勝谷誠彦氏の有料ブログより転載
どうしても紹介したい本をば。いや、
これはぜひとも読んでいただきたい。安くはない。定価は2200円である。昼飯4食分かな?でもね、たとえ4食抜いてでも読んで欲しい。その4食は、かの地の人々への追悼の空腹だと思って。
『
チベットの焼身抗議/太陽を取り戻すために』
ほぼ1週間、私はこの本から離れることができなかった。その間、滂沱の涙をどれほど流したことか。そして知った。悲しみが呼び起こす怒りほど強いものはないと。書名でおわかりのように、これは支那の侵略と弾圧に対して自らの身体を焼くことで抗議をしたチベットの人々の記録である。僧侶もいる。一般人もいる。少年もいる。少女もいる。皆が灯油やガソリンをまずは呑み、次に衣服にかけて自ら燃えるのである。帯にはこうある。「今日もまた、愛する人びとが燃えていく」。本の内容を完全に愛しぬいた編集者だけが書ける文章だと思う。
支那の暴虐についてはあまたの本が出ている。しかし、直接的にそれを糾弾するのではなく、チベットという無残に虐げられた人々の命をかけた抗議をひとつひとつ描いたこの本は、万巻にまさる。そしてそれこそが、自らを焼いて世界に訴えたかった人々の想いなのだと私は感じる。
本書には143人の焼身抗議の詳細が、それぞれのプロフィルとともにおさめられている。ひとつひとつが貴重な人生なのである。だから、一日に数冊を読みとばす私が、この本には1週間かかった。誰の項目でも、何度も読み返さざるをえなく、それが生きてあるものの責任だと痛感したからだ。もちろん私の思い入れの基礎には、かの地を訪れたという経験がある。まだ読んで下さっていない方はぜひ本書のあとにでも拙著『ディアスポラ』にお目通しいただけると幸いだ。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167900342
しかし、はるかに及ばざると思った。私の小説家としての筆力が足りないのは承知している。私はあまたの支那によるチベット弾圧の本を読んできたが、この一冊の前にはすべてはまだまだ小さい。なぜか。チベットの「全体」を書こうとしても、なかなかそれは難しいだろう。何年にもわたって住みでもしない限り、彼らの心の奥底には入れない。『ディアスポラ』など上っ面をなでただけだ。旅人としてできることはそのくらいだという自覚はあるけれども。
本書は違う。おそらくダラムサラのチベット亡命政府が大きな情報源だと思うのだが(中原一博さんという著者は傑出した作家だ。私は『カツヤマサヒコSHOW』にぜひとも呼ぶつもりである)。どんな自殺者の人生もその人にとっては大切な「その場かぎりの生」なのである。それを「太陽」すなわちダライ・ラマ14世猊下に捧げるのだ。あの支那の傲慢無表情な自称主席の下品な大熊猫に対してそういう気持ちを持つ国民がいるだろうか。
私の場合は、最初は自死を選んだチベットの英雄たちへの尊敬が勝っていた。しかしやがて、その彼ら彼女らの最後に対して、支那がどういう仕打ちをしたこということで、怒りに本を持つ手が震えてきた。焼死した遺体を武装警官が「奪う」のである。そして「何もなっったこと」にする。しかしその場には僧侶やチベット市民が何千人も現れて奪還すべく対峙する。それは今日、いま現在も行われていることなのかも知れない。
これが戦前であれば、私は馬賊に身を投じてチベットの人々のためにモーゼル拳銃を手にしたいと思った。私がヘタレなのと今の支那共産党はそうは甘くないので夢のまた夢だ。ともあれ、ぜひ一読されて感想をお寄せいただきたい。私はそれをひろめたい。
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問合せ(メールの未着など):info@katsuyamasahiko.jp
情報提供・感想:stealth@katsuyamasahiko.jp
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発行:株式会社 世論社
『
チベットの焼身抗議/太陽を取り戻すために』
http://www.shukousha.com/information/publishing/4314/
ほぼ1週間、私はこの本から離れることができなかった。その間、滂沱の涙をどれほど流したことか。そして知った。悲しみが呼び起こす怒りほど強いものはないと。書名でおわかりのように、これは支那の侵略と弾圧に対して自らの身体を焼くことで抗議をしたチベットの人々の記録である。僧侶もいる。一般人もいる。少年もいる。少女もいる。皆が灯油やガソリンをまずは呑み、次に衣服にかけて自ら燃えるのである。帯にはこうある。「今日もまた、愛する人びとが燃えていく」。本の内容を完全に愛しぬいた編集者だけが書ける文章だと思う。支那の暴虐についてはあまたの本が出ている。しかし、直接的にそれを糾弾するのではなく、チベットという無残に虐げられた人々の命をかけた抗議をひとつひとつ描いたこの本は、万巻にまさる。そしてそれこそが、自らを焼いて世界に訴えたかった人々の想いなのだと私は感じる。
本書には143人の焼身抗議の詳細が、それぞれのプロフィルとともにおさめられている。ひとつひとつが貴重な人生なのである。だから、一日に数冊を読みとばす私が、この本には1週間かかった。誰の項目でも、何度も読み返さざるをえなく、それが生きてあるものの責任だと痛感したからだ。もちろん私の思い入れの基礎には、かの地を訪れたという経験がある。まだ読んで下さっていない方はぜひ本書のあとにでも拙著『ディアスポラ』にお目通しいただけると幸いだ。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167900342
しかし、はるかに及ばざると思った。私の小説家としての筆力が足りないのは承知している。私はあまたの支那によるチベット弾圧の本を読んできたが、この一冊の前にはすべてはまだまだ小さい。なぜか。チベットの「全体」を書こうとしても、なかなかそれは難しいだろう。何年にもわたって住みでもしない限り、彼らの心の奥底には入れない。『ディアスポラ』など上っ面をなでただけだ。旅人としてできることはそのくらいだという自覚はあるけれども。
本書は違う。おそらくダラムサラのチベット亡命政府が大きな情報源だと思うのだが(中原一博さんという著者は傑出した作家だ。私は『カツヤマサヒコSHOW』にぜひとも呼ぶつもりである)。どんな自殺者の人生もその人にとっては大切な「その場かぎりの生」なのである。それを「太陽」すなわちダライ・ラマ14世猊下に捧げるのだ。あの支那の傲慢無表情な自称主席の下品な大熊猫に対してそういう気持ちを持つ国民がいるだろうか。
私の場合は、最初は自死を選んだチベットの英雄たちへの尊敬が勝っていた。しかしやがて、その彼ら彼女らの最後に対して、支那がどういう仕打ちをしたこということで、怒りに本を持つ手が震えてきた。焼死した遺体を武装警官が「奪う」のである。そして「何もなっったこと」にする。しかしその場には僧侶やチベット市民が何千人も現れて奪還すべく対峙する。それは今日、いま現在も行われていることなのかも知れない。
これが戦前であれば、私は馬賊に身を投じてチベットの人々のためにモーゼル拳銃を手にしたいと思った。私がヘタレなのと今の支那共産党はそうは甘くないので夢のまた夢だ。ともあれ、ぜひ一読されて感想をお寄せいただきたい。私はそれをひろめたい。
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