パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

四川省においての僧侶の焼身抗議の背景には !!


現在11名の僧侶、尼僧が焼身抗議を遂げた ンガバ(アバ)、カンゼ、タウの三つの町
それと 2008年と2010年 に大地震に襲われた ジェグンドと北川、ブンセンの位置関係を
見てもらうと この地区が2年のうちに 大きな影響を受けたことは明白である。

そして 共産党地震以降 チベット人の土地を取り上げた 震災復興としての民族浄化

民衆が頼った チベット仏教そのものに中国共産党が宗教弾圧を加える事実。
その閉鎖感に対抗するべく 11名の焼身抗議が行われたわけである。

われわれの無節操な日本人組織は 2008年、2010年の 地震では 中国組織、中国政府に
義捐金を渡し、 ここの地に住むチベット人に直接渡すことはなかった。
大手スーパーや 宗教宗門の人たちは どう思っているのか??
知らなかったやきずかなかったでは済まされないはずである。
日本人の 浄財が 不作為の 中国好きの日本人により、中国人(漢人)の個人の私腹や
チベット人攻撃や チベット人捜査のお金に使われたわけである。

2年もたってもテントに住んで 寒さに震えている チベット人子供たちに涙するだけではなく、
もっと真実を知る努力をしてほしい。



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2011年11月28日

http://livedoor.blogimg.jp/rftibet/imgs/3/c/3cf28beb-s.jpg僧カルマ・ゲトゥン・ギャンツォཀརྨ་ངེས་སྟོན་རྒྱ་མཚོ་は10代の時、両足が麻痺する病気に掛かった。彼は両手だけを使って、最近カイラス山経由でネパールに入り、インドへの亡命を果たした。

彼の人生やチベットの現状についてTibet Timesの記者がインタビューした記事(チベット語)http://p.tl/ujx2を以下要約してお伝えする。

彼はラサの北ダムシュン・ヤンパチェンའདམ་གཞུང་ཡང་པ་ཅན་の出身。13歳の時僧侶となり地元の僧院に入った。しかし、丁度そのころから両足が立たなくなり始めたという。仕方なく家族の下に帰り、5年間治療を続けたが足の麻痺は治らず、足が曲がったままになった。その後再び僧院に復帰したが、当局は僧侶の資格を与えず、ついに去年2月当局により完全に僧院から追い出された。

彼はそれから両手だけを使い巡礼の旅に出た。各地を巡った後、最後にマパムユムツォ(མ་ཕམ་གཡུ་མཚོ་マナサロワール湖)とカンティセ(གངས་ཏི་སེ་カイラス山)に辿り着いた。そこからラサには帰らずに、南に下りネパール西北の国境を越えカトマンドゥの難民一時収容所まで辿り着くことができた。今月17日、ダラムサラの収容所に到着した。

彼の所属していた僧院の現状に付いて彼は語る。「ヤンパチェン僧院には最初70人ほどの僧侶が居たが、当局は様々な規制を掛け40人程にしか僧侶の許可証を与えなかった。他の僧侶には僧院に出入りすることも禁止した。僧院でチャム(仮面舞踏)やモンラム(祈祷会)を行う場合でも前もって数ヶ月前から政府の許可を取る必要があった。そのために役人に金や贈り物を渡さなければ許可は下りなかった。県や郷の責任者は全て中国人であり、その下にチベット人が働いている。中国人の役人たちは下のチベット人に対し、僧院に規制を掛けたり、嫌がらせをすることを強要する。結局、チベット人チベット人と対立するように仕向けているのだ」

「当局は私に僧侶の許可を与えなかった。10年間、僧院側は私を追い出しはしなかったが、僧院に居ること自体が法律に違反する状態であった。ついに去年2月、当局は私を完全に僧院から追い出した。その後巡礼をしている間も僧侶の許可証を持っていないので、至る所で警官からきつい仕打ちを受けた。僧衣を切ることも違反だと言われた。私は自分は障害者で仕事ができず、僧衣を着ているのも乞食同様に食いつなぐために仕方ないのだ、と言ってなんとか許してもらっていた」

記者の「中国政府は障害者に対し援助を与えたりはしないのか?」との問いに、「政府から一度だけ障害者への援助だと言って、肉1キロ、バター1キロ、ツァンパ1袋を渡されたことがある。その他にはどんな援助もしてもらったことはない」と答える。

記者が「チベットを巡礼しながらどんなことを見聞きしたのか?」と問う。
チベットと言うものは、もう無くなりつつある。例えば、その自然に付いてだが、2005年に地元の山で鉱山開発が始まった。5、6年の間、1日に何百というトラックが行き来して鉱物を中国に運び出した。結局山はすっかり姿を消してしまい、鉱山も閉鎖された。中国は地元に利益をもたらしていると宣伝するが、そんなことは全くない」

「トゥガリ(西チベット)の方に巡礼に行ったが、途中出会う僧侶も本当に僧侶の戒律を守っている人は少ないように見受けられた。どこへ行っても、中国人の方がチベット人よりも多く、町は中国の町になっていた。チベットの昔ながらの文化、慣習も計画的に破壊されていると思えた」

同じように収容所に収容されている若者たちを指差しながら、「あの子供たちも中国語ばかり習い、しゃべるのも中国語だ。チベット語を知ってる者は少ないんだよ」と。

最後に「中国政府は中国ではみんな調和の中に暮らしていると宣伝しているが、本当には少数民族、特にチベット人には法律に書いてあるような権利はない。不当な扱いを受けても、結局訴える場所や相談に行く所はなく、中国人は何でもやりたい放題だ。中国には法律も無く、規律もないに等しい。喩えれば国全体がマフィアのような所だと思う」と。





2011年11月25日

http://livedoor.blogimg.jp/rftibet/imgs/5/5/5554480d-s.jpg写真、最初の1枚はTibet Timesより、その他はウーセル・ブログより。

25日付けTibet Timesチベット語http://p.tl/nNxNより。

零下10度の寒さの中、カム、ジェクンド(ケグド、ユシュ、玉樹)の小、中学生たちはちゃんとした宿舎もなく、寒さと風に晒される生活をよぎなくされている。

23日付、中国のタワ(ལྟ་བ་見/意見?)ネットサイトによれば、カム、ジェクンドの気温は1ヶ月前から零下10度となり、辺りは凍り付いているという。この寒さの中、地震被災地の田舎の学校では、今も以前のような寄宿舎が建てられることもなく子供たちは暖房設備のないテントで暮らしている。十分暖かい服もなく、また食料も足りない状況だという。

http://livedoor.blogimg.jp/rftibet/imgs/3/2/32665581-s.jpg最近、中国のソシアルサイトである「微博」等にも、ジェクンドの子供たちたちが冬服や食べるものに不足し苦しんでいるという情報や写真が載せられている。ネット名ギャセブンパ(རྒྱ་སེའི་བུམ་པ་)という人の微博上の記事によれば、9月末に新華社電の記者がジェクンドのラチュックショルマ(ར་ཕྱུག་ཞོལ་མ་)の町に行った時、その地の学生1551人が今も寒さと風の中、暖房設備のないテントに暮らしていることを確認し、さらに被災地の他の多くの学校がこれと同じような状況であると書いていたという。

去年7月9日、中国政府の関係機関がカム、ジェクンドの地震被災地への義援金の総額を発表している。それによれば、政府義援金が73億200万元(約876億円:レート1元=12円)。民間義援金が106億5700万元(約1278億円)。微博上には多くの人たちがジェクンドの被災地に義援金が総額179億5900万元(約2155億円)も集まりながら、小さな被災地の学校の寄宿舎も建てられず、子供たちに暖かい服も行き渡らないのは、中国の関係者たちがみんなが寄付した金を着服し、政府の役人たちが政府の義援金を横領したからに違いない、との話を載せている。
地震が起こったのは1年半以上前の2010年4月14日。多くの被災者が2度目の冬もテントで過ごす)

http://livedoor.blogimg.jp/rftibet/imgs/8/a/8a21675c-s.jpgその他、11月1日の夜中12時頃、被災者たちのテントが密集している地域で火事が発生し、火は3時半まで燃え続けた。この火事により4000平方メートルが焼け、ベニヤとビニールで作られた家200戸とテント40張りが焼失したという。