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その1 平和平和といっても、怒る時は怒らなくては-有本夫妻


★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.08.27)

その1-平和平和といっても、怒る時は怒らなくては-有本夫妻


【参考情報】

以下は、

撃論』2012.8 vol.6(オークラ出版刊)に掲載された有本明弘・
嘉代子さん夫妻のインタビュー記事「“北朝鮮の代言人”
田原総一朗氏は日本人か?」です。以下に参考情報として全文を掲載します。


■“北朝鮮の代言人”田原総一朗氏は日本人か?

金正日が死んでも進展しない撞敢闘題

- 今年4月末、拉致問題を考える国民大集会で、有本さんは、「日本政府は考え方を変えるしかない」と言っていますが、これはどういう意味でしょうか。

有本 昨年、拉致の張本人である金正日が亡くなったことで重しが取れ、北朝鮮は拉敦問題についての態度を軟化させるのではないかと私は考えていました。日本にとっては交渉がやりやすくなるし、あの国にとっても金正日の死は有益だろうと。しかし、その後の報道を見ていますと、後継者の金正恩は、先軍政治をそのまま受け継いでいくことがはっきりしてきました。つまり、北は指導者が変わっ
ても、拉致問題へのスタンスは変わらないと考えるべきです。

- 相手が変わらない以上、こちらが変わらなければ、事態は動かない、ということでしょうか。

有本 敵対国だということすら日本は北朝鮮に言えず、何もできない。私たちは朝鮮総連の幹部をみんな追放しろと言ってきましたが、そんなことを言える者は政府に一人もいません。原因をきちんと詰めてたら、きちんとした法体制もできているはず。なぜできていないか。それは憲法が災いしているからです。平和憲法を謳っているから、あんな悪い国とも対決しようとしないのです。

- なかば戦争状態にあるという自寛がないと。

有本 そう。平和平和といっても、怒る時は怒らなくては。殊に北朝鮮に対しては。怒らなければ機嫌をなおして拉致被害者を返してくれるだろうという考え方があります。河野洋平なんて最たるものでしょう。彼がやったコメ支援50万トンとはものすごい量です。ほかにも北朝鮮への貢ぎ物としては、2001年12月に朝銀が破綻した際に、日本は1兆4千億円もの金をつぎこんでいると聞いていますが、
その銀行の使途不明金の調査もやっていません。ときの政府の怠慢です。それで拉致問題において、一体なにが変わったのか。

- 北朝鮮への協力者が日本の社会に浸透しているということですね。

有本 ある朝鮮総連関係者から直接聞いた話ですが、62億円のお金を、日本の政界工件に使ったと言っていました。与野党の政治家に一人一億円づつばらまいたと。こういうことが拉致の問題に繋がっているんです。こんな弛媛した、身内敵がうようよいるような状態で北朝鮮と対決できるわけがない。
 長年拉致被害者奪還の運動を続けてきた中で分かって来ましたが、拉致問題根本は、結局、日本国憲法に行き着くんです。この憲法を改正しない限り、北朝鮮と本気の交渉などできません。

- 本気の交渉とは、武力行使オプションを背景にした交渉という意味ですか。

有本 私たち夫婦の拉致問題は、1988年9月6日までさかのぼります。この日、娘の恵子が北朝鮮で暮らしているという手紙を受け取りました。以来24年が経ちます。当時いろいろな方に相談をしましたが、憲法学者小林宏晨日大教授はこう言っていました。「北朝鮮アメリカの武力で押さえこむしか方法がない」と。私もずっとそう思っていました。

- しかしアメリカの武力は北朝鮮をコントロールできていませんね。核とミサルの問題では、いいように北朝鮮に振り回されている観があります。

有本 そういう現状を見せつけられて、それでもなおアメリカに我が国の安全保障を全面的に託していいのかと考えるのは自然ではないでしょうか憲法改正実現し、独立国家として備えているべきさまぎまな法規制を整えなければ、北朝鮮のような無法国家と対峙していくのは不可能だと思います。

◆いまは北との戦争状態

- 北朝鮮と対決するにあたり、どのような法整備が必要でしょうか。

有本 個別のお話よりも、私はまず、日本が北朝鮮と戦争状態にあるという認識を、日本人が持っていないことに大きな問題を感じています。拉致被害者北朝鮮から受けた酷い仕打ちについては、インターネットや関連書籍によって情報が溢れています。仮に被害者がアメリカ人だったら、アメリカ政府は即座に開戦でしょう。

- 国内世論は拉致問題への関心を低下させているように思いますが、いかがで
すか。

有本 2002年9月17日の小泉総理の訪朝からあまりにも時間が経ちすぎ、緊張が続かないということでしょう。ただ、世論の盛り上がりに関して言えば、世論というものはマスコミがこしらえるものです。マスコミがどんな記事を書き、どんな番組を流すかで大方が決まると思っています。そういった状況の中で、戦争状態にあることを自覚せずに、北朝鮮にとって有利な発言をする人間がいます。こ
れは私は許容できない。
 今年6月15日に朝鮮日報が報じたニュースですが、韓国の拉致被害者団体「拉
北者家族会」の崔成龍代表が、横田めぐみさんの死亡確認書の写しを入手したそ
うです。それによると、横田めぐみさんの死亡日は「2004年12月14日」。

- 今までの北の公式発表では、「横田めぐみさんは1994年死亡」ということに
なっていましたね。

有本 東京の救う会西岡力先生は、このニュースは信じられないとして、反論を書いています。しかし疑問なのは、韓国の拉致被害者家族の代表が、なぜこんなことを言う必要があるのか。日本の我々と同じ運動をしている者が、どうして日本の運動のシンボルになっている横田めぐみさんがすでに死んでいるという話を、慎重に検証することもなく公にするのか。崔氏の行動には、誰かの差し金といいますか、なにかしらの背景を強く感じます。

- そもそも、北朝鮮は、日本人拉致被害者8名は死亡しているとして、2002年に「死亡確認書」を提出していますが、すべて偽造だったことが判明しています。

有本(嘉代子) 娘の話をさせてください。2002年に小泉総理が訪朝した際、北朝鮮は1988年11月に恵子が亡くなったと言ってきました。先ほども言いましたが私どもの家に手紙が届いたのが1988年9月6日。この時系列を考えると、助けをめる手紙を出したことが北朝鮮に知られ、恵子は殺されてしまったと考えていました。ですが、10月2日に死亡確認書を見たところ、内容が非常におかしいと気付いたんです。

- どうおかしいのですか?

有本(嘉代子) 娘は、石岡さんという拉致被害者の男性と結婚をして、子どももできたようですが、一家3人揃ってガス中毒で亡くなった、という書顆でした。ところが、他のご家族の分も見せてもらいますと、旦那さんが死んでいるときは、奥さんも死んでいる。みんなセットで亡くなっているんです。また、9月に海水浴をして心臓麻痺で死んだ、なんて人もいます。9月の北朝鮮で泳ぐ人なんていません。私たちは9月17日に「恵子が死んでいる」と聞かされ、もう終わりと思いましたが、10月2日にもらった死亡確認書を見せ合ってウソだと気づき、ずっと粘り強く戦っていかなくてはと考えたのです。

- 拉致被害者が生きているか、死んでいるかは、すなわち日朝両政府の立場の遠いです。しかし、日本国内には、拉致被害者はどうせ死んでいるのだから、国交正常化を進めるベきだとする声が少なくありません。まるで北朝鮮人の発言そのままです。

有本 田原総一朗氏のことですね。2009年4月25日、彼は朝まで生テレビで、「外務省のナンバー2だかナンバー3に聞いた話」として、こう言いました。「横田めぐみさんと有本恵子さんは生きている前提でやってるわけだ。ところが北朝鮮は繰り返し、『生きてない』と言っているわけ。外務省も生きていないことは分かっているわけ。そこで生きてないという交渉をやると、山本(一太)さんたちにこてんぱんにやられる。田中均が爆発物を投げこまれたじゃない」と。

- 明らかに、「拉致被害者はまだ生きている。
早く帰ってきて欲しい」と考え
ている人たちに向けた発言ですね。

有本 政府見解では、生存を前提として国が動くということになっています。拉致被害者が死んでいたら帰れませんから。それを田原氏は死んでいると言う。有名なジャーナリストの言うことですから、よほどの根拠があって発言しているとも思い、私たち夫婦二人、絶望的な気持ちになりました。

 この件は家族会でも議題になり、とにかくことの真偽を確かめようと、外務省や、拉致問題に積極的な政治家に問い合わせてみたのです。すると、中曽根弘文外務大臣(当時)は「政府は従来通り拉致被害者は生きているという前提であり、折衝を進める」と即発言され、次の前原誠司外務大臣とも面会し同様の発言をいただきました。また、西村康稔外務大臣政務官(当時)が、自民党拉敦問題対策
特命委員会で報告していますが、外務省幹部3人に対して聞き取り調査を行った結果、いずれの幹部も「田原氏には最近会っていない。そうした発言はするはずがない」と回答したそうです。ところが、当の田原氏は、「外務省高官から聞いた情報については録音があり、テープ起こしならいくらでも公開できますよ」と言い張っていました。

- 真相は藪の中ですね。

有本 藪の中で放置していい問題とは思えません。日本では言論の自由が保障されていますが、テレビを使って北朝鮮を利するウソを流す責任は重大であり、白黒をつけるべき話です。だいいち、田原氏は拉致被害者の生死について、家族会に取材もしていません。この間題について一番わかっているのは私、有本だと知っていてもいいのに、我が家に取材に来たこともありません。そしてテレビで喋る
だけ喋る。一方で、大変不公平なことに、マスコミ業界の人間ではない私の方には、田原氏の発言に反論して真偽をただす方法がありません。そこでやむなく裁判に訴えたというわけです。

- 有本さんとしては、裁判を起こすしか方法がなかったというわけですね。

有本 ただ、裁判を起こしたことで、田原氏から提出された陳述書の中で多くの情報を得ることができました。この点で大変有意義だったと思います。
- 多くの情報とは何でしょうか。

有本 陳述書によると、田原氏は2007年に訪朝していますが、帰国後の11月8日に外務省を訪ね、「8人以外の生存している日本人拉致被害者について、外務省幹部四人と話し合いをし、さらに同じ話題を福田総理(当時)にも持ち込んだと言っています。

- どういった話し合いですか。

有本 福田総理の任期中、2008年の夏頃に政府から家族会へ「北朝鮮の制裁一部解除と引き換えに一部の拉致被害者が帰国する」という話がありました。家族はみな、帰国する日本人の名前を事前に知らされないという北朝鮮の条件に乗ることに不安を持ち、反対の意見でした。結局、経済制裁解除直前の段階で産経新聞が「制裁解除前に、朝鮮総連万景峰号の入港手続きに入っていた」、つまり、
日本国内では話の入り口段階であったにもかかわらず、北朝鮮側はすでに制裁解除の条件まで承知していたという事実をスクープしたことで、この話は中止になってしまいました。田原氏の陳述書を読んで、「ああ、あの時の話はこういうことか」と膝をたたきました。

- つまり、田原氏は、「死亡した8人以外の生きている拉致被害者について、
北朝鮮政府のメッセンジャーボーイの役割を果たしたわけですね。

有本 いまの日朝関係を戦争状態と見れば、完全な利敵行為です。北で聞いてきたことをそのまま鵜呑みにしているんだなという印象ですね。田原陳述書によれば、外務省幹部は、「8人以外の複数の日本人が帰国しても、北朝鮮に対する世論が好転することはないと判断したため、この話はなかったことに」と断ったそうですが、それを無視して田原氏は福田総理に同じ話を持ち込み、実現寸前まで
進めたということです。
続くーーー