パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

このブログを始めて 本日は10年目になりました


このブログを始めて 本日は10年目になりました。訪問者も45万人を超え、 読んで頂いた方へ、厚く御礼申し上げます。

『Free Tibet』 と言う声を上げたくて 2006年から色々、本を読んだり、ネットを検索していたのが
2008年の 北京オリンピック 長野聖火リレーにおいて,支那共産党赤旗長野市内を占拠するとの情報で、1泊二日で上山田温泉に泊まり、朝早く長野市内にいきました。
朝7時前には 駅前は支那の赤い旗に埋まり、 チベット人ウイグル、モンゴル人等少数民族への弾圧を 肌で感じました。

長野の善光寺においての2007年からのチベット蜂起で亡くなられた人々の法要を行った後、支那聖火リレーに反対するべく、赤旗を閉じさせるべく、町に出ましたが、市内いたるところに持ち込まれた
赤旗は5mx3m におよぶ大きなもの、それも数百本あったような気がします。
そして その旗の支柱で 『小さいチベットの旗を用意した我々に』殴りかかったり、チベット旗を引きちぎったりビデオや写真機で撮影するフリをして、その機材で我々を殴りつけてきたのでした。

一部の暴徒は長野駅前のモニュメントに登り、赤旗をくくり付け、日本を占領する勢いでしたが、
それに動員された 日本国中から集まった機動隊隊員は 当時首相であった 福田首相より、『シナ人を守れ』の命令で 暴虐を尽くす 支那人たちを連行せず、[Free Tibet]側の我々に対して、
「治安を守るために 日本人を守る」といいながら,いたるところで排除行動を行っていました。
機動隊の目の前で 支那の暴徒に棒で殴られて、倒れるところを足でけり倒されている日本人(被害者)を単に 引っ張り出すだけで、支那人の暴徒を一切検挙も、逮捕もしないのがそのときの状況でした。
それが今の 支那人の犯罪の多さにつながり、 また福田政権の自民党から 地獄の民主党政権への政権交代の引き金にもなりました。 
 民主党が政権j樹立後 大挙して 北京に行き,胡錦濤朝貢したことは
やはり 日本の政治家は 右も左も無く 彼らの用意する「女と金のにおい」に弱いことが、よくわかったのです。  
そして この長野騒乱から 「FREE TIBET」の都内デモや ダライ・ラマ法王成田お迎え、護国寺での半年間の チベット人法要の祈りの会を経て、 「雪ノ下の炎」の主人公である パルデン・ギャッツオ氏が 彼の映画のために来日時にお会いして、彼が33年生き延びた刑務所で亡くなった人々が、彼を支えている 「 霊症 」(彼らが写真に写って) を目の前に見て、はじめてチベットの歴史、チベット仏教のすごさを感じて、
チベット支援のための 「パルデンの会」 を立ち上げました。

そして その当時 福岡ー上野ー大阪―仙台で 行われた 支那政府がチベット占領した後、破壊しつくした仏教寺院から運んだ仏像などを展示した チベット至宝展」 を日本の仏教会や、教育委員会が新聞社、テレビ局や中国大使館を支援して開催されたが、 誰もその欺瞞性を指摘しない為、パルデンの会は 上野会期中に 美術館前で抗議運動を続けたのが 我々の本当の運動の始まりでした。

あれから 10年 長いようで短い運動でした。

今 ダライ・ラマ法王は中道政策をチベット人に説き、シナに留まり チベット人の権利を守るという方針で、「 Free Tibet 」は棚上げとなっている。
しかし支那共産党独裁政権は まったくそれにも対応せず、 チベット人ウイグル、モンゴル人への民族浄化を進行させているのが 現状である。

「 パルデンの会 」は中道政策をチベット人が唱えるためには 中国国外からの 「Free Tibet」運動はまだまだ必要と考えています。

言わなければ 中道政策、人権政策、の獲得はむづかしいだけではなく、少数民族浄化も防げないと確信しているからです。
経済問題から どんどん体制が崩れてきている 支那共産党独裁体制を解体して チベット人を含む少数民族や 漢人などが 自由に生きることのできる体制が構築できることを 「FREE TIBRT」をまだまだ 叫び続けていく予定です。

パルデンの会 記
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くしくも 上野のチベット至宝展に チベット旗を立てたことを報じてくれた
勝谷誠彦氏」が本日 死去されました。 氏の有料ブログは 本ブログでも紹介させていただきました。
ご冥福をお祈りいたします。

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兄 勝谷誠彦(かつやまさひこ)儀 病気療養中でしたが
平成30年11月28日午前1時48分に 永眠致しました

尚、通夜式、告別式は下記のとおり執り行います

通夜式:11月28日(水) 19時~

告別式:11月29日(木) 13時~14時半

式場:阪神平安会館 〒660-0805 尼崎市西長洲町3丁目7番7号
   TEL 06-6481-3242    FAX 06-6481-4142

喪主:勝谷友宏(かつやともひろ)
尚 誠に勝手ながら 御香典は故人の遺志により ご辞退申し上げます

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2018年11月28日号。<勝谷誠彦 生まれ育った尼崎にて旅を終える>。


勝谷誠彦の××な日々。 deliver@katsuyamasahiko.jp crmstyle.com 経由

6:56 (5 時間前)
To 自分
 1時48分永眠。

 2018年11月28日午前1時48分。勝谷誠彦は故郷の尼崎で57年間の人生を終えました。

 この『勝谷誠彦のxxな日々。』は、勝谷の最大にして最後の作品となりました。その作品の最終話がこのような形になってしまい、誠に残念ですが、最期までお付き合いいただいた皆様に厚く御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。

 この3ヶ月間は、皆様に心配をかけ通しでした。最初の入院から、奇跡の復活を期待しましたが叶いませんでした。早すぎる終焉は残念でなりません。

 通夜は本日28日夜、告別式は明日の午後を予定しておりますが、まだ仮のため、決まり次第ご連絡いたします。

 また、今後の予定につきましても、不定期になると思いますが、ご連絡いたします。

 本当にありがとうございました。

勝谷誠彦のxxな日々。』発行人
株式会社世論社
代表取締役
高橋茂


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