パルデンの会

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ダライ・ラマ14世、「後継者は不要」 独紙インタビュー

ドイツではかなり政治力学的な毎回お話が始まります。
日本でもこのように 大きく政治的な話ができる 国民感情が必要でしょう。
ダライ・ラマに反対する多くのチベット仏教ともドイツには集合していましたが
それを 欧米のメディアはちゃんと報道しています。

追伸 20:20

ダライ・ラマ14世、「後継者は不要」 独紙インタビュー

2014年09月08日 10:48 発信地:ベルリン/ドイツ

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×ドイツ・ハンブルク(Hamburg)で集まった記者らと言葉を交わすチベット仏教最高指導者のダライ・ラマ(Dalai Lama)14世(2014年8月27日撮影、資料写真)。(c)AFP/DPA/CHRISTIAN CHARISIUS
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9月8日 AFP】チベット仏教最高指導者のダライ・ラマDalai Lama)14世は、ドイツ紙とのインタビューの中で、自身を最後の指導者とするべきと述べ、故郷の地で数世紀にわたり継承されてきた宗教的伝統を終わりにすべきとの見解を示した。
 同氏は過去にも、「ダライ・ラマの目的は果たされた」と述べており、独紙「ウェルト」日曜版(Welt am Sonntag)での今回のコメントで、その意思をさらに明確にした形だ。
 英語で行われたインタビューで同氏は、「ダライ・ラマ(の伝統)はおよそ5世紀にわたり続いてきた。現在のダライ・ラマは非常に人気がある。評判の良い最高指導者がいる間に終わらせるべきだろう」と述べ、「弱いダライ・ラマが継承すれば、その伝統に傷が付く」と笑顔で付け加えたという。
 また、「チベット仏教は一個人に依存するものではない。私たちは、高度に訓練された僧侶や学者を何人も擁する非常に組織立った構造を持っている」とした。
 1950年にチベットに派兵した中国は、翌1951年から同地を統治。ダライ・ラマ氏は1959年の民族蜂起が失敗に終わった後、インドに逃れた。
20111989年にノーベル平和賞Nobel Peace Prize)を受賞した同氏は、すでに政治活動からは距離を置いているが、それでも国内外のチベット人に対する強力な求心力を維持しており、また民族運動の象徴として広く知られている。(c)AFP
*訂正1989年

* 追伸

ダライ・ラマ14世、「自分が最後の“ダライ・ラマ”になるべき」と発言

2014年09月08日 14時00分
2014年09月08日 14時39分
2011年にはノーベル平和賞を受賞し、世界的に尊敬を集めるダライ・ラマ14世チベット仏教の最上位クラス”ダライ・ラマ”を1935年から務めている人物だ。
そんな彼がドイツ紙「ウェルト」日曜版上で、自分が最後の”ダライ・ラマ”になるべきだと発言をした。

「人気のあるうちに”ダライ・ラマ”を終わりにさせて欲しい」

彼が同紙に寄せたコメントを抜粋すると、「私たちは”ダライ・ラマ”と5世紀の間、ともにしてきた。14代目は、とても人気者だ。人気のあるうちに”ダライ・ラマ”を終わりにさせて欲しい」。
更に、「後継者が弱ければ、”ダライ・ラマ”の面目は失われてしまう」と笑顔で続けたそうだ。
ダライ・ラマ14世氏は以前にも「”ダライ・ラマ”の目的は果たされた」と発言している。

発言の裏にはチベット仏教を支える人々への信頼がある?

また、「チベット仏教は一個人が統べるものではない。私たちには非常に訓練された僧侶や、学者たちによる、優れた組織がある」と発言。
チベット仏教を支えている人々への厚い信頼も、今回の発言の裏にはありそうだ。

ただし、まだ課題は残っている

同氏は10月に南アフリカで開催される「ノーベル平和賞受賞者世界サミット」に出席を予定していた。ただし、南アフリカから中国との関係を損なうことを理由に、ビザの発給を拒否されている。
中国がチベットを統治したのは1951年のこと。1959年にはチベット民族による民族蜂起に失敗し、ダライ・ラマは一部の民衆とともにインドへ逃れた。
それ以降、ダライ・ラマ14世氏は民族運動の象徴として扱われており、中国にとっては快くない存在だ。
南アフリカのビザ拒否に関して、同国の平和運動家で1984年のノーベル平和賞受賞者でもあるツツ元大主教は、「ダライ・ラマ14世の入国が拒否されるのならば、他の招待者も来ないと言っているようだ」と語っている。
ダライ・ラマ”が話題に上ることで、中国とチベットとの関係を改めて思い返すことも多い。いまだ解決の道が見えていないからこそ、”ダライ・ラマ”という象徴が今後も必要なのではないかとも思える。

Protesters greet Dalai Lama in Germany visit
抗議者は、ドイツ訪問においてダライ・ラマに挨拶します


ドイツへの4日の旅行の始めに、ダライ・ラマは、イラクとシリアで戦っているイスラム州の(そうであります)闘士の、批判的に意見を述べました。彼の到着は、 原理主義仏教徒グループから抗議によって応じられました。

ドイツへの彼の訪問の始めに、ダライ・ラマは土曜日に北ハンブルグ市で、およそ7,000人の観衆と話しました。

仏教精神的なリーダーは、問題(例えば同情、非暴力と容赦)に触れたスピーチにおいて、世界的な平和へのより強い関与を要求しました。
イラクとシリアの人々には平和と安全に対する権利もなければなりません。そして、79才の彼がJihadist ISグループ(現在両国の領土をコントロールします)を非難した

「感情は制御できません」と、中東での進行中の交戦のノーベル平和賞受賞者は言いました。「私は、我々の生成における少しの大きな変更にも期待しません。しかし、将来は我々の手です」と、彼は言いました。
ダライ・ラマは、彼が「21世紀は、平和(対話 ― より思いやりのあって、信頼できて同情心のある人類が出てくるとき世紀 ― の世紀)の世紀です」ことを望むと言いました。
Dalai Lama's visit met by protests
ダライ・ラマの訪問は、抗議によって応じられます
ハンブルグへの彼の6回目の訪問であることの間、ダライ・ラマ大乗仏教仏教からテキストについて講義をすることになっています。しかし、彼の訪問は、原理主義仏教徒グループから大きい抗議が付随しました。

ンターナショナルShugden Community(ISC)は、ダライ・ラマを人権侵害で訴えます。「猛攻撃が、Dorje Shugdenの支持者に対して、仏教修道院にありました」と、アネット・マイ(ISCスポークスマン)はグループが取り残されて、迫害されたと付け加えて言いました。

ダライ・ラマは、カルト(それはDorje Shugdenとして知られている精神を崇拝します)が危険であると思っています。「私は、これらの信者にもうそれを練習しないよう頼みました。彼らがそれを支持するかどうかは、彼らの責任です。」

地域を占領して、付加するために中国人民解放軍を送られる中国政府の後、中国は1950年以降チベットを統治しました。

1959年に、ダライ・ラマチベット中国政府に対する失敗した反乱を導いて、インドへ逃げました。約100,000人のチベット人は、インドでまだ亡命生活を送っています。ダライ・ラマチベット亡命政権は、Dharamsalaの北丘町に本部を置きます。
近年抗議して焼身抗議した100人以上のチベット人と、中国政府による緊張は、領土で高まり続けます。
jr/glb (dpa, epd)

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