もある新聞記者を疑いたくはないが、捏造が事実認定された記事を書いた記者の主張なので、鵜呑みにはできない。この点は自分で招いた言説への信頼性の低下である。
言論の戦いを法廷に持ち込むべきか
問題2:ジャーナリストたるもの言論には言論で戦うべきではないか
言論の戦いならば、当然言論で応酬すべきである。人格さえもかけた知の戦いという意味では囲碁将棋も同様に真剣な勝負である。その囲碁将棋において、劣勢になったからといって法廷に訴えるかと言えばそれはあり得ない。言論の勝負ならば、言論で決着をつけるべきである。そこにルールはないがモラルはあるべきだ。
ただし、言論の結果として前述のような過剰な社会的制裁が発生するならば、それらを総合して法廷で蹴りを付けるということにも妥当性はあるだろう。
判決と個人の信念は分別すべし
問題3:言論人として、判決を誤謬で強弁するのは控えるべきではないか
負けは負けである。今回の名誉毀損の裁判では、公共性、公益性、真実性(真実相当性)の3要件を満たすと判定され、違法性は阻却された。
具体的に裁判所は、次の各点についても認定した。
  1. 西岡氏の推論には一定の合理性がある。
  2. 西岡氏が自身の主張が真実であると信じるのはもっともなこと。
  3. 植村氏は「日本軍による強制連行」という認識はなかったのに、「女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行された」という、あえて事実と異なる記事を書いたことは真実である。
そして裁判所は、西岡氏の主張はこれらを前提としており、意見・論評の域を逸脱したものとは認められないとした。(判決内容要旨は弁護士ドットコムニュースを参照した)
植村氏は、「私は捏造記者ではない」などと訴えたが、裁判所は植村氏が意図的に事実と違う記事を書いたと認定しているので、植村氏の訴えには疑問が残る。
また、「名誉毀損が認定されたので、捏造は事実ではない」とする一部の主張がSNS上で観測されるが、これは誤謬ではないか。名誉毀損の要件として摘示事実の真偽は問われないはずで、事実を記事にしていても名誉毀損は認定され得るからである。
今回の東京地裁における訴訟では、捏造記事を書いたことは事実認定されたのである。信念をもって戦いを継続するならば、今回の判決は法廷闘争第一段階の結果として受け止め、控訴という次の一手に集中すべきであろう。
慰安婦問題の存在も、そこから派生した本件訴訟も誠に残念である。
この事態を招いた朝日新聞は、何も感じないのだろうか。

田村 和広算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独