パルデンの会

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あの朝日新聞が NHKの台湾扱いに?映画「台湾人生」への賛美!!!!

台湾「最後の日本語世代」追った 若手監督が記録映画

2009年6月27日15時0分

「日本語世代の人たちにとって、日本人だったことは過去形ではない」と語る酒井充子監督

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日本兵の蕭錦文さんは日本人観光客にボランティアで歴史を伝えている。日本人に親しみを持ちつつ日本政府への批判の言葉は厳しい=太秦提供
 日本の統治時代に学校教育を受けた台湾の「最後の日本語世代」を追ったドキュメンタリー映画が完成した。監督は団塊ジュニア世代。「あまりに過去を知ら なかった」自らへの反省が出発点だった。あの時代への愛憎が入り交じる彼らの言葉から、戦後の日本と台湾の関係が浮かび上がる。 
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  酒井充子(あつこ)監督(39)の「台湾人生」が追うのは、1920年代生まれの台湾の人たちの人生だ。終戦時は20歳前後。同化政策日本語教育が強化された時代にちょうど学校教育を受けた。  同窓会で響く日本語校歌。女学校で茶道や華道の作法を身につけ、「日本人より日本人だった。男なら特攻隊に志願していた」と言い切る女性。中学退 学を考えていた時に黙って学資をくれた日本人教師を慕い続け、墓参で毎年来日する男性。ビルマ戦線から生還した元日本兵……。だれもが流暢(りゅうちょ う)な日本語でインタビューに答える。  地方紙の記者だった酒井監督が初めて台湾を訪れたのは98年。日本語で戦前の記憶を語るお年寄りに出会い、強い印象を受けた。帰国して台湾の歴史 を調べるにつれ、埋もれつつある日本語世代の記録を残したいとの気持ちが募った。00年に退職。7年かけ、50人以上から証言を集めた。  「何より、彼らのことを知らなかった無念さがあった。かつて『日本人』とされた人々のことを、今の若い世代にも知ってもらいたい」  旧植民地籍の人は、52年の平和条約発効とともに日本国籍を失った。元日本兵の男性は「ずっと日本人だと思ってきたのに、戦った相手国(中国)の籍に替えられた」とカメラに語り、ある女性は「祖国が返ってきた」と喜ぶ。  半世紀に及ぶ統治の光と陰の複雑さは「日本のおかげでここまで発展した」「なぜ私たちを捨てたの」「少しでも補償して」「一言ありがとうと言ってくれれば……」といった彼らの言葉にもにじむ。 台湾統治を取り上げた4月のNHK特番を自民党議員らが問題視するなど、政治的にも扱いが難しいテーマだが、「メッセージや問題意識が先に立つ作品にはしなかった。見た人に少しでも関心が生まれる窓口になればいい」と酒井監督は話す。  原住民族出身の男性は、撮影中に学友を訪ねる旅に出る。映画の完成を見届けて鬼籍に入った。最期の言葉は日本語だったという。  ポレポレ東中野(東京都中野区)で公開している。(石川智也) 朝日夕刊 貼り付け元 <http://www.asahi.com/national/update/0627/TKY200906270135.html?ref=rss>


台湾人生

製作年度: 2008年 
別題: - 
製作国・地域: 日本   上映時間: 81分 
allcinema ONLINE(外部リンク)
解説: 台湾が日本統治下にあった時代に青少年期を過ごし、「日本語世代」と呼ばれる人々を追ったドキュメンタリー。日本統治時代から戦後の国民党独裁時代を経て 現在に至るまで、激動の時代を生き抜いてきた5人の日本語世代にカメラを向け、それぞれの人生を振り返る。監督は、新聞記者を経てドキュメンタリーや劇映 画の制作・宣伝を手掛け、本作が初監督となる酒井充子。7年におよぶ取材活動を行い、日台間の忘れてはならない歴史を浮き彫りにしている。(シネマトゥデ イ) 
あらすじ: 1895年から1945年まで日本の統治下にあった台湾では、同化政策により学校教育は日本語で行われた。この時期に教育を受けた人々は「日本語世代」と 呼ばれ、日本統治時代から戦後の国民党独裁時代を経て現在に至るまで、波乱に満ちた時代を生きてきた。日本語世代の5人の台湾人が、激動の歴史に翻弄(ほ んろう)されたそれぞれの人生を語る。(シネマトゥデイポレポレ東中野(東京都中野区)で公開 
貼り付け元 <http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id333421/>;