パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

拉致問題>極道国家にさらわれた同胞の奪還には「締め切り」がある


勝谷誠彦氏の有料ブログより転載

 2017年10月2日号。

<極道国家にさらわれた同胞の奪還には「締め切り」がある。めぐみさんのご両親の年齢を考えよ。自分の親と比べてみよ>。

 3時起床。
 いつも「もう時間がない」と言外に言ってきたつもりだ。ただあまりに露骨に言うことははばかられた。自分の親のことを考えてみればわかるだろう。「孫の顔を」などという時に、親戚のおっさんは「元気なうちに」とかいう。けれどもそれは両親が衰えていくことを前提としているので、私は無性に腹がたったものだ。けれども、極道国家に誘拐された同胞をとりもどすためには、中で大きな声を出すのもどうかなあと、黙ってきた。
 同胞を取り戻すことの意味にはいくつかがあると考えてきた。「みんなが元気なうちに」「極道国家の罪を世界に訴える意味で」しかし何よりも「ご両親にあわせてあげたい」だ。日本人としては最後のところがもっとも心に響くのではないだろうか。もちろん、それがもうかなわないひとたちもいる。けれども、私たちにとって象徴はやはり横田めぐみさんであった。私たちといっては押しつけすぎか。私は年齢も遠くなく、そのご両親を存じあげて、少しでも何かができないかと考えてきたので、よほど特に思い入れがあるのかも知れない。
 お歳を召された御夫婦が街頭に立たれることで、同胞を奪還するという気持ちに、どれほど国民が奮い立ったことか。いや、いま奮い立っていないので、情け無いと私は怒っているのだけれども。やがて、お父さんが体調が良ろしくないということで、表の場に出てこられなくなった。お母さんは、お父さんの分まで頑張ろうと、ずっと街頭に立っておられた。拉致された同胞を奪還する心の、それはまさに灯台であった。ところが、こういう日が来てしまった。私たちは「間に合わなかった」ことを恥じるべきである。及ばない力の弱さを羞じるべきである。日本人であるならば。
 <拉致被害者支援のつどい、横田夫妻が初めて欠席>
 http://www.yomiuri.co.jp/national/20171001-OYT1T50061.html
 <拉致被害者横田めぐみさん(拉致当時13歳)の父滋さん(84)、母早紀江さん(81)が住む川崎市で1日、「拉致被害者家族を支援するかわさき市民のつどい」が開かれた。
 10回目を迎えた今年、夫妻は体調不良のため初めて欠席。被害者家族が高齢化していく中、参加者は改めて早期解決を願った。
 拉致から40年の節目で行われた今回のつどいには市民ら約230人が参加。早紀江さんは約15分間のビデオメッセージの中で、「皆様のご支援のおかげで、拉致問題を含めた北朝鮮のことが明らかになってきた」と感謝し、「私たちもいつ倒れるか分からないなと思いながら頑張っている。これからもよろしくお願いします」と呼び掛けた。>
 会場はご両親の家から遠くはなかったと思う。そうか。お二人はもう80歳を越えておられるのか。勝負ですよ。ここ1、2年で国民の力を統合して、めぐみさんを取り戻せるかどうか。何度か書いたが、私はこんな情け無い国にいるのならば、義勇軍を組織して奪還に殴り込んでやろうかとすら、ときどき夢想する。夢想ならいいのだが、本気でやるとその段階で逮捕される。
 <凶器準備集合罪・凶器準備結集罪>
 http://bit.ly/2xIrpzo
 <生命、身体又は財産に対する危険をもたらす一定の予備的な行為を処罰する。個人的法益に対する罪であると同時に公共危険犯としての性格を持つ。暴力団の縄張り争いや過激な政治団体同士の抗争を早期の段階で取り締まるため、1958年に新設された規定である。>
 国内の極道相手ではなく、国際極道国家が相手なので許してと、同級生の警視総監に言ってみるか。嘘だよ~ん。吉田君、ごめん。とはいえ、いろいろと考えてみる。国内でやるからダメなのだ。中東かアフリカの第三国で傭兵団を作ってということはできなくもない。こうなるとフレデリック・フォーサイスの世界であって、人生の中でいちどはやってみてもいいかなとどこかそれはある。
 http://amzn.to/2fJBhSx
 同胞奪還義勇軍、ちょっと面白いでしょう。まったくマンガだが「意外とできるのかな」と私をつけあがらせると怖い。選挙の次は義勇軍かと。いえいえ、公安諸君。大丈夫ですよ。イザという時には私の同級生の吉田尚正警視総監にちゃんと「あとは頼むね」と言ってから出撃します。小説的にはまことに面白い。「それぞれのプロ」を登場させる。朝鮮半島の領海ギリギリで操業している漁師たちを私は知っている武装は実はたいしたことではない。自衛隊には「資格をとってシャバで就職する」連中が多い。とはいえ任期の間に鍛えられている。こういう人々を集めて船に乗せて行く。

 こんなことを考えるのは、北朝鮮がもうヘロヘロだという情報のせいだ。私は自分のルートでそれを把握していたが、とうとう大マスコミにも出始めた。あの国をたもっているたったひとつの手段たる情報統制までとうとう壊れたのか。支那が火事場泥棒のようなことをしている。
 <北朝鮮の弱みにつけ込みがっぽり稼ぐ中国企業/米軍筋「石油製品の供給価格をつり上げている」>
 http://www.sankei.com/premium/news/170930/prm1709300008-n1.html
 ようなこと、ではなくて、火事場泥棒そのものなのだが。
 <国連安全保障理事会は9月11日、6回目の核実験を強行した北朝鮮に対する追加制裁決議案を全会一致で採択した。石油禁輸を求める米国に反対する中国が石油輸出の上限を決めることで妥協したからだ。実際には石油の対北輸出量が最大になった昨年の水準を上限にしており、制裁の効果のほどは疑わしい。ところが、平壌から伝わってくるのはガソリンなど石油製品の高騰だ。
 米軍筋は「中国の輸出業者が北の弱みにつけ込んで、石油製品の供給価格をつり上げているからだ」という。それは今に始まったわけではなく、原油の供給価格は国際相場の2割程度高く設定しているという。
 対北石油製品平均輸出価格を、対韓国、ベトナムと比較したのが本グラフだ。確かに割高だ。なるほど、抜け目のない中国企業はがっぽり稼いでいる。>
 やや迂遠な話をする。石油の禁輸というのはなかなか難しくて、本気でやると相手の暴発を招く。大東亜戦争が起きた、本質的な原因を考える時、それは大日本帝国のエネルギーの命脈が断たれたことにつきる。アメリカはやりすぎた。各国とつるんで、日本への石油のラインを絶ったのである。これが別の制裁であればまだまだ話す余地はあったであろう。だがこれをやられると、国民経済はもとより、海軍は「一回出撃するだけの燃料しかない」となった。だったらその一回でやったろうじゃん、が真珠湾攻撃である。
 インドネシアのような田舎を占領しても土人の面倒を見るだけで、何のメリットもない。だがそこには石油があった。くだらない話であって、結局人類は、化石燃料を奪い合うことでずっと戦争をしているのだ。新しいエネルギーを巡る話は、こういう歴史を踏まえなくてはいけないのに、賢い方々は誰もいわない。新エネギーの歴史的な意味は「戦争をなくする」「国家間の格差が減る」ことなのに。

 とうとう朝日新聞は『声』欄まで引いてしまうことになったか。とはいえ、15歳の坊やの卓越した意見だ。『声』欄の担当者も唸ったのであろう。だからトップに持ってきているのではないかと考える。神奈川県の中学生、石井庸介君の投稿だ。『声』はリンクがないので、いまからひとつひとつ私が書き写すことになる。冒頭。
 <政府が、高等教育の無償化について、二つの案に絞って検討しています。無償化の目的は、勉強したいけれども経済的な理由からできない、勉強ができるのに経済的な理由から大学にいけない、そういうことを支援することだと思います>。
 これ、15歳かよ。朝日の記者よりもずっと簡潔に論題をまとめている。この子はモノ書きとして、私が私塾をやっていればすぐにスカウトしたいくらいだ。そのあと彼は、奨学金的なものを、タダでわたしてしまうという、選挙前にまことにわかりやすいバラまきをやらかした連中について、こう正論を述べるのである。
 <僕は試験制度があればいいなと思います。政府が奨学金を望む生徒たちにテストを設ければどうでしょうか。合格ラインを上回った生徒たちに、返済免除の奨学金を給付する制度をつくればいいと思います>。
 まさに正論。ゴミも宝も一緒にする世の中に素晴らしい光の矢を射った。これを冒頭にとりあげる朝日新聞の『声』の担当者も褒めておく。築地のエリートであられるだけに、よほど個人的にもムカつく「悪平等」があったのかな。彼は知らないまでもある意味でのノブレスオブリジュについて言っているのだ。知恵あるものは優遇される。ただしそれを社会に還元せよ。逆に言うと、知恵あるものだけが優遇されるべきだ。味噌も糞も一緒にカネをばらまかれるのはいかがなものであろうかと。
 こういうことを言うと嫌われる。「恵まれない子こそ、助けられなくては」とは。左巻きがいつも言う理論だ。もちろんそれはその通りなのだが,恵まれている子を更に伸ばすことへの嫉妬が必ず裏にはある。開業医の息子として生まれて恵まれてきた私はいつもその礫を受けてきた。そういう家に生まれて罵倒されるのも、運命でしょうよ。「センセイのお子さんやから、医学部行きはるんやろね」は、ビンボーよりも実はずっと辛かったりする。行きはらへんのや。西成でドカチンやってそのあたりのお嬢さんと所帯もったろかとどれほど思ったことか。
 兵庫県で私がまずやろうと考えていたのは奨学金だった。ただし、まことに厳しい選抜をしようとしていた。すべてカネは出す。ただし、卒業後の兵庫県への勤務義務を課そうと考えた。左巻きからは「差別教育だ」と言われるだろう。その時こそ私はずっと言いたかった「差別ではなく区別です」をきちんと論陣をはろうと考えていた。
 プロ野球でも1軍2軍、最近では3軍まである。あらゆるスポーツがそうだ。なぜ知的、実業の世界ではそれがないのか。会社ではフツーに存在する。であればもっとあらゆる分野でもあって当然だろう。
 私が小学校に通っていたころは日教組の全盛期で「最後の子がついて来るまで、みんなで待とうね」だった。教科書をもらったその日にすべて読んでしまって「アホか」と思っていた私は、もちろん教室でも「アホか」とふてくされていると、先生に「おまえは根性が悪い」と殴られた。「アホに殴られたらアホになりますから、カンベンしてください」というと、また殴られた。「おまえは自分がカシコイと思っておるんやろうけど、そんなもん、世間に出たら、なんぼでもおるぞ」と言われて、いまも左右を見回しているが、私よりのカシコはそうはいないようである。
 だから私はそれができるようになったならば、カシコには県をあげて応援しようと考えていたのだ。郷土という感覚は、そうして応援してもらったことから生まれるのではないか。日本中を歩き、歴史を学んで、郷土という意識の深さをいささか知った。日本史を作っているのは「郷土の俊英」であり、どんなに貧しくてもそれを送り出しているのは郷土のひとびとのおかねなのだ。これう理解しなくては、郷土と大日本帝国の結びつきもわからないし、なぜ幾多の戦争で、郷土のために青年たちが死んでいったのかも理解できないであろう
 すべてのことは、ふくはらの夢のまた夢。いい夢をみさせてくれたひとたちに感謝。


_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
(c)2017 勝谷誠彦katsuyamasahiko.jp All Rights Reserved.
問合せ(メールの未着など):info@katsuyamasahiko.jp
情報提供・感想:stealth@katsuyamasahiko.jp
公式サイト:https://katsuyamasahiko.jp
Twitter(迂闊屋):https://twitter.com/u_katsuya
Facebookhttps://www.facebook.com/katsuyamasahiko/
購読解除:http://katsuyamasahiko.jp/procedure/dissolve
発行:株式会社 世論社