パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

治安部隊の手榴弾攻撃においてチベット人負傷

焼身抗議の数も30人を超え、その抗議者も僧侶から一般人も加わるようになってきました。
それは 中国政府の人権を無視して、虫けらのようにチベット人を扱うことが日常に
行われ始めたからである。 どこの国に 平和な集会に 「手りゅう弾」を放り込む 警官がいるのか?
警官にしろ 軍人にしろ 中国のこの種の人々は 我々の社会の 兵士や警察ではない。
いわゆる 山賊、海賊、私兵の類である。
こういう人間を チベットウイグル、モンゴルに送って 乱暴狼藉の数々!!
江戸時代の 悪代官の所業そのものである。
日本にも 日中友好と称して たくさんの 隠れ兵士が 送り込まれているのに気がつかない日本人。
我々が チベットを支援することは 実は我々の国を守ることなのです。

治安部隊の手榴弾攻撃においてチベット人負傷

2012-03-19  RFAより転載
中国治安部隊は攻撃して、地域の全域で抗議者を連行します。
AFP
中国の西青海行政区の治安部隊は日曜日に手榴弾攻撃で多数のチベットの抗議者を傷つけました。一部の負傷者は病院へ搬送されたが それ以外の負傷者は現場に手当てせず放置ということがチベット消息筋によって伝えられました。一方、中国の占領に疑問を呈し、追放された精神的なリーダーダライ・ラマの復帰を呼びかける抗議計画するか、参加すチベット人に対して、警察が青海と近隣の地方で連行したと地元の消息筋は亡命政府に報告しました。「18日に、中国治安部隊は、Tsolho[中国語(海南)の]県のGepasumdo[中国語(Tongde)の]郡に、爆発物を大勢のチベットの抗議者 に放り込みました」と、南インドに住んでいるチベット人が現地からの情報として匿名を条件に話しました。「重傷の7人は病院に搬送しかし、怪我をした人々の何人かは処置がされなかった」と、消息筋は言いました。警察攻撃の詳細と攻撃において使われ「爆発物」の詳細は確かめられることができませんでした。日曜日事件は、禁止されたチベットの国旗を掲げて、政治的なスローガンと叫びながら「315日に連行された近くのBa Shangtre寺院の50人の僧侶の釈放を要求している」  3続き地元の抗議こったと、消息筋は言いました。「逮捕された何人かの名前は、Yeshe Dorje、チャン・リン、Sherab PalsangとペマRigdzinです」と、インドに拠点を置く源は言いました。「大部分の逮捕者は僧院から来た若い僧侶達でした」と、彼は付け加えました。

Village raided
急襲された村々
に、315ごろに、およそ100人の中国語警察と武装警官が四川のデーゲ郡のDzatoe郡区で村を一斉手入れしたと、地元のチベットの関係者は報告しました。そして、取調べに8人のチベット人を連れて行きました。「彼らは、地域でいくつかの反中国抗議リーフレット作成への関与の疑いで連行されました」そして、匿名を条件に源は言いました。話しました。「中国治安部隊は24台の車両で到着して、Rebpa村を囲んで、家に入って、彼らを連れ去りました」と、彼は言いました。

それらの連行された名前および詳細はは、まだ「中国治安部隊の存在と町の中に潜むスパイのために」に明らかでないと、彼は言いました。
もう一人の男性(Khegaと確認される)は、316日にDzatoeで拘留されたと、源は言いました。「[Khegaドウダ町(2008年にこの地域で抗議活発に行われました)出身で彼の正確な年齢は、わかっていません彼は言いました。

Five detained
逮捕された5
一方、警察も「反中国活動」を計画する疑いでチベット自治区(タール)のNagchu県で5人のチベット人
逮捕したと、インドに拠点を置くチベットのリポーターNgawang Tharpaは言いました。そして、RFAに話しました。
たちは、March 10(言われる中国のrule―Tharpaに対する失敗した1959年のチベットの反乱の53回目の記念日)抗議を予定するために、39日にレストランで会合しました「彼らは、チベットのための自由、ダライ・ラマの復帰と 宗教の学習と実践するために僧侶達に完全な権利を与える寺院の再開を要求する予定でした。」計画に警戒して、中国の警察は、Dathang町のKarma Tharlamと Tsala町からSigaDzomlha Kar310日の午前900分ごろ連行したと、Tharpaは言いました。「それから、314日に、DathangDrukdrakChakse町のTsegonも、連行されました」と、彼は言いました。
「彼らの現状と所在は、わかっていません」と、彼は言いました。