本日から兵庫県知事選挙が始まるようである。
天下りの現職知事に対して 挑む 勝谷氏、
どれくらい 兵庫県県民が 変化を希望しているかがわかるはず。
選挙に行きたい人の心が どれだけつかめたのか?
相手は現職 利権を離すまいとするし、 左系の労組も動く。兵庫県も 大きな波が来ないと 何も動かないのだろう、
あれだけ初動が遅れた阪神大震災の 責任を取っていない 人々に喝を入れるためにも、
当選することを 祈ります。
勝谷誠彦氏の有料ブログより転載
2017年6月15日号。<檄>。
檄。
大和島根の誇るうまし国たるこの兵庫の山野を、明るく楽しく生きる人々のために、あるべき姿に戻すべし。ただ生きても一生、善く生きても一生。不肖この私は、身命を賭してその命題のために邁進すものである。
なにとぞもろびとの支援あらんことを。
わが命は今日ただいまからなきものと考える。あまたのひとびとの、旧弊たるものを打ち倒す闘いへの集いを願って、本日ここに檄を飛ばす。
3時起床。神戸市のホテル。
あと数時間でいわゆる「第一声」だ。三ノ宮のセンター街入り口の向かいあたりでやることになるかと。私としてはいつもの演説のひとつなのだが、ここが日本国の面白いところで、メディアのみなさんはとても重んじる。場所とりも陣営ごとに談合したりする。面白いなあ。この内幕をすべて小説にすると、これは私の本の中ではじめて売れるかもしれない。
とにかくキャラクターが立っているのである。小説家としてこれを無から創造するのは、私がヘボであるせいかもしれないが、なかなか難しいだろう。わかりやすいところから言えば、私についてくれているメディアのみんながなかなかいい。もう私の子どもの歳なのだ。だからパパとしてはいろいろと言いたくなる。候補と記者の関係はそれなりに距離を置かなくてはいけないが、明らかなセクハラ的な発言もある。ごめんね(笑)。
私はひと時代前にそっちの世界にいたのだが、昔は政治家と記者の間には、なんだかそういう空気もあった。セクハラはたまたま笑いを取りたくて書いたが、パワハラ、いやこれも違うな。相手の懐に飛びこんでなんぼが政治記者だった。今は、さすがにそういう空気はないが、私にはかわいくて仕方がない。ショボいその世界の経験の中でいささか知ったことを伝えたくて。もうこれだけでも、いい経験をしている。わかる相手はわかっているのではないかとちょっと嬉しくなる。
自分で無茶なことをやらかして、それを取材に来てくれた子どもたちと向かい合っていると、どう書かれるかなど、あまり考えなくて「報じ方の指導」などしてしまうのは、やはり頭がおかしいと思うが、私としてはそれが楽しいのだ。自分が兵庫県に大きな爪痕を残したいのはもちろんだが、その過程で、こういうことをするのが素敵だ。
できなかったことをしているセンチメンタルジャーニーに、子どもたちを巻き込んでわるいな、と三文小説家の私は頭の片隅で考える。文藝春秋という日本のメディアのど真ん中にいながら、10年でクビになった私は、ついに週刊誌のデスクもできなかった。もちろん編集長も。ときどきデスクっぽいことをしていたなどと言っているのは、最終ストッパーの書き手としてデータマンの方々にいろいろとお願いしていたことをちょっと膨らませて吹聴しているのだ。
あまり後悔のない人生ではあるが、そればかりはやりたかったという気持ちはある。だから、つい若い記者たちにいろいろと言って、それについて来てくれるのがまことに愉快だ。いまの闘いが終われば、どういう立場であっても、彼ら彼女らと酒を汲んでいささかの遺言をおくりたいものだ。
と、メディアを褒めておいて、と(笑)。自由闊達なそうした取材とは対極であって、やっている方も大変だなあ、という「仕事」が昨日の私にはあった。政見放送の収録だ。最初はラジオ関西。なるほど、こういうものかと。とにかく平等を大切にする。それはいいのだが、なんだか白州に引き据えられたようようである。時間は5分30秒。編集はしない。候補予定者は2度まで撮り直しをすることができる。これは、初体験のひとには相当なプレッシャーだろう。
プロとしての矜持がある。紙も見ずに5分30秒きっちりでラジオの収録を終えた。ふふん、てなものでスタジオを出ようとするとマネジャーのT-1君が。「初代知事について、伊藤博文というべきところを、別の知事さんの名前を言っておられましたが、あれでいいんですかね」。さすがわが精強無比なるマネジャーである。私はまったく気づいていなかった。仕方なと、撮り直し。屈辱だが仕方がない。前回とまったく違う話をしたと現場は驚いていたが、口からデマカ…もとい即興性を重んじているのでね。
次はNHK。これはもう何か、切腹の儀式のようでしたねえ。次々と文書が読み上げられる。いずれも「おかみ」が「申し渡す」といったものである。完全な平等を期するためらしいが、正直いって「アホか」と思った。こういうことから変えていかないと、日本国の選挙はダメだ。「他の団体その他の誹謗中傷をしないで下さい」って、都知事選などではアブない候補それを言うために出てきているではないか。
私が本当の泡沫候補であれば(いや、そうかもしれないが)このひとつのことで訴訟を起こす。憲法で保証されている表現の自由と、公職選挙法の規定ではどちらが上なのか。もちろん一般法よりも憲法の方が上位である。これは酷いと思った。なぜこれまで選挙をしてきた人々が猛反発しないのか。それは憲法もろくに読んでいないからだ。
最後はサンテレビだった。民放代表ということではなく、兵庫県だけを(実は大阪府もだが)カバーしているサンテレビが政見放送を担うらしい。私のここ何年かの家のようなところである。ところがサンテレヒの矜持は、私が親しくしていた人々をたとえば榎木麻衣アナウンサーなどを絶対に出してこないことである。放送の公平性などは私はクソだと思っているが、このサンテレビの健気さには、感動する。長いつきあいで、その本質がわかっているからだ。決して「お上」に媚びているわけではないと。
T-1君のアイディアでいつも『カツヤマサヒコSHOW』についていてくれたスタイリストが入ってくれた。おそらく日本国の政権放送史上、はじめての驚天動地の衣装、しかし『SHOW』的には大したことはないのだが、蝶ネクタイだぞ。メイクもばっちり。そういう商売をしてきたのだから、ここでわざを使わない手はない。もう流れているのかな。ぜひ、楽しんで下さい。
すべて終えて戻って17時ごろだったろうか。体調があまりよろしくない。私の身体はこころとの関連がひといちばい強いようで、今朝の第一声を前に、まずやるべきたとをやったという緩みが出た。情け無いことである。吐き気がすごくて、ゲホゲホ言っている。持病の逆流性食道炎であって、心が弱ると出るのだ。候補がゲホゲホいいながら歩き回っているのに勤勉な仕事を続けているみんなに申し訳なくて、事務所の志気をおとしめることはなはだしい。ちなみに、今朝はバリバリに元気である。その必要がある。
昨夕のわが牙城は、完全に梁山泊と化していた。「九州から来ました」「札幌からです」と名乗る義士たちが次々とやって来る。多くはこの日記の読者だ。今朝のポスター貼りのために集結してくれているのである。3階のスペースで、T-1君とヨロンさんその他のスタッフが分担を決めて、説明をする。ひとびとの情熱の圧力に、もうヘロヘロのわが陣営がなんとか耐えている。
みんな、2階の本部を通過していくのだが、そこにゲロゲロしている私が朦朧として歩き回っている。実務をやってくれている将兵にとってはむしろ邪魔で「あっちで座ってて下さい」と、飲み物などをあてがわれているのである。本職が介護師のS嬢などはもはや私の専属となっていて「従軍慰…」あかん、また殴られる「従軍看護師」と言われている。ゼリー呑ませて、背中をホンポンは「介護の現場で慣れていますから」はあ。もっと体力、まだ温存しているつもりだったのに、まことに情けない。
するとそこに巨体があらわれた。どう見てもトトロである。「こんにちわ~」というとボランティアのひとりが「あっ!パロマスだ」。ほとんどが読者なので麺通団の社長まで登り詰めたパロマスは、もはやみんなのヒーローなのである。事前の連絡もなく、突然、あらわれた。これ、まことに嬉しい。その前にはとても書くわけにはいかないが、霞が関から次の次は次官だろうという長年の読者が来てくれた。霞が関では「私の場合」を考えていろいろと動きがあるらしい。おこがましいことである。
「マスターと呑んで来ィな」とみんな言ってくれる。私のストレスがそれで抜けると考えてくれるのだ。とはいえ、首席秘書官と参謀総長が頭を寄せて対策を考えている時に、私がそんなことでいいのか。「その方が、こっちも気ィゆるむし。うろうろせんとってください」はい。というわけで、パロマスと近所の店は早々に。告示前日とは思えない私のぬるさである。
さすがはマスター、目のつけどころが違う。「ほうほう、なんであの事務所、美人ばっかりなんですか。男のヒトもあったまええし。よう集まりましたね」。その通りだ。美人云々はコメントを差し控えるが(笑)とにかく華やいでいることは間違いない。私はあまり運命を信じるわけではないが、モノゴトが動く時には、なんとなくそういうことがある。おそらくほとんどはあとで作られた物語なのだろうが、史書を読むとそうなっている。ひとびとの気持ちの問題なのか。
パロマスが来てくれることそのものがひとつの「吉兆」なのだ。明るいところには虫も鳥も集まっていく。いまはまだ、どういう義士たちが来てくれているのか迷惑がかかるといけないのでなかなか書くことができない。勝っても負けても、やはり小説かな。群像物語とてして、これほど面白いものはなかなかない。みんな、登場してもらうから、このあとの本番も、面白くやろうぜ。
四半世紀か。私の記者としての人生は、PKOとともにあったと言ってもいい。もっとも社員記者として脂が乗り切った時機に、不肖・宮嶋茂樹君などと一緒に、自衛隊の初の海外活動を追った。
<「実績の裏で、自衛隊にしわ寄せも…」 PKOの「キーマン」証言>
http://www.sankei.com/politics/news/170614/plt1706140054-n1.html
<当時の宮沢喜一首相からは「法の範囲では無理でも人道的にできることはないか」と指示が下った。この難題に西元氏は施設部隊が補修する道路や橋を確認しながら「意図的に」投票所を回るという「存在による危害抑止」を決断し、辞表をしたため独断で発表した。国会で問題となったが、宮沢氏が「私が命じた」と引き取り、事なきを得た。>
西元徹也氏(81)閣下ももうこういうお歳か。当時の私は、とてもお目にかかることのできない雲の上の方であった。いま、かるがると最高幹部のみなさんが会って下さることを考えると、私も歳をとったなあと。最初のPKOであったカンボジアに、私は不肖・宮嶋茂樹君と行った。その時に「やる」と相当な無茶を覚悟でやらないと、ずっとできないことであった。許した花田紀凱師匠と3人があってこそ、こういう昔話ができるのである。行ったからこそ、いまやっている闘いででも現場の話ができる。聴衆が「ふうん」と聞いてくれることが、選挙云々よりもひとりの伝え手としてまことに嬉しい。自衛隊や国防に対する理解のひとつになると考える。
半世紀前にカンボジアに自衛隊とともに行ったことも、いま兵庫県のために命をかけようと考えていることに繋がっている。いまから気合入れて第一声をやるので、書いておく。まあ、これほど、あらゆる体験をしたにんげんはそうはいないのではないか。この脳味噌をただ焼くのはもったいない。その前に、生まれて育ててくれた故郷にいくらかの還元をしたいと考えるのである。
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大和島根の誇るうまし国たるこの兵庫の山野を、明るく楽しく生きる人々のために、あるべき姿に戻すべし。ただ生きても一生、善く生きても一生。不肖この私は、身命を賭してその命題のために邁進すものである。
なにとぞもろびとの支援あらんことを。
わが命は今日ただいまからなきものと考える。あまたのひとびとの、旧弊たるものを打ち倒す闘いへの集いを願って、本日ここに檄を飛ばす。
3時起床。神戸市のホテル。
あと数時間でいわゆる「第一声」だ。三ノ宮のセンター街入り口の向かいあたりでやることになるかと。私としてはいつもの演説のひとつなのだが、ここが日本国の面白いところで、メディアのみなさんはとても重んじる。場所とりも陣営ごとに談合したりする。面白いなあ。この内幕をすべて小説にすると、これは私の本の中ではじめて売れるかもしれない。
とにかくキャラクターが立っているのである。小説家としてこれを無から創造するのは、私がヘボであるせいかもしれないが、なかなか難しいだろう。わかりやすいところから言えば、私についてくれているメディアのみんながなかなかいい。もう私の子どもの歳なのだ。だからパパとしてはいろいろと言いたくなる。候補と記者の関係はそれなりに距離を置かなくてはいけないが、明らかなセクハラ的な発言もある。ごめんね(笑)。
私はひと時代前にそっちの世界にいたのだが、昔は政治家と記者の間には、なんだかそういう空気もあった。セクハラはたまたま笑いを取りたくて書いたが、パワハラ、いやこれも違うな。相手の懐に飛びこんでなんぼが政治記者だった。今は、さすがにそういう空気はないが、私にはかわいくて仕方がない。ショボいその世界の経験の中でいささか知ったことを伝えたくて。もうこれだけでも、いい経験をしている。わかる相手はわかっているのではないかとちょっと嬉しくなる。
自分で無茶なことをやらかして、それを取材に来てくれた子どもたちと向かい合っていると、どう書かれるかなど、あまり考えなくて「報じ方の指導」などしてしまうのは、やはり頭がおかしいと思うが、私としてはそれが楽しいのだ。自分が兵庫県に大きな爪痕を残したいのはもちろんだが、その過程で、こういうことをするのが素敵だ。
できなかったことをしているセンチメンタルジャーニーに、子どもたちを巻き込んでわるいな、と三文小説家の私は頭の片隅で考える。文藝春秋という日本のメディアのど真ん中にいながら、10年でクビになった私は、ついに週刊誌のデスクもできなかった。もちろん編集長も。ときどきデスクっぽいことをしていたなどと言っているのは、最終ストッパーの書き手としてデータマンの方々にいろいろとお願いしていたことをちょっと膨らませて吹聴しているのだ。
あまり後悔のない人生ではあるが、そればかりはやりたかったという気持ちはある。だから、つい若い記者たちにいろいろと言って、それについて来てくれるのがまことに愉快だ。いまの闘いが終われば、どういう立場であっても、彼ら彼女らと酒を汲んでいささかの遺言をおくりたいものだ。
と、メディアを褒めておいて、と(笑)。自由闊達なそうした取材とは対極であって、やっている方も大変だなあ、という「仕事」が昨日の私にはあった。政見放送の収録だ。最初はラジオ関西。なるほど、こういうものかと。とにかく平等を大切にする。それはいいのだが、なんだか白州に引き据えられたようようである。時間は5分30秒。編集はしない。候補予定者は2度まで撮り直しをすることができる。これは、初体験のひとには相当なプレッシャーだろう。
プロとしての矜持がある。紙も見ずに5分30秒きっちりでラジオの収録を終えた。ふふん、てなものでスタジオを出ようとするとマネジャーのT-1君が。「初代知事について、伊藤博文というべきところを、別の知事さんの名前を言っておられましたが、あれでいいんですかね」。さすがわが精強無比なるマネジャーである。私はまったく気づいていなかった。仕方なと、撮り直し。屈辱だが仕方がない。前回とまったく違う話をしたと現場は驚いていたが、口からデマカ…もとい即興性を重んじているのでね。
次はNHK。これはもう何か、切腹の儀式のようでしたねえ。次々と文書が読み上げられる。いずれも「おかみ」が「申し渡す」といったものである。完全な平等を期するためらしいが、正直いって「アホか」と思った。こういうことから変えていかないと、日本国の選挙はダメだ。「他の団体その他の誹謗中傷をしないで下さい」って、都知事選などではアブない候補それを言うために出てきているではないか。
私が本当の泡沫候補であれば(いや、そうかもしれないが)このひとつのことで訴訟を起こす。憲法で保証されている表現の自由と、公職選挙法の規定ではどちらが上なのか。もちろん一般法よりも憲法の方が上位である。これは酷いと思った。なぜこれまで選挙をしてきた人々が猛反発しないのか。それは憲法もろくに読んでいないからだ。
最後はサンテレビだった。民放代表ということではなく、兵庫県だけを(実は大阪府もだが)カバーしているサンテレビが政見放送を担うらしい。私のここ何年かの家のようなところである。ところがサンテレヒの矜持は、私が親しくしていた人々をたとえば榎木麻衣アナウンサーなどを絶対に出してこないことである。放送の公平性などは私はクソだと思っているが、このサンテレビの健気さには、感動する。長いつきあいで、その本質がわかっているからだ。決して「お上」に媚びているわけではないと。
T-1君のアイディアでいつも『カツヤマサヒコSHOW』についていてくれたスタイリストが入ってくれた。おそらく日本国の政権放送史上、はじめての驚天動地の衣装、しかし『SHOW』的には大したことはないのだが、蝶ネクタイだぞ。メイクもばっちり。そういう商売をしてきたのだから、ここでわざを使わない手はない。もう流れているのかな。ぜひ、楽しんで下さい。
すべて終えて戻って17時ごろだったろうか。体調があまりよろしくない。私の身体はこころとの関連がひといちばい強いようで、今朝の第一声を前に、まずやるべきたとをやったという緩みが出た。情け無いことである。吐き気がすごくて、ゲホゲホ言っている。持病の逆流性食道炎であって、心が弱ると出るのだ。候補がゲホゲホいいながら歩き回っているのに勤勉な仕事を続けているみんなに申し訳なくて、事務所の志気をおとしめることはなはだしい。ちなみに、今朝はバリバリに元気である。その必要がある。
昨夕のわが牙城は、完全に梁山泊と化していた。「九州から来ました」「札幌からです」と名乗る義士たちが次々とやって来る。多くはこの日記の読者だ。今朝のポスター貼りのために集結してくれているのである。3階のスペースで、T-1君とヨロンさんその他のスタッフが分担を決めて、説明をする。ひとびとの情熱の圧力に、もうヘロヘロのわが陣営がなんとか耐えている。
みんな、2階の本部を通過していくのだが、そこにゲロゲロしている私が朦朧として歩き回っている。実務をやってくれている将兵にとってはむしろ邪魔で「あっちで座ってて下さい」と、飲み物などをあてがわれているのである。本職が介護師のS嬢などはもはや私の専属となっていて「従軍慰…」あかん、また殴られる「従軍看護師」と言われている。ゼリー呑ませて、背中をホンポンは「介護の現場で慣れていますから」はあ。もっと体力、まだ温存しているつもりだったのに、まことに情けない。
するとそこに巨体があらわれた。どう見てもトトロである。「こんにちわ~」というとボランティアのひとりが「あっ!パロマスだ」。ほとんどが読者なので麺通団の社長まで登り詰めたパロマスは、もはやみんなのヒーローなのである。事前の連絡もなく、突然、あらわれた。これ、まことに嬉しい。その前にはとても書くわけにはいかないが、霞が関から次の次は次官だろうという長年の読者が来てくれた。霞が関では「私の場合」を考えていろいろと動きがあるらしい。おこがましいことである。
「マスターと呑んで来ィな」とみんな言ってくれる。私のストレスがそれで抜けると考えてくれるのだ。とはいえ、首席秘書官と参謀総長が頭を寄せて対策を考えている時に、私がそんなことでいいのか。「その方が、こっちも気ィゆるむし。うろうろせんとってください」はい。というわけで、パロマスと近所の店は早々に。告示前日とは思えない私のぬるさである。
さすがはマスター、目のつけどころが違う。「ほうほう、なんであの事務所、美人ばっかりなんですか。男のヒトもあったまええし。よう集まりましたね」。その通りだ。美人云々はコメントを差し控えるが(笑)とにかく華やいでいることは間違いない。私はあまり運命を信じるわけではないが、モノゴトが動く時には、なんとなくそういうことがある。おそらくほとんどはあとで作られた物語なのだろうが、史書を読むとそうなっている。ひとびとの気持ちの問題なのか。
パロマスが来てくれることそのものがひとつの「吉兆」なのだ。明るいところには虫も鳥も集まっていく。いまはまだ、どういう義士たちが来てくれているのか迷惑がかかるといけないのでなかなか書くことができない。勝っても負けても、やはり小説かな。群像物語とてして、これほど面白いものはなかなかない。みんな、登場してもらうから、このあとの本番も、面白くやろうぜ。
四半世紀か。私の記者としての人生は、PKOとともにあったと言ってもいい。もっとも社員記者として脂が乗り切った時機に、不肖・宮嶋茂樹君などと一緒に、自衛隊の初の海外活動を追った。
<「実績の裏で、自衛隊にしわ寄せも…」 PKOの「キーマン」証言>
http://www.sankei.com/politics/news/170614/plt1706140054-n1.html
<当時の宮沢喜一首相からは「法の範囲では無理でも人道的にできることはないか」と指示が下った。この難題に西元氏は施設部隊が補修する道路や橋を確認しながら「意図的に」投票所を回るという「存在による危害抑止」を決断し、辞表をしたため独断で発表した。国会で問題となったが、宮沢氏が「私が命じた」と引き取り、事なきを得た。>
西元徹也氏(81)閣下ももうこういうお歳か。当時の私は、とてもお目にかかることのできない雲の上の方であった。いま、かるがると最高幹部のみなさんが会って下さることを考えると、私も歳をとったなあと。最初のPKOであったカンボジアに、私は不肖・宮嶋茂樹君と行った。その時に「やる」と相当な無茶を覚悟でやらないと、ずっとできないことであった。許した花田紀凱師匠と3人があってこそ、こういう昔話ができるのである。行ったからこそ、いまやっている闘いででも現場の話ができる。聴衆が「ふうん」と聞いてくれることが、選挙云々よりもひとりの伝え手としてまことに嬉しい。自衛隊や国防に対する理解のひとつになると考える。
半世紀前にカンボジアに自衛隊とともに行ったことも、いま兵庫県のために命をかけようと考えていることに繋がっている。いまから気合入れて第一声をやるので、書いておく。まあ、これほど、あらゆる体験をしたにんげんはそうはいないのではないか。この脳味噌をただ焼くのはもったいない。その前に、生まれて育ててくれた故郷にいくらかの還元をしたいと考えるのである。
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発行:株式会社 世論社
日航ジャンボ機墜落事故から外れた 勝谷氏が生かされた理由が これかもしれない。
知事選頑張ってください。