パルデンの会

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笹子トンネル事故で 無責任な維持管理(役所)と 地域に根ざした若者達


事故を起こした道路側の金を基本としたその無策ぶりと、なくなった無垢な人々が、金ではなく心言う若者であったことが 非常にこの事故に対して腹立たしく感じます。
今の世の中を表わしている大きな 「汚点」が 事故の裏にあるように思えます。
維持管理調査をしても防げなかった事故の影に
道路会社ー>会社関係天下り 1次請負者ー>2次請負者ー>3次請負者
なるようなおかしげな流れは無かったのか???????
マスコミの調査を待つものです




中央道トンネル崩落:「打音」規定あいまい 点検要領が変遷
毎日新聞 20121209日 東京朝刊
 東大大学院の藤野陽三教授(社会基盤学)は笹子の点検の難しさを指摘する。同じ中央道で同構造の恵那山 トンネル(最上部まで高さ約3メートル)や東名道・都夫良野トンネル(同1・6メートル)をはじめ、他のトンネルは天井板からトンネル最上部まで3メート ル以下。一方、笹子は5・3メートルもある。点検には大きな脚立や足場が必要。藤野教授は「時間も人数も必要になり進捗(しんちょく)が遅れる。効率が悪 い」と指摘する。
 笹子トンネルの天井が高いのはなぜか。
 天井板の上の空間は、排ガスを外に出す換気ダクトの役割を果たす。首都圏に近い笹子には1日あたり上下線計約4万7000台が通行。一方、恵那山トンネル(岐阜県)は同3万台だ。大量に換気する必要があったことが、結果的に点検を困難にした。
 捜査のポイント
 山梨県警は中日本や関連会社など6カ所を業務上過失致死傷容疑で家宅捜索し、強制捜査に乗り出した。
 県警幹部は「点検はどんな指針や規定に基づいたものか。そもそも基準なるもの自体が間違っていないか。幅広い可能性を視野に捜査を進める」と話す。点検方法が要領に適合しているかだけでなく、点検規定そのものの妥当性についてもメスを入れる方針だ。
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 点検要領にある「詳細点検」の定義の変遷
03年(日本道路公団
「近接目視および打音により行う点検」
05年(〃)
「近接目視・打音等により詳細な診断を行う点検」
06年(東日本・中日本・西日本高速道路共通)
「近接目視・打音等により詳細な診断を行う点検」
12年(中日本高速道路
「近接目視・打音のほか、構造物の設計・施工条件や使用・環境条件などを考慮し、必要に応じて非破壊検査機器などを活用することにより、構造物の状態を適切かつ効率的に把握するもの」



トンネル崩落:奪われた命、重く 地域で愛された犠牲者
毎日新聞 20121208日 1125分(最終更新 1208日 1150分)
 山梨県大月市中央自動車道・笹子(ささご)トンネル崩落事故では、乗用車とワゴン車の2グループが犠牲になった。ともに地域で愛された中高年と若者。「失わなくてよかった命なのに」。中日本高速道路の設備管理の不備が浮かび、関係者はやりきれなさを募らせている。
世話役
 乗用車から遺体で見つかったのは赤尾和久さん(74)=同県笛吹市=と義妹の渡辺寿美江さん(66)=甲府市。もう一人の遺体は赤尾さんの70代の妻とみられる。
 「あと何十秒か違えば……」。赤尾さんを知る男性(52)は唇をかむ。事故当日、赤尾さんらが車で出てから忘れ物を取りに一度家に戻ったと聞いた。
 夫婦は笛吹市内のワイン醸造会社で職場結婚した。会社関係者によると、赤尾さんは営業部長まで務め、明 るい人柄で慕われた。地域でも区長を務めるなど世話役で、80代女性は「庭の手入れを手伝ってくれたりし、気さくな人だった」と振り返る。50代女性は 「不適切な管理で命が奪われた。人災だと思う」と語気を強めた。
 渡辺さんは赤尾さんの妻の妹。甲府市内の茶製品製造会社に勤続約20年の職場のリーダー格で、社長の飯嶋均さんは「責任感が強く、取引先の問屋や業者からも好かれていた」と話す。事故当日は「横浜に姉の見舞いに行く」と休みを取っていたという。【藤河匠、片平知宏】
若者たち
 ワゴン車の5遺体はいずれも会社員で、個室で別々に暮らしながら居間などを共用するシェアハウス(東京都千代田区)の住人仲間。計14人で生活し、町会に加盟して地域にも溶け込んでいた。
 ハウスの住人や管理会社によると、小林洋平さん(27)は新住人に設備の説明をするなど「細かいことに 気づく人」だった。森重之さん(27)はムードメーカー。松本玲さん(28)は頑張り屋。上田達(わたる)さん(27)は食通でイベントを企画し、石川友 梨さん(28)は取りまとめ役。同居の30代男性は「家族のような存在だった」と振り返る。
 5人はスキー旅行や運動会など地域の行事にも積極的に参加。地元町会の伯耆原(ほうきばら)正章会長 (68)は「みんな元気で明るくて可愛かった」と話す。5人は1日深夜に山梨県内の温泉へ出発し、2日午後に帰京予定だった。悲報を受け、町会は9日に予 定していた餅つき大会を取りやめた。