勝谷誠彦氏の有料ブログより転載
<きのうはベトナム戦争の終結から40年だった。米軍基地はあったものの、日本が直接戦争に加わらずにすんだのは憲法9条の存在が大きい。自衛隊が「普通の軍隊」だったらどうだったかと、ふと思ってみる。>
当時「反戦運動」をしていた皆さんは「味方だと思っていた朝日新聞に裏切られた」気分でしょうね。北ベトナムに直接の攻撃を行ったいわゆる「北爆」のB52は沖縄の基地から続々と出撃していったんですよ。確かに当時の沖縄は米軍の統治下にあった。しかしまぎれもない「日本国」の一部だった。あれほど沖縄の極左反日勢力のカタをもつ朝日新聞は、こういう都合のいい時だけ「沖縄は日本ではなかったからねえ」で「憲法9条が守られた」というのか。偽善もたいがいにしろ。沖縄の皆さんこそこのコラムには怒らなくてはいけない。ちなみにベトナム戦争に加わっている艦載機を積んだ空母「エンタープライズ」は佐世保に入り、いわゆる「エンプラ闘争」が行われた。そのころ反戦を煽りに煽ったのが朝日ではないか。どの口で<日本が直接戦争に加わらずにすんだ>と言えるのか。ベトナムの人々と話してみよ。「日本国というバックヤードがあったから米軍は戦えた」と誰もが知っている。「でも、日本としては仕方なかっただろう。そのあとの付き合いで、素晴らしい国だと知っている。わが国の女性を強姦しまくった韓国とはまったく違う国だと」。
このくだりは『天声人語』のオチである。まさかこんなひどいオチに来るとは思わない私は実は冒頭でもう脳の血管が切れそうになっていたのだ。
<終戦間もない1949年、日本を「太平洋のスイスに」と語った人がいる。ほかならぬ占領軍のトップ、マッカーサー元帥だ。英紙監査役とのインタビューで「米国は日本が戦うことは欲しない。日本の役割は太平洋のスイスとなることです」と述べた。>
<ほかならぬマッカーサー>様(爆笑)。マッカーサーが退任する時に涙を流したという阿呆な日本人が大勢いたのは国辱と私はするものだが、朝日新聞も<ほかならぬ>ですか。凄いなあ。あの狂った9条を持ち込んだ<マッカーサー>様ならば、大嫌いなアメリカの司令官でも<ほかならぬ>なんだ。
マッカーサーという人はそのあと朝鮮戦争の国連軍の司令官になったが毛沢東がインチキ参戦したために追い詰められて逆上し「核を使わせろ」とわめいてトルーマン大統領にクビになった。このあたりのマッカーサー論は倉山「クララ」満先生の著作をぜひ読んでおかれることをおすすめする。
とはいえ、このマッカーサーの「日本スイス化計画」はなかなか一理あると私は思うのである。もしそれに成功していれば、日本国は日米安保条約によってアメリカの属国になることもなかったかも知れない。いま思いついたことだが、ひょっとするとマッカーサーの更迭はこのスイス発言がトルーマンの逆鱗に触れたのではないかとすら思う。
おそらく天声人語子の乏しい脳味噌には「スイスは永世中立」ということしかないのだろう。私も実は永世中立を宣言できればこれほどのことはないと思う。平和を希求し続ける皇室をお護りして世界に屹立する日本国をそれで護持できれば。しかしそのためには、日本国の地政学的な地位であれば「核武装」しかないでしょうね。スイスはいちおう核武装はしていない(見た目はね)。しかし「国民皆兵」である。まさにハリネズミかサザエのような国家だ。サザエは「割ろうとすると手の方が傷つく」ということで、防衛力にたけた国によく使われるたとえだ。
『天声人語』のような低能にならないために勉強しておこう。あなたや、あなたの子どもや部下には『天声人語』を読ませたあとにぜひ以下に引くくだりを教えて欲しい。事実関係もだが「『天声人語』みたいな馬鹿になっちゃダメだよ。ましてや教材や引写しに使ったらえらいことだとわかるでしょ」と知ってもらうためにもね。
<スイスの軍事力>
http://homepage2.nifty.com/aquarian/Swiss/Sws_Imp1.htm
<スイスは1815年のウイーン会議で、「永世中立国」として正式に国際的に承認されている。以来、国家を維持していくための強大な軍事力を持つ国家だ。あくまでも、国民を守るための軍事力であり、他の国には侵入しないことが定められ、スイス連邦憲法18条で「国民皆兵」の義務が盛られている。日本国憲法9条によって軍事力を否定する日本とは、決定的な違いだ。>
<20歳になった年に、「初年兵学校」で17週間(4ヶ月)、場所によっては15週間の訓練を受ける。ここで、戦争と戦闘の基礎を教えられる。あらかじめ、どの方面の軍隊を志願するかの希望を出して、心理テスト・身体テスト・体力テストを受け、訓練をする。
翌年からは、だいたい2年に1回の割りで、2週間程度の徴兵訓練に参加する。年齢が高くなるにつれて訓練日数が減っていく。いざという場合に腕が鈍らないために備えることが、訓練の中心だ。>
スイスの家庭には武器庫があって、小銃が置かれていることが多い。スイスという国は物価が高く、ホスピタリティも低く、飯はまずいので私はあまり行きたいとは思わないが、この国民の意識の高さはいつも尊敬している。似た国家には、私が愛するイスラエルがあるかな。国家国民を護るとはこういうことなのだ。私たちひとりひとりの意識。それがゼニカネしかわからない下品な朝日新聞には理解できないのだろう。
<手厚いもてなしは、むろん米側の計算ずくだ。関心は実利だろう。日本の首相として初の米議会上下両院合同会議での演説も、オバマ大統領の満面の笑みも、いずれ高くつく請求書に見えなくもない。>
こういう下品な価値観の中で生きて死んでいく方々もいるんだなあと、私はむしろ感動する。朝日新聞がすべてそうなのか、この天声人語子があまりに特殊なのかわからないが「国家のため」ひいては「世界のため」身の回りでは「親や子どものため」に命を賭けるということを根本的にわからない奴らがいると知って改めて驚く。
ほとんどの日本人はそうではない。目の前で車にひかれそうになった人のためにも飛び出すだろう。憲法9条論議とは畢竟、そういうことなのである。自国だけではない。たとえば支那に侵略されそうになった国があれば、条約も糞もなく飛び出して手助けする。それが日本国の「国がら」だと思う。
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