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天安門事件30周年の日、中国で起きたネット上の「新たな大虐殺」



天安門事件30周年の日、中国で起きたネット上の「新たな大虐殺」

6月4日、1万個のアカウントが消えた

現代ビジネスより転載
 
天安門事件30周年の日、中国で起きたネット上の「新たな大虐殺」

平穏だった天安門事件直前の北京
1989年の3月、大学卒業と就職を控え、同じ中国文学専攻の学友と中国を2週間ほど旅行した。
 
 
北京に着き、会社の上司となる北京支局長の自宅に友人と招待され、中国料理をごちそうになった。「今年は何か大きな取材テーマがありますか?」「来年のアジア大会までは今のところないね。」このような会話を交わし、支局長の車で暗い北京の街をホテルまで送ってもらった。
 
北京には数日間滞在したが、天安門広場近くに開店したケンタッキーフライドチキンの1号店に長蛇の列ができていたくらいで、中心部からやや離れた北京大学にも行ったが、いたって平穏だった。
 
ところが帰国し仕事を始めて間もなく、天安門広場学生運動が発生した。運動に参加したのは自分とほぼ同世代の学生だった。いまさらタラレバをいっても仕方ないが、事件がもう少し早く起きていれば、あるいは自分がまだ学業を続けていれば、20世紀の最大の事件の1つを目撃できただろうと残念に思った。
 
ちなみに、中国文学科で指導を受けた丸山昇教授(故人)は6月4日の惨劇の知らせを知って、学生の前で涙を流したという。中国革命に希望を抱き、魯迅を中心とする中国文学の研究の道に入られた先生にとって、人民の軍隊が徒手空拳の学生を戦車や小銃で弾圧したことは、さぞかしショックだっただろう。
 
あれから30年を経た6月、日本でも天安門事件についてさまざまなシンポジウムや集会が開かれた。そのいくつかに出席したが、中でも中身が濃かったのが、明治大学が開いたシンポジウムだった。
 
当時の学生運動リーダーだった王丹氏や、天安門事件後に共産党指導部が開いた内部会議の記録を入手し、香港でこのほど出版したコロンビア大のアンドリュー・ネイサン教授、民主派を代表する学者で「北京の春」編集長を務めた胡平氏天安門事件後の新左派や各種の思潮を研究しこのほど「改変中国:六四以来的中国政治思潮」(邦訳は「新全体主義の思想史 コロンビア大学現代中国講義」)という大著を出した同大学の張博樹氏、そして日本からも横浜市立大学名誉教授の矢吹晋氏らが登壇し、朝から夕方まで議論が交わされた。
 
その前日に開かれた別の集会にはもう1人の学生運動リーダー、封従徳氏や、元北京大教授の夏業良氏が出席。夏氏とは食事をし、意見を聞く機会も得たが、まさに民主派の中国人学者や活動家が揃い踏みした感があった。
 
SNSで行われた「追悼」
ただ東京で、これだけ事件についてさまざまな活動があったにもかかわらず、微信などSNSで付き合いのある在日の中国人のビジネスパーソンや華字メディアの姿はほとんどなく、彼らの微信への投稿もなかった。
 
彼らが参加しなかったのも無理もない。このような集まりに参加し、SNSなどに上げていれば、当然中国当局からマークされてしまう。最近知り合いになった、北京から来日した中国人も、「シンポジウムには出られない」と語った。
 
事件について、在米中国大使館は声明で「中国の人権状況は歴史的に最良の時期だ。中国の状況について、中国の老百姓(庶民)に最も発言権がある」と言ったが、現実には老百姓に発言権が認められているのだろうか、大いに疑問だ。
 
とはいえ、事件の追悼は中国のSNSでもさまざまな形で行われた。「今から12時間、静かに黙祷する」と書き込みをやめた人、花と合掌の絵文字(ろうそくの絵文字や写真は禁止されたという)や、追悼の詩を載せた人、さらには微信の紅包(ご祝儀)として事件を意味する「89.64元」を送ったとする写真を載せた人、香港の追悼集会に参加し、写真をSNSで投稿した友人もいた。
 
ところが、6月4日から5日にかけて、大量の微信アカウントが削除され、ネット市民から「微信大屠殺(虐殺)」と呼ばれる事件が起きた。ラジオ・フリー・アジア(RFA)の報道によると、自媒体と呼ばれるエッセイや評論を発表する微信アカウント9800以上が削除され、中には600万以上のフォロワーのいる著名アカウントもあったという。
 
天安門事件についての書き込みならば、上記のようにほとんどあからさまなものは見られなかったし、当局はフェイスブックツイッターなどを遮断しており、海外からのニュースの流入もブロックしたはずだ。
 
ではなぜ、このような事態が起きたのだろうか。ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI)は、ネットで拡散したある1本の文章が原因ではないかと伝えている。
 
「小学生よ、お辞めなさい」
「全国最大的小学生、該下課了」(全国最大の小学生よ、もう辞めるべきだ)という題名で5月31日から6月1日にかけて、複数の海外の中国語サイトに掲載された。全部で6000字近い長文で、全文を翻訳、掲載できないが、主な内容は次のようなものだ。
 
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中国が現在直面する困難な事態は米中関係の後退がもたらした問題だけではない。中国経済は昨年から低成長となり、今年もさらに成長が鈍化している。中国の民営企業は全面的に萎縮し、就職の危機もかつてない程度になっている。この内憂外患は誰の責任か。いくら米国を批判しても、中国の役人や人民にこれらすべてが米帝国主義の過ちだと信じさせることはできない。かつて中国のある人が、自分がこの問題に責任を持つと言ったではないか。今こそ彼が責任をもつ時だ。確かに、ある1人があらゆる責任を取る必要があり、彼は逃げ隠れできないのだ。この人は「一尊」と呼ばれる、「定於一尊」(皇帝のみが決定する、すなわち最高権力者)の「尊」である。自分でそう決めたのだから、「一尊」は責任を持つべきだ。
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文章はさらに次のように書いている。
 
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ほとんどすべての中国人が公開の秘密を知っている。一尊は実は小学生であり、中国最大の小学生だということを。今の中国は、このような小学生、白字大王(白字とは、漢字を読み間違えること)が統治している。白字大王は複雑な局面や深刻な試練に対応する力がない。彼が在位し続ける限り、中国は落ちぶれていくだろう。彼が長くその座にいればいるほど、問題はますます多くなる。一尊はあらゆる問題の中でも最大の問題だ。中国が抱える問題は、解決策がないわけではなく、改革開放の深化がその道だ。だが一尊は中国の改革開放を葬り去ってしまった。一尊が歴史に名を残し、後世の人々から称賛される道はある。それは隠退することだ。自分から辞めるほうが、人から辞めるよう迫られるよりもよい。国家がめちゃくちゃになり辞めさせられるよりもよい。
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「定於一尊」は昨年7月、習近平国家主席の腹心で全人代常務委員長の栗戦書が、習近平の最高権威を強調するために用いた言葉で、文字通り習近平のことである。また彼が演説原稿で漢字をしばしば読み間違えることは有名で、2017年8月16日公開の「中国で起こった『AIの乱』は、民衆の共産党への不満の表れか」でも取り上げた。このように、ほとんどの中国人が誰を指しているかは自明なのだ。
 
作者は「解濱」というペンネームだが、このあまりにも過激な指導者批判の文章が、どのような背景で書かれたのかは分からない。もしかしたら習近平に反対する勢力によるものかもしれない。ただ、この文章がネットで流布するのを防ぐために微信アカウントを「大虐殺」したというのも、その必要性があったのか、謎が多い。
 
「人民の利益を重きとなす」も削除
ただこの文章に限らず、米中摩擦の激化に伴い、相当な言論統制が起きているようだ。中国の経済誌「財経」に6月1日に発表された「以人民的利益為重」(人民の利益を重きとなす)という極めて穏やかでまともな評論も、発表後にすぐに削除されてしまった。
 
文章は貿易摩擦が加熱する中で、危険な民族主義的傾向が出現していると指摘。習近平が19回党大会で「人民大衆の素晴らしい生活への願望、これが我々の奮闘努力する目標と方向だ」という言葉に感動したと述べ、さらに「あらゆる取捨選択を人民の利益を重視して決めれば、必然的に人民大衆の最大の理解と支持が得られる」という演説を引用した。
 
そして政府系メディアによる米国への罵倒に対し、「交流は罵り合いよりもよい。対話を通じて事実を述べて道理を説き、最大限度の求同存異(小異を残して大同につく)を実現することは、両国人民の共通利益に符合する」と指摘した。
 
さらに米中関係が最も困難だった時期に両国はピンポン外交(1971年)により国交回復のきっかけを作ったことなどを挙げ、「グローバル化が退潮する時期だからこそ、極端な民族主義に警戒しなければならない」「冷静になり、妄動してはならない。人民大衆の利益に関わる製品やサービスについて、報復的手段を取るのを慎むべきだ」などと主張した。
 
だがこの文章は発表直後に削除され、筆者の知人で自由派知識人の栄剣はツイッターに「このような理性的な声すら許さないとは、まさに死にものぐるいだ。文章の題名を『党の利益を重きとなす』と書き直すべきだろう」と批判した。だがこの文章は別のサイトに掲載されていることが分かり、内容を確認することができた。
 
天安門事件の評価の問題に加えて米中摩擦という新たな火種が加わり、中国の言論は不透明で不安定な状況になっている。
 
こうした中で、「小学生」のようなどぎつい批判ではなく、「財経」評論のような米中関係を理性的、客観的に分析、民族主義的対応を批判する文章が散見されることは、5月19日公開の「『徹底抗戦か自己改革か』米中摩擦巡り中国国内で広がる大激論の中身」でも述べたとおりだが、こうした論調に対しては新華社が最近になって「対米投降論」だとして批判するなど、まさに混沌とした状況だ。
 
「常に中国に2つの準備を」と王丹氏
前述のシンポジウムでは、こうした中国の現状と今後をどう見るかという点もテーマとなった。日本側の研究者の、習近平体制は今後も揺るぐことがないといった意見に対して、中国側の参加者からは異論が出た。
 
平氏は「習近平の党内へのコントロールは非常に厳しくなっている。3人以上の副大臣が集まるには事前に上級部門の許可が必要だ。また中央の会議には幹部も携帯電話など私物の持ち込みが認められていない」などの例を挙げ、「自分の体制を支えてくれる部下すらこのように信じていない。このような緊張関係が長く続くはずはない」と指摘した。
 
王丹氏は「習近平政権は多くの危機に面している。経済成長の鈍化、地方債務の増加、貧富の格差拡大、米中関係などだ」と述べ、「あらゆる可能性がある。現体制があと20年続くかもしれないし、来週崩壊するかもしれない。決定的予測は不可能だ」と語った。そして最後に「国際社会は、中国の将来について常に2つの準備をすべきだ。現体制だけでなく、他の勢力との協力も必要だ」と語った。
 
この考え方には実に中国人的なリアリズムが現れている。日中戦争の時に、時の国民党が重慶(蒋介石、主戦派)と南京(汪兆銘、融和派)という2つの政権で日本の侵略に相対したことを想起させる。将来どのようになっても、中国との関係が続くように、さまざまな関係を構築していくことが必要なのだろう。

天安門事件30周年の日、中国で起きたネット上の「新たな大虐殺」

「国内で声あげないと意味がない」
その意味で、現体制の下で民主や自由を求める知識人との連帯が必要ではないかと考える。先日、日本の学者、ジャーナリスト有志が清華大学の許章潤教授の職務停止撤回を求める声明を発表した。内容はすでに報道されているが、許教授は国家主席任期制の撤廃を批判し、天安門事件についての評価見直しを求める文章を発表したために活動の場を奪われ、国外にも出られない状況だが、支援の声が国内外で徐々に広がっている。
 
昨年、訪問学者として来日(問題の文章は来日中の7月に発表した)し帰国する際、知人とともにお会いする機会を得て、『古畑君へ』とサインしたご著書をいただいた。
 

「文章を発表し、賛同者が広がることを期待したが、広がらなかった。処分は覚悟している」と語る許教授に「それならなぜ帰国するのか」とたずねたところ「国外にいても仕方ない。国内で声を上げないといけない。国内にこういう声があるということを示すのが重要だ」と語った。許教授の動向はその後も注意しているが、このほど中国に戻った知人から無事であるとの知らせと、元気そうな許教授の写真が届いた。

 
現代中国に関心を持ち始めて30年以上たったが、知れば知るほど、中国は一枚岩ではない複雑な社会だと感じる。逆に言えば、先の見えない面白さがある。今後も一般報道だけでは伝えきれない中国の言論、社会の多面性、多様性に注目していきたい。
 
【本稿は筆者個人の意見であり、所属組織を代表するものではない】
古畑 康雄