パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

4月1日号 今年の四月馬鹿はどうでしたか



 勝谷誠彦の有料ブログから転載
2018年4月1日号。

春夜洛城ニ笛ヲ聞ク。北京だけれども。李白

 
 
3時起床。北京市
さすがに海外でこの時刻に散歩はしないが、到着した昨日は、やや肌寒い感じであった。もっとも、窓から外を見ても、宿のまわりは何もなさそうで、くろぐろとした景色がひろがっている。目の前は広い公園なのだ。逆側に窓があれば、不夜城のような光が見られたかも知れない。中関村がほど近い。先日、電話頭野郎が見学させろと出かけた支那シリコンバレーだ。
到着後アテンドしてくれるひとたちに「私も行きたい」と駄々をこねたが「明日は日曜日ですから」ともっともなことを言われた。「嘘だ~い。ああいうところは日曜日だからって操業を休んだりしないだろう」。あっ、会話は日本語だ。支那通をときどき自慢する私だが、こんな複雑な(複雑か?)会話は出来ない。「いえ、そういう時代ではないのですよ」朱さんというこのひと、最近の日本の若者よりははるかに美しいくて正確な日本語を使う。歳のころは彼ら彼女らと同じくらいなのに。「まじい?」とかがない文化で育つとこうなるのか。男性である。
「なるほど、労働者優先だね。さすがは毛沢東の創った国だ」というと朱さんが吹き出した。「その毛沢東諧謔(こう言った)も、若いひとたちにはわかりませんよ。さすがに名前は知っているでしょうけれども、彼が何をしたか、まず知りません」。確かに、私も若いころから皇軍がとか、戦前の内閣はとか言って、周囲から気持ち悪がられていたものだ。歴史はこのように忘れられる。
 
成田という、日本史上に残る愚劣な存在は、さすがにもうすぐ消滅するのではないだろうか。政治家はともかく、官僚が責任をとらないというのは日本国の宿痾だが、いま世論調査をすればほとんどの国民が「成田は使えねえ」と答えるだろう。わざわざとりあげたのは折しものニュースがあるので。
<成田空港の旧管制塔、撤去へ/反対派占拠事件から40年>
<成田空港(千葉県成田市など)の開港を4日後に控えた1978年3月26日、開港に反対する活動家たちが管制塔(高さ約64メートル)に侵入して機器を破壊する「管制塔占拠事件」が起き、開港は2カ月遅れた。あれから40年。成田国際空港会社(NAA)は「成田闘争の象徴」と言えるこの建物を、2020年にも取り壊すことを決めた。>
頭おかしいんじゃないの。襲撃した連中ではなく、被害者のNAAの方が。とっとすぐに壊せばよかったろう。自称革命家は、知能指数が低いせいで世の中でやっていけずに、一発芸に賭けるのである。その成果を40年もさらしている馬鹿がどこにいるか。40年もの間「あれは俺たちの仲間がやったんだぜ」と使われてきたわけだ。私は世界中でそういうものを見てきた。「勝った側」が保存するのは当然であって「負けた側」のそれなどは、ただちに消滅させるのが当たり前だ。
 
そういうわけで成田にはまったく行かなくなった。どこかの国へ飛ぶのに、成田便しかなければ日にちを変更するとまで言うひとは多い。「成田の連中と会話するのも嫌だ。次の国に着くとホッとする」と。もっとも、航空会社などはローテーションで回しているわけでこの限りではなく、もともと土地を持っていて利権で入り込んできた連中のことだろう。でも40年か。そろそろ世代がわりでマシになるのか、親の卑しい根性は子々孫々伝わるのか。
今回も羽田からである。14時前に出て、17時前に着くという、中国国際航空の、まことに便利な便がある。時差が1時間あるので実質は4時間乗っている。出迎えてくれたのは初対面のひとだ。こういう時、多くの国では相手の名前を書いたボードを掲げる。だが、彼は私の顔を見ただけで、スッと寄ってきた。顔を覚えるのはインテリジェンスの基本だ。ましてや、名前を暴露するなどということはしない。
しかもこれ、イミグレーションの「内側」なのである。搭乗口を出てイミグレに向かう途中でのことだ。そのイミグレもいちばん右側のラインの更に外側に私を連れていくと、スッとIDを見せて通り抜けた。外に出る。昔はこういう時は黒塗りの車と決まっていたが、今やそういう方が危ないのだろう。ごく普通の目立たないバンだ。でも冷蔵庫が積まれていて「何か呑みますか。もうお酒を呑んでいい時間ですよ」。私には酒さえ与えておけばいいという情報が当局にはあるのか。
 
今年の四月馬鹿はどうでしたか。ここのところ毎年、見破られるどころか「下手になった」「それでも作家か」などというお叱りのメールを頂戴しているので、これまでの体験を基本に作ってみたが、つまんないよね。それがどうした、である。もっと美女も出てきて、波瀾万丈の物語にそりゃ、したいのだがすると小説だ。小説家というのは嘘つきという意味で、それは私は好きなのだが、4月1日には、別の意味で騙したい。
騙しといえば、まだお読みでない方は拙小説『平壌で朝食を』をぜひ。「読書メーター」をはじめて見たが、嬉しいものだ。
今朝の四月馬鹿にも通じるものがある。北京にも平壌にもいっておいてよかった。私の人生設計では、とにかく身体が動く時に世界中を歩いてインプットして、しんどくなったらだらだらと小説でも書いていこうというものだった。南極から北極まで行きつくして、たいがいそれは達成したが、まだまだ元気なので困っている。さて、北京には本当に行けるのかどうなのか。南極北極よりも大冒険かも知れないね(笑)。
 
差別ではない。区別なのである。支那人という「ある種の方々」の民族性と性癖を考えると致し方ないたとであろう朝日新聞はいつもの「ほのめかしの所作」で大好きな支那人が良くて、同胞が悪いと言いたいようであるが。

<「バイト20人で買い占め」/化粧品「爆買い」の実態>

<2月中旬の昼すぎ、東京・銀座の百貨店の化粧品売り場は訪日客の姿が目立った。販売カウンターの内外で中国語が飛び交う。大きなかばんを持った女性客に交じって、男性客二人組の姿もあった。異なるブランドの紙袋をいくつも提げ、売り場を歩き回っていた。>
<販売の大部分は中国人の「爆買い」向けとみられる。資生堂とポーラは17年12月期決算で営業利益が過去最高になった。コーセーも18年3月期決算で最高益となる見込みだ。>
ここへ来て、さまざまなメディアでこの問題が報じられてきたのは、もちろん化粧品業界の莫大な広告料があるからだ。紙の報道を見て、まもなくテレビが追随して、キャスターれレポーターが眉をひそめて報じると予言しておく。支那利権メリットと広告収入をてんびんにかけていたわけだが、「これはいかん。資生堂に乗らなきゃ」となったわけだ。切ないが、そういうもん。
冒頭を北京の四月馬鹿からはじめたからではないが、支那人というのは人類の中で「リミッター」が壊れたひとたちに含まれる。日本人はなぜか「リミッター」がありすぎて、遠慮、固辞、辞退といった言葉が日常でとびかっている。ふだんリミッターを使い慣れていないから、それが壊れるとえらいことになって、明治からこの方、大陸から太平洋まですべて自分のものにしようとした。怖い。
支那人では、野放しにして「国に持ってかえれば儲かる」となれば、いくらでも化粧品を買っていく。こちらの方がむしろ人類的な欲望としては自然だ。それをなんとかしようと孔子から始まって「礼」だの何だのを教えたのだが、まったくの無駄であった。
文化論、歴史論ではない。こういう話をするとエラい方々はそこで終わるのだが、軍事を知る私は「だから、尖閣と沖縄だよ」とつなげたいのである。朝日などは「どうして、あんなに歴史のあるいいヒトたちが」といつも書く。アホか。歴史を読めば読むほど、何の反省もない膨張のそれであるとわかるではないか。そういう民族性をなんとかしようと、さきほど触れたように、孔子やなんかがいろいろと努力してみたのである。日本人のかわいさは、その努力を方だけを輸入して「ああ、素晴らしいひとたちなのだ」と信じ込んだことだ。
それは、学校の生活指導の先生や、刑務所の看守の訓話を聞いて「うわあ、立派なひとたちがあっちにはいるんだな」と感動する、馬鹿としか言いようがない。「とんでもないレベルの連中がとなりにいるんだ。警戒しなくては」。戦前の大日本帝国は、すくなくともそれをわかっていたのに、その馬鹿に深入りしてしまった。支那人が化粧品を買うことからここまで論を深めるのは、私くらい…いえいえ。でも、日曜日の朝には、朝日新聞のヒマネタよりも面白いでしょ。
 
まだ実際に観ていない。このためにロンドンに行ってもいいのかな。産経新聞はさすがだが、もっと他の大マスコミも追随していただきたい。

北朝鮮拉致テーマの演劇、ロンドンで盛況/英紙「心揺さぶる」>

<ロンドンで日本人の母親を持つ脚本家が描いた北朝鮮による日本人拉致問題をテーマにした演劇「ザ・グレート・ウエーブ」が名門劇場「ナショナル・シアター」で上演され、英国人の心を捉え、大入り盛況が続いている。
拉致被害者横田めぐみさんとみられる女性が主人公。その他の被害者の実話も加え、フィクションとしてアジア系俳優が日本語交じりの英語で演じている。
英紙フィナンシャル・タイムズは「大波は人々の心を揺さぶり渦巻いた」と論評している。>
通信社を含めるさまざまなメディアが大きく伝えている。せっかく伝えてくれているのに失礼だが、特派員は現地メディアの反響の大きさを必ず見ている。ということは、ロンドンのひとびとが受けた衝撃は大きかったようで、いくつかの記事をあわせよむとそのことがよくわかる。
英国はパーマストン子爵を生んだ国である。彼の歴史に残る名言であり、私も座右としているのは「たった一人の国民の権利を守るために、国家の総力を上げるのが主権国家である」だ。これが、イギリス人の魂の声である。そこで拉致犯罪の演劇がおこなわれたということの、とんでもない衝撃を日本人はわかっているだろうか。報道を見る限り、大マスコミもわかってはいない。
長年、大英帝国を背負っていたパーマストン子爵の精神は、イギリスのひとびとの心でもある。それを慮ると、私は恥ずかしくて仕方がない。かつて、日英同盟を結んでいた国である。東洋の駆け出しの国であった大日本帝国をそう扱ってくれたのは、日本人の、あのころは武士の魂をイギリスのひとびとが理解したからだ。それは「義のためには死ぬ」とういうことだ。
演劇はもちろんありがたいことだ。だが、いまこの瞬間もイギリスのひとたちが観ているのだと思うと、私は痛みを感じる。「日本人は何をやっているのか」とみなさんも思うに違いないと、信じる。
 
ではそろそろ迎えが来たので、万里長城の八達嶺へ。え?もういいって。失礼しました。早い配信でごめんなさい。新年度もよろしくお願いします。読者、ふやしてね。
 
 
 
 
 
 
 
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