日記発見 医師と偽りチベット脱出
毎日新聞 2016年9月26日 22時25分 (最終更新 9月26日 22時30分)
鎖国下のチベットに日本人として初めて入った堺出身の僧、河口慧海(かわぐち・えかい、1866~1945)が、チベットを脱出する際に記した日記が見つかった。東京都内の親族宅で日記を発見した堺市が26日、発表した。チベットに入る際の日記は既に確認されているが脱出時のものは初めてで、「西蔵(チベット)旅行記」の基になった日記が全てそろった。日記は10月26日から堺市博物館で初公開される。
慧海は禅宗の一派、黄檗(おうばく)宗の僧で1897年、仏教の原典を求めてインドに渡航。1900年、ヒマラヤ山脈を越えてチベットに入った。その3年後に帰国し、日記を基にした西蔵旅行記を大阪毎日新聞(現在の毎日新聞)に連載した。
堺市は8月下旬、都内に住む慧海のめい、宮田恵美さん宅で日記を発見した。計17ページの日記はチベット滞在中の1902年1月1日から始まり、同年5月にラサを出発してインド・ダージリン到着後の8月17日まで。慧海は和紙とみられる紙に木や竹を削って作ったようなペンで横書きし、墨でチベットでの日々をつづった。
新たに見つかった日記には、西蔵旅行記にない記述も多い。慧海は、日本人と露見したためチベット脱出を決意。インドに達するまでの約400キロの道中、身分をラサの医者と偽って関所5カ所を越えた様子などを記した。4カ所目の関所を通過した6月14日の記述は「買薬急行ノ要アル旨ヲ以テ急ニ通行券ヲ與(アタ)ヘン」(急に薬を買いに行く必要があるので、通行券を急いで出してほしい)とあった。
堺市の担当者は「覚悟を決めつつも大胆に振る舞った姿がうかがえる」と話している。【椋田佳代】
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河口慧海のチベット脱出日記発見…滞在記そろう
2016年09月27日 09時11分
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日本人であることが発覚しそうになってインドへ脱出した様子が記されており、市は「これでチベット滞在時分も合わせ、日記がすべてそろった」と評価している。
日記は、チベットの都市・ラサにいた1902年(明治35年)1月1日から、インドのダージリンに着いた後の8月17日までのもので、計17ページ。慧海のめいで東京都在住の宮田恵美さん(90)宅で保管されていた。
3月には「講義を聴く」「チベット仏教、歴史を読む」などと記され、慧海がラサで修学に専念していたことがわかる。
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2016年09月27日 09時11分Copyright © The Yomiuri Shimbun
朝日新聞
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160926004171_commL.jpg見つかった河口慧海の日記=堺市役所
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1900年に日本人で初めて仏教の原典を求めて鎖国下のチベットに入った堺市出身の僧侶・河口慧海(えかい、1866~1945)が、中国僧などを装ったのがばれて、チベットから緊急脱出した様子をつづった日記帳が見つかった。堺市が26日発表した。
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png日記では、外国のスパイと疑われたため、世話になった人に迷惑をかけないようにラサから脱出した経緯や、インド・ダージリンに着くまで約400キロの道程などをつづっている。旅行記ではあまり書かれていない、ラサでの暮らしにも触れ、「毎日ムル寺に往テ……講義ヲ聴ク」(3月18日)▽「西蔵佛教歴史ヲ読ム」(3月30日)と勤勉だった様子もうかがえる。
脱出時はインドに薬を取りに行く医者を装い、関門5カ所を正面突破したが、直前には「正々堂々ト旅行スルモノヲ何人カアヤシマン」(6月8日)などと覚悟をつづっている。堺市の中村晶子学芸員は「体験を証明するため、ほぼ毎日記録し続け、二つ折りで身につけていたと思われる。緊張感にあふれた旅の様子が実感できる」と評価する。
「評伝河口慧海」などの著作がある高野山大学の奥山直司教授は「関所を次々に突破するなど旅行記に描かれた脱出行が日記で裏付けられた。記録することの熱意も感じられ、慧海の胆力、行動力、緻密さを感じさせる貴重な資料」と話した。
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